雑誌の読み放題サービスというのは少し前からありましたが、いつの間にか、一般書籍の読み放題サービスであるKindle Unlimitedも日本でサービスが始まっていました。 今日、使ってみることにして、さっそく目についた本を片っ端から購読してみました。10冊まで同時に購読?できるのかな。 とにかく、すぐには読みそうもないけど、ちょっと読んでみたい本も含めて購読しました。 Kindle Unlimitedは本物の立ち読み環境を提供してくれます。 気になる本の気になる部分を心ゆくまで読めるのです。 マンガはまだあんまり種類がないけど、こちらも読みたいだけ読めます。 30年ほど前は、本屋のマンガにビニールがかかってなくて、買わなくてもマンガをいくらでも読めたんですよね。 店主にはたきでパタパタされるなんてマンガの定番シーンでしたけど、実際にはそんなこともなかったし。 Kindle Unlimitedが出る前の電子書籍は、なか見検索とかいうサービスはあるものの、見たい場所をチェックできるわけでもありません。 書店に行くのがめんどうなら、もう、買うしかないわけです。 アマゾンだったら、プライムに入っていれば、翌日とかには届くから、ついつい、気になる本はかたっぱしから買う習慣がついてしまいます。 書籍の読み放題サービスのばあいには、わざわざ買わなくてもいいわけです。 必要な場所だけ読んで、もうあとはいらないなら買わなくてもいいし、手元に持っておく価値があるとか、ゆっくりメモしたいなら、買えばいい。 昔の立ち読みとちょうどおんなじ環境が自宅にいながら、電車で移動しながら可能になったわけです。 これで、月に980円って、そうとう安いと思います。 ぜひにって感じ。
OSXで同じアプリのウインドウを切り替える
OSXでアプリ内ウインドウの切り替えはCommand+F1なのだそう。 いつもストレスで、今日、ようやく思い立って検索してみて見つけました。 (【Mac】アプリ間・アプリ内 ウィンドウの切り替えに役立つショートカットキー : Mac・iPhone・iPad を使い倒したい) 一回一回はちょっとしたストレスなので、なかなか調べる気にならないんですが、調べてみると、ちゃんとありました。 ただ、OSXでのファンクションキーは音量が画面の明るさなど基本的にシステムの設定を切り替えるショートカットになっているので、押しにくいもの。 これを入力しようと思うと、fnキーを押しながらになってしまいます。Command+F1というのは、実際には、fn+Command+F1を押さなければなりません。 そんなもの、誰が使うねん! F1を押せば、F1が入力されるようにすることも設定でできますが、それはなにかと不便。 毎回3つのキーを押すよりは、Command+F1を変えたほうが楽になれるというもの。 そのためには、システム環境設定でキーボード→ショートカットの「次のウインドウを操作対象にする」を設定します。 alt+Tabに割り当てるとよさそうです。 そうすると、 Command+Tab:アプリケーションの切り替え alt+Tab :アプリケーション内でのウインドウの切り替え こうなります。 ・・・めんどくさいですよね。 むしろ、一つのショートカットでアプリケーションとアプリケーション内でのウインドウを切り替えられたほうが幸せになれます。 Windowsはこうなってます。 これを実現するためには外部のアプリケーションが必要です。 検索すると、以下のリンクでアプリの紹介がありました。 「MacでWindowsのようにアプリが切替が可能に!Macアプリ「HyperSwitch」でCommand+Tabが便利になります | アナザーディメンション」 ちなみに、警告がどうこうというはなしが一番下に紹介されていますが、これからインストールする人には関係ない話です。 もし、警告が出れば最新版を改めてインストールしましょう。 こちらを使って、 Command+Tab:アプリケーションの切り替えとアプリ内のウインドウを切り替え にまとめてしまいました。 アプリケーションの切り替えもあったほうがいいかなとも思いましたが、僕はそんなにたくさんのアプリケーションもファイルも一度に開いて使わないので、それはパスすることにしました。 ちなみに、一番下のShiftキーで逆順(Use shift to cycle backwards)というのは便利だからオンにしておいたほうがいいです。 このツール、アプリの順番が毎回変わるわけではないらしく、一回切り替えて、次に切り替える(もとのアプリに戻る)ときには、最初のアプリが一番端っこに来ているんですね。 だから、Aというアプリを使っていて、Bに切り替えてAに戻るときには、まずCommand+TabでA→B、次にShift+Command+TabでB→Aと使います。 (結局、3つキー使ってるねえ)
