昨年からスローな勉強会を開催している、十三のオープンスペースのオープンが延期になりそうです。 工事が遅れたため、営業許可をまだとることができないためです。 とりあえず、明日あたり、会社の設立書類を持って法務局に行くという話でした。その後、保健所に行って立ち会いで検査をしてもらうという運びになります。 早くオープンしてほしいなと思うんですが、許可が下りないものはどうしようもないですね。 僕は応援する立場なので、見守るのみですが、会社の設立書類を書いているところや、改装工事の有様など、興味深いことがいっぱいです。 オープンしたら、ぜひ一連の話を聞く機会を持ちたいところです。
自然がいいとばかりは限らない〜スイセンで食中毒
ceek.jpのニュースを見ていたら、十和田町でスイセンをニラと間違えて販売、食べた人が食中毒になるという事件が報じられていた。 ニラとスイセンって、確かに似ているといえば似てるかも知れない。 「栄養がよくてすごく立派なんですよ」 っていわれれば納得しそうな気がする。 まあ、現代で食料品を売っている店で毒のあるものが「売られているわけがない」という感覚って誰でももっているだろうから、多少「あやしいな」って思っても、まさかね、ですませてしまうことが多いだろうと思う。 自己責任がいわれているけど、僕らがいかに生活全般を他人の責任に依存しているかということの現れだ。 それはさておき、スイセンの毒。 初めて知った。 確かに食べるものではないけど、僕は福井出身なので、スイセンが県の花だ。 越前海岸に行くと、たくさん咲いていて、寒い時期にえらい花だという印象がある。 そのスイセン、実は食べると毒なのだという。 「食べられる草」と「食べられない草」がこの世にはある。 そのことは知っていたが、「食べられない」という意味は充分に意識したことがない。 なんとなく、「食べてもまずいから食べても仕方がない」と思っていたけれども、食べたら毒になるものも「食べられない」ものの中には少なからず含まれているのだろう。 本当に身近な雑草に毒が含まれている事実。 そして、野草の中で食べられるものもあるということは、「春の七草」が野草中心であることでも分かるだろう。 僕たちの生活に根付いていた安全なものを伝える技術、文化がいつの間にか失われている。
ざわつく人々
何か話をしていても、無視してしゃべる人がいます。 なんやねん、こいつらは・・・ なんて思いますが、よくよく考えたら僕も興味ない話だとついつい勝手にしゃべってしまうことがあります。 特に、20代前半まではそれが「おもしろくないよ」っていう意思表示だと思って。 当時は話している人が嫌な思いをするとか、傷つくとか、あんまり気にしませんでした。 それよりも、人を集めておいて、おもしろくない話をする方が悪いっていう態度です。 授業ではどうかというと、僕の授業はみんなすごく静か。 この前は、だれがもそもそしゃべってるんだろうって思ったら、上の教室のマイクの音がもれ聞こえてた音でした。 学生も、最初口うるさく「しゃべるな」っていうとうっとうしそうにしていますが、だんだん慣れてくるみたい。 少しずつ、授業聞いたり、あきたら寝たりすることの良さも分かってきてくれてるかな。 みんなに黙って話を聞いてもらうテクニック、なんて書ければいいんですけど、なかなかそれが分からなくて苦労しています。 逆に、話を聞かずにしゃべるときっていうのがあって、それはなぜかちょっと考えてみました。 そしたら、 1)ついつい自分の世界に入ってしまって、相手を見ずにしゃべっているとき、 2)何度目か、同じ説教をたれているとき 3)もうすぐ終わりそうな雰囲気を出したとき でした。 他にあるかなあ。
主義は人に壁をつくるから、ismをwasmにしてしまおう
