●都会との情報格差 「鹿児島に就職します」 そう言うと、みんな驚いた。 でも、別に心配した人はあんまりいない。 特に師匠たちは「今はインターネットがあるから研究も問題ないよね」という感じで僕を送り出してくれた。 それでもこれから就職しようって人で、田舎にいくというとためらう人もいるのではないかと思う。 本項は、研究者だけにしかあてはあまらないかもしれないけど、田舎と都会の情報格差がどの程度縮まっているのかということを紹介したいと思う。 って言っても、実際には僕がどうしているのかということになる。 駆け出し研究者である僕にとって、情報格差が仮に大きなものであれば、鹿児島に行くことは大きなデメリットになってしまう。これは、鹿児島に限らず他の地方に赴任する人も同じだろう。 もちろん、地方に行ったからといって研究者として大成できないはずはなく、地方でがんばっている一流の学者も数多い。 (それが都会に引き抜かれていってしまうのが残念なところだけど、独法化で引き止めたい研究者には多めの給料を出すとかできるようになるから、今後は少し状況が変わると思う) ただ、都会にいればしなくてもいい苦労をしなければならないということは言