orzモードの英数字入力再び
さて、ようやく夏休み気分で仕事に集中できるようになりました。 大学の教員は夏休みが長いイメージがあるかもしれませんが、8月前半はほぼ採点や講義の振り返りでつぶれてしまいます。 9月の前半は後期の準備。 となると8月半ばから後半のみ、夏休みなんですが、うちのように子どもが小さいと、半ばは子どもの相手でですので、この1週間は、「遊び」です。 結局、研究に集中できる本当の「夏休み」は9月の後半の1週間前後しかありません。
というわけで、少し執筆を進めています。 その際、orzモードで少し気になることがあったので、修正しました。
以前の「日本語モードでのシフト英数入力でセンターキーを変更する」件です。
僕はアルファベットはやはりデフォルトのまま入力したいのですが、yhnは「」_に変更してもらえると、日本語を入力するときにとても楽です。
つまり、 普通の日本語入力:yhnは「」_ シフト日本語入力:ynnはYNN となってほしいのです。
が、「シフト英数入力でセンターキーを変更する」を選択しないと、前者が変わらないのです。 でも、これを選択するとシフト日本語入力は「{}_」になってしまいます。
xmlファイルを見ると、どうもこれらがまとめて同じ場所で設定されていますので、今回はこれを修正して、修正提案を作者の大東様に送ってみました。
以下のような変更です。
# orz_ja_alphabet.xml
日本語モードでの英数字 センターキー変更 6 → ¥ y → [ h → ] n → _ remap.orz_JAPANESE_6key_noshift <inputmode_only>JAPANESE</inputmode_only>–KeyToKey– KeyCode::Y , ModifierFlag::NONE, KeyCode::JIS_BRACKET_LEFT –KeyToKey– KeyCode::H , ModifierFlag::NONE, KeyCode::JIS_BRACKET_RIGHT –KeyToKey– KeyCode::N , ModifierFlag::NONE, KeyCode::JIS_UNDERSCORE
Windows10は未来なのか?
Windows10のデモで、どんな画面もディスプレイにできるという技術が紹介されてる。(Buildでの発表内容に刺激されWindows Phoneを衝動買い) スマホを持ってたら、出先で画面さえあれば、それがそのままパソコンになるというもの。 なんかすごいなあ!と感動したけれど、これって講義やプレゼンでどういう風に使うの?と考えてみた。 近くにあるディスプレイを操作して、表示できるということは、他の人も同じことができるってこと。 例えば僕がこの技術を使って講義をしていたら、学生がいたずらで自分のスマホのゲーム画面を表示するようにしてしまうなんてこともできてしまう。 そうとう困るよなあ。 自分が使いたいときに他人が使うことを避けるとすれば、ディスプレイ側に認証の仕組みを作って、Bluetoothみたいに事前にペアリングしておくか、使うたびにパスワード入れるとかになりそう。 そのたびにディスプレイに触るかディスプレイのリモコンの操作する必要もある。 これって、けっこう手間で、言っているほど便利でも先進的でもない。 ケーブルが要らないのはいいことだけど。 たぶん、AirPlayとかChomeCastとか使えば、Androidのスマホの現状でもできるよね。 Windows10ではこのデバイスとディスプレイの認証の仕組みが劇的に使いやすくなってるってことなのかなあ。
Macの親指シフトでorgモード
親指シフトに切り替えて、1年になります。 ローマ字入力と比べると、たしかにキーを打つ数が減って手首が楽です。 ただし、右手が少し窮屈で、「かな」キーを押しながら「YHN」を押すのが少々苦しいものがあります。 まあ、しょうがないかなと思っていたのですが、こちらでorz配列というものを配布していて、これが親指シフトの配列を一列右にずらすというもの。 4月からこれに取り組んでいます。 ただ、英文字を入力することも多いので、右にひとつずらすといっても、ホームポジションまでずらしてしまうと、なんだか気持ち悪くてやってられません。 ホームポジションはそのままで、右手を覚え直すことにしました。 そうすると、こんどは、数字キーの配置が変わっているのが気持ち悪くなります。 7→6、8→7という風に一つづつずれています。 こちらはxmlファイルを直接編集してなおすことにしました。 といっても、今回は、orz_oya_roman.xmlとorz_ja_alphabet.xmlの該当部分をコメントアウトするだけです。 他にマニアックな設定もできるとは思いますが、しばらくこんなかんじで様子を見ることにします。