環境活動の巨人というのは、まだまだ現役な人が多い。 昨日は、その中でも際立った一人だと思われる人、サティシュ・クマールに会う機会を持つことができた。 サティシュ・クマールは、環境系の雑誌のリサージェンスの編集長を務めている人物だ。 彼は、運動や精神性という観点からではなく、どちらかというと知的な実践を通して環境への取り組みを広げようとしている。 本を読めば、彼がインドからイギリスまでお金を持たずに歩いて旅した話がでてくるし、いろいろな場所を訪れた話が分かる。また、元ジャイナ教の僧侶であったこともあり、精神的にも非常に豊かなものを持っている。 でも、彼の本質は、冷徹に現状を見つめ、行動を積み重ねていく科学者なのだと改めて感じた。 昨日の彼の言葉がとても印象に残った。 「なんとかism(なんとか主義)というのは、自分に枠を作ることになるから、人と人を隔てる壁になる。だから、ismっていうのはwasmにしてしまおう。(isの過去形がwas)これからは、Natural Way(自然に沿って自然に生きる)で行こうよ」 深く納得させられる言葉。 それとともに、こんなに重要な話をだじゃれにしてしまうとは。。。 「すごく偉い人」と少し身構えていたのだが、会合では笑いが絶えなくて、辻信一さんが「サティシュおじさん」っていう理由が分かる気がする。 マクロビオティックにこういう話がある。 「今、あなたの体調が悪いのはあなたが生まれてきてからの積み重ねが現れているのです。だから、体をなおすためには、それと同じだけの時間が必要なのです」 一気になおす方法はないってことなのだが、こういうのも、健康イズムにかかってしまうと、効果の早いものを求めてしまう。 (で、その結果、短期間で病院やさまざまな自然療法を渡り歩くことに) 自然に少しずつコース変更できればそれでいい。 要は気持ちを持ち続けること、機会があるごとに少しずつ実践してみることだ。 そして、自分の気持ちをちゃんと表明し、似たような考えを持つ人と行動することも大事だ。 そうじゃないと、いつまでも自分の行動や努力は広がらなくて、がんばり続けなければならなくなる。 サティシュさんの著書は「君あり、故に我あり―依存の宣言」というタイトルで翻訳されている。 この本は、サティシュさんが世界を回っていろいろな人に会った記録だ。会見の模様についての記録と彼の受けた印象などについて書かれている。 マーチン・ルーサー・キング、バートランド・ラッセル、E.F. シューマッハー、ヴァンダナ・シヴァといった人物以外に、ガンジー主義の重要人物などとの対話が収録されている。 「なぜ環境問題を考えることが重要なのか」を考えさせてくれる一冊だ。 坂田ゼミの学生には必読だ。 結びの言葉を紹介しておこう。 私たちは自らの存在と経験、幸福と健康、栄養と食物を地球に依存している。私たちは、愛するものからの愛と、美しいものの美と、善良なものの美に依存しているのだ。傷つきやすさと謙虚さを奉じて、地球とお互いに対する私たちの完全なる依存を宣言しよう。「君あり。故に我あり」と。 (p.336、第十六章 依存の宣言)
ある日、肩書きが変わる
そういえば、4月から肩書きが変わりました。 助教授→准教授です。 教授を助ける存在から、教授に准じた役割をする存在になったわけですね。 でも、当然ながら生活にはなんの変化もありません。 僕らのような、もともと上司も何もいないケースでは影響ないんでしょうね。 逆に、教授が研究室を主宰して、助教授がそれをサポートして、みたいなのがまだ残っているようなところだと、何か変わったのかな。 おそらく、制度導入によって変わることが期待されているんだけど、なんにも変わらない、でしょうね。 こんなこと突然やるなら、独法化の前、まだ文部科学省が国立大学の上位機関だった頃にやるべきだったんじゃないかなと思います。 何事もタイミングを外すとだめですね。 かくいう僕も、この件、ここに書くのはすでにタイミングを外した感がありますね。 (名刺もまだ助教授のまま。ま、だれもそこまでは見ないかもね)
拙著、画像もアマゾンに追加されました!