近況:再びこちらへ移行
なんだか、Facebookにいつもログインしていて、ちょこちょこと書くのが楽なのと、みなさんが、反応してくれるので、ついFacebookに書いてしまいます。 けれども、やはり、社会に公開していい話は、こちらの方がふさわしいかなと思う次第です。 ああいうSNSは閉じた社会でやりとりする目的に使うことがふさわしくて、一般公開する情報は、Facebookのアカウントをもっているかどうかに関係なく、見れる場所に公開すべきという気がしています。 さて、そんなわけで、年末でもありますので、近況をご報告しておきます。 仕事面では、2014年10月から近畿大学産業理工学部経営ビジネス学科の学科長に就任しています。 正直、福岡では、数年間は同僚にも名前を覚えてもらえないくらいにひっそりと生きようと思っていたのですが、なかなかそうも行かないみたいです。 学科長業務、かなり忙しくて、研究時間がかなり削られています。 問題点を一覧にして提示することで、学科のみなさんがそれぞれ動いてくださっていることの意味が、相互に認識してくださっているようです。 もうすこししたら、学科がチームとして機能しはじめるのではないかという予感があります。 家庭面では、息子(5歳)が反抗期でむかつく(笑)のと、6月に娘が生まれたこと、11月に教え子の結婚式で鹿児島に行ったことなどでしょうか。 相方も健康で、なんにせよ、普通の暮らしを送っております。 そうそう、12月に鍼治療にいって感動しました。 腕の善し悪しってあるものなんですね。 (夏には操体法という整体を受けて腰がすっきりとなりました。) さて、研究の方です。 こちらは、ほんとうに時間を削られることばかりで、遅々として進んでいません。 少しずつ、調査を進めながら、考察を深めているところです。 多忙を理由に、ついつい、文献とモデルの世界に逃げ込みそうになる自分を叱咤して、現場に出ようとしている感じです。 刑事ではないけれど、経済学の最先端は現場にあると思うのです。 現場に出ない人は、最先端の事象に出会っても、それが重要なのかどうか、嗅覚が働かないと思うんですよね。 僕がとり組んでいるのは、森林保護の問題です。 こちらでは、僕の思っていたことと、現場の感覚がまるでずれていて、軌道修正になやんでいます。 僕自身のマインドセットが、現場の方が言っていることを受け付けないのです。 ここをなんとか折り合いをつけないと、研究として着地できないのです。 年が明けたら、大阪では大阪市主催の講座(環境に優しい豊かな暮らしスローな食風土:1/28)に講師として登場する他、飯塚市ではコーディネーターとして登場する予定です。 正食協会の雑誌「むすび」での連載も続けています。当初1年の予定でしたが、2015年も掲載していただけることになりました。 こういう「スローな経済学」的なテーマもずいぶん蓄積してきましたので、本にまとめたいなと思い始めています。 いっそ電子書籍でやるのもおもしろそうです。 講演以外の社会的活動もいろいろと展開していきたいところです。 息子が生まれて以降、頼まれた仕事しかしていないので、そろそろ動きださないとなという感じです。
遠賀川源流の森づくりシンポジウム
6月1日、福岡市嘉麻市の夢サイトで開催された、遠賀川源流の森づくりシンポジウムで、パネルディスカッションのコーディネーターとして参加してきました。 基調講演は森の駅プロジェクトの仕掛人である丹羽健司さんです。パネリストは荒木光子さん、有田芳行さん、加納恵子さん、吉次昌則さんです。 丹羽さんの講演、おもしろかった。 森の健康診断で素人が山に対して、「もうちょっと間伐が必要やね」などといっぱしのことがいえるようになる。 こたつでゴロゴロしてたお父さんが、弁当とジュースを持って山に行くようになる。 静かだった山間の村にチェーンソーの音が響くようになる。 そして、みんなが毎日楽しそうに暮らす。 そんな村づくりの夢が実現する話でした。 戦後の拡大造林期に植林した嘉麻市の森が伐期になっているのですが、近年は森林環境税による補助金で間伐(切り捨て)が進むものの、材としての利用が進んでいないという現状をなんとかしたいというのがテーマです。 まずおもしろいのが、伐期になっているにも関わらず、間伐とはいかに?ということです。 この点は二つ理由があります。一つは、嘉麻市の森林、手入れが進んでおらず、材として使えるものが少ないので、しっかり間伐して木を育てていかなければならないということです。もう一つは、いい森だとしても、全部伐採して再植林するのではなく、良い木は残して、より高齢の木の森を育てていこうということです。 