いよいよ「ごみ問題と循環型社会 」、アマゾンで本格的に販売です。 画像も追加されたので、いちおうリンクを張っておきますね。
新ゼミ生、使える人材にしたいですね
なんでも「社会人基礎力」(経済産業省)という指標があるんだそうだ。 時間があったら読んでみたいけど、新ゼミ生にはぜひ、こういう指標をクリアできる人材になってもらいたいなって漠然と思っています。 今日から新学期。 新しいゼミ生が入ってきます。 僕がゼミ生に要求することは「自分で判断して行動できる人」です。 最近の学生は、判断とか行動というよりは、それ以前の「判断するための基礎知識」がそもそもないなあって思います。さらには、「判断するための意思力」もない。 自分で自分や社会の未来を選択して行くんだって気力がないんですね。 僕の仕事は、そんな学生たちに「未来は選べるねんで」って伝えて、実感してもらうこと。 今年は、無理矢理実践してもらって、挑戦したという体験を積み重ねてもらおうかなと思っています。 4月からの新ゼミ生は20人。 すごく多い気がしますが、できるだけ一人一人とつきあっていければなって思っています。
しばらくコメントの受け付けをやめます
最近、スパムがものすごいのでコメントの受け付けを停止します。 トラックバックの方は、すごいというよりはすさまじい勢いです。こういう攻撃だけでサーバが潰れるんじゃないかと思うぐらい・・・ もちろん、スパムかどうか判定するプログラムもあるんですが、そんなことにサーバの資源を使うのも少々ばからしい気がします。 最近思うのは、ブログへの反応って、自分をアピールする目的でコメントする人は多いですが、純粋な意味でのコメントは少ないってこと。 人気ブログは純粋なコメントも多いのだけれど、僕らのようなマイナーブログでは、読むことは読むけどコメントまではねって人の方が多い。 実際僕も他のブログではよほどのことがないとコメントしないしね。 まあ、そんなわけで、方針少し変えて、コメント受け付けとトラックバック受け付け、停止します。 読者の方、なにかフィードバックしたいと思ってくださった場合はメールをいただければと思います。 もちろん、更新の方はこれまでどおり、淡々と続けて行きます。 ではでは
タイではNo MSG!を結構みかけました
MSGというのは、Monosodium glutamateの略で、要するには味の素(または、グルタミン酸ナトリウム、アミノ酸、化学調味料)のことです。 アジアをこれが席巻して、一時期中華料理屋の味が変わった!といわれることも多かったようです。 先月末に4日間だけですがタイに行ってきました。 そこでなにか日本に帰って食べられるものでも買おうかなとスーパーに行ってみると、結構No MSG Added(化学調味料無添加)と表示してあるものがあるんですね。 僕の好きなタイカレーのペーストにもありました。 タイって、消費者の関心が進んでいるんやなあってそのときは思って、ありがたく買ってきました。 このスーパー、別にイカリスーパーとか紀伊国屋みたいな高級食材を売っているようなところではなく、ごくふつーのスーパーです。 一般の人がそんなに関心高いもんかなあ?とやっぱり気になっていました。 よく考えたら、タイにもイスラムの方が多いので、そのためですね。 2~3年前に味の素に豚由来の原料が使われていたことがありました。 でも、表示は何もありませんでしたので、知らずに食べていたイスラム教徒が激怒したという話があります。 おかげで味の素の株価が大幅に下がったのですが、それ以来表示するようになったんじゃないかなという気がします。 味の素を使うことだけをやめて、他の化学調味料を使えばよいようなものですが、それをしないというのはうれしい副作用でした。
この水素生成システムはいけるかも
NASAで開発されEcotality社が実用化した「オンデマンド水素生成システム」は、マグネシウムと水を反応させて水素を生成するシステムだという。 燃料電池自動車が解決しなければならない問題として、(1)燃料をどう調達するのかという問題と、(2)それをどう運ぶのかという問題があった。 この新技術は両者を同時に解決するシステムだ。 (NASA開発の「オンデマンド水素生成装置」、燃料電池車の救世主となるか) 詳細は記事を読んでもらえれば分かるが、この記事で分からないが重要なポイントがいくつかある。
- ガソリン車と比較した場合の燃費が分からないこと(走行キロあたりのコストでもよい)
- システムのコストは想像できるが、大きさ(重量も)が分からないこと(ハイブリッドシステムと比較したらどうか)
- 耐久性。何時間つかえるのか
- 具体的なエネルギー変換効率
いずれにしても、水とマグネシウムから水素を直接生成できるので、エンジン側をかなりシンプルにできそうな感じだ。 水素関係では、すこしずつだけど、今までは可能性の萌芽ぐらいだったものが、使えそうな技術が出始めている気がする。