この背後には、もしかすると、皆伐しても再植林する意欲と資金力のある山主が少ないということがあるのかもしれません。 それはさておき、シンポジウムです。 正直言って、木の駅プロジェクトとパネリストがミスマッチ感があり、もう一つ盛り上がりに欠けてしまいました。 パネルディスカッションの時間は使い切りましたが、話がぶつぶつと途切れてしまった巻があります。 うまく軌道修正できなかった僕の力量不足です。 パネリストは、プロとして林業を見ている方ばかりで、素人の関わりを重視する木の駅プロジェクトとはスタンスが違います。 プロは木の駅を支援する側だと思います。で、パネリストのみなさん、支援する気持ちは満々でした。 そうなると、問題になるのが、実際に実行する素人山主がいるのか?というはなしにならなければ行けません。 が、パネルにはそういう方がいらっしゃらないのです。 だから、話が具体的にならず、空中での威嚇(というか、暖かい応援)に終始してしまったように感じます。 ある意味では、嘉麻市の林業はあまり困っていないのだと思います。 だから、新しいアイデアに飛びつかない。 材として売れるかもしれない木を素人が切り出して主に燃料用として使ってしまうなんて、はなしにもならない。 そんなふうに感じる山主も多かったのでしょう。 でも、山はもう二束三文の世界です。 環境税の補助だと切り捨て間伐なのです。 山主への利益還元はありません。 そこが議論の出発点です。 時代がよければ高く売れたはずだ。 今まで投入した苦労をなんとか取り戻したい。 政府がなんとかするべきだ。 このまま持ち続ければまた値が上がるかもしれない。 そういう段階はもう終わったのです。 価値がないという地点から、少しでも利益が出る方法、自分たちの苦労がみんなに感謝される方法を考えてもらいたいのです。 実際、山の価値、山を守ってきた方の活動は多くの方が評価しています。 ただ、それが山主の投入コスト、資産感覚にあわないだけなのです。 木の駅プロジェクトをきっかけにして、多くの方が山に関わるようになり、それが時代の村人を作っていくのだということが一番大切だと感じます。 それにはまず、森の健康診断です。 みんなが森についていっぱしのことがいえるようになることが必要ですね。 山は山主のものだから立ち入ってはいけないものという感覚から、山は自分たちがなんとかできるんだという感覚への変化。 いいですねえ。
生ごみ処理容器キエーロを使っています
生ごみが消える!という噂のキエーロを使い始めて2週間が経ちました。バクテリアも順調に繁殖してきたようで、生ごみをたくさん処理してくれています。 キエーロというのは、葉山の方が開発した生ごみ処理容器で、ベランダ用と庭用があります。うちは庭用を制作しました。 と、えらそうなことを言っていますが、ちょうど外構をやっていますので、その庭師の方が「へー、おもしろそう・・・」という感じでほとんどやってくださいました。 上にのせた半透明のものはプラダンというプラスチック製の段ボール。これをどうやって取り付けるか悩んでいたのですが、庭やさんの持っていたタッカーでばちんばちんとやってくれました。 で、使い方ですが、摂津市のサイトにマニュアルがあります。 少し穴を掘って、生ごみと水を入れて、土と混ぜたら上から土をかぶせます。 ごみを埋める場所をローテーションして、六ヶ所くらいで処理するようにすれば、一回りする頃には、ごみが消えています。 みかんの皮なんかも少し時間はかかるみたいですが、問題なく消えます。 地面においているので、土は地面の上にあります。 土は常に乾燥気味になっています。 生ごみ処理で失敗するケースで一番多いのは水が多すぎて腐敗したり虫(水アブ)が発生することです。 その点、キエーロは逆に乾燥気味で維持できるので、むしろ水分は意識的に供給してやる必要がありそうです。 水分が足りない部分は、分解が進まずに、野菜の切れ端が「活け」られたような状態で、土の中に保持されています。 季節のせいもあるとは思います。 虫の件ですが、土を覆っていない部分があると虫が発生するようです。 が、土をかぶせてやると、それ以上は発生しませんので、しばらくするとどこかに飛んでいってしまって、再度繁殖することはないようです。 ちなみに、生ごみが消えるなんて嘘くさい!と思う方もいるかもしれません。 生ごみは、99%が有機物と水分です。 キエーロによって、水分は蒸発し、有機物は二酸化炭素やアンモニアになって気化します。 残りの1%はカルシウムなどの無機物で土中に残ります。 なので、実際には1%は残るので、完全に消えるわけではありません。 ただ、最初にまぜた堆肥の成分も少しずつ分解していくので、土の量は実際にも増えないというわけです。 家庭菜園に使うなら、おそらく生ごみは堆肥化した方がよいと思うのですが、今回はキエーロってどのくらい使えるのかな?という実験も兼ねています。 そういう意味では、予想以上にすごいです。 お時間ある方は、庭バージョンでも、ベランダバージョンでも作ってみてはいかがでしょうか。 ごみ処理の風景はこんな感じ。 スコップで適当に混ぜます。 生ごみをためていた容器に水を入れて、混ぜます。(混ぜなくてもいいと思うけど、ついでに) で、土をかぶせます。 10日後に確認してみましたが、ほとんど、草の繊維くらいしか残っていません。 写真はほぼ2週間後です。 4−5日後に掘ってにおいを嗅いでみましたが、匂いはほとんどしません。
嘉麻市の森を視察してきました
福岡県嘉麻市の森林を視察してきました。 一日かけて、製材所(藤木製材所)、森林組合、森林保護活動をしている方(青木宣人氏)を訪問して、山を見学してきました。 ここはもともとは林業地ではなかったそうで、拡大造林以後、かなりの規模でスギ・ヒノキが植えられた場所です。 なので、現代の林業が抱える問題の縮図のような場所かなと思って、調査に臨みました。 やはり、山というのは人手がいるものですね。 最近、間伐などの過程で山に放置される林地残材の活用がうたわれています。でも、山から材を出す手間は、いい木も間伐材もそんなに変わらないんだそうです。 まあ、そりゃそうですよね。 ワイヤーかけてクレーンで引っ張ったりするわけですから、ワイヤーかける手間はだいたい同じようなもんです。 そうなると、従来残されていた林地残材に対して、いい木と同じだけの対価を支払うことができるのかという問題になります。 木材は需要側の要因で価格が決まってしまうと、森林組合の方がいっていました。 単価を上げる努力は当然してはいるのでしょうけど、特に林地残材は燃料用途が主ですので、努力といってもしれています。 補助金を持ってくるか、社会貢献的な要素を含めた価格にするのか。 でも、支払える方法を考えないと、林地残材はやっぱり山に残ったまま。 なかなか難しいところです。 そこで提案したのは、林業ではなく、山を活用してきた暮らしを見てもらうフットパスの整備です。 この山では、木こりが木を伐りだして、昔から馬ぞりで搬出していたそうです。そして、山の下に製材所があり、そこに売る。 で、その横に居酒屋があったんだそうです。 (今は空き地です) 木こりは居酒屋で労働の後、お酒を飲んで、酔っ払うと、店主が馬に乗せてやる。 店主が馬をたたいてやると、馬は酔いつぶれた木こりを乗せて、家に帰っていくんだそうです。 今でもその馬ぞりが通っていた道は残っているそうです。 たぶん、ちょっと草刈り等をすれば、歩きやすくなるんじゃないでしょうか。 他にも、炭焼き窯の跡もありますし、秀吉の一夜城伝説の残る城跡もあります。 そうそう、ここは遠賀川の源流ですので、源流探索ウォークなんかもありますし、鮭神社もあります。 なんだかほんとうに、観光としてはおもしろそうな場所です。 そういう観光からの収入を、先ほどの林地残材の搬出コストへの支払いに充てるしくみが作りたいんですよね。 搬出した林地残材は、村の温泉での焚き物として使いますので、フットパスやトレッキングを楽しんだあと、温泉を楽しんでもらうこともできます。 いい話だと思いますが、うまくすすめることができますでしょうか。
田川で講演してきました
この前の日曜日(2月9日)、田川エコフェスティバルで講演してきました。 環境問題全般の話から、普通の人が何かやってみたくなるような呼びかけのような内容にしようということで、内容を作りました。 僕の後に、地元のキーパーソン二人がそれぞれ、ドイツの先進事例を写真を交えて紹介し、田川地域のごみ問題についてデータをもとにした話をしてくれました。 当日はロビーでマルシェも開催されていました。 カフェ・お菓子屋・カレーなどのフードといった食品関係に加えて、フェアトレードグッズも充実していました。 10団体くらい集まっていたのではないでしょうか。 この企画、昨年の11月くらいにお話をいただき、打合せの中で、年末くらいにマルシェとか、他の団体の方のブースを設ける話をもうけようというはなしになりました。 それから2ヶ月でこれだけのイベントが準備できるということにまず驚きました。 そして当日の来場者の数。 200人以上の方がいらっしゃっていました。 ただ、話しながらちょっと思ったのですが、環境活動が長い方がけっこういらっしゃるかなという印象でした。 今まで全然関わってこなかった方を対象にして話を作っていましたので、ちょっと僕の話では物足りなかったのではないかな?と思いつつも、話しながら、レベルを変えることもできず・・・すこし申し訳なかった感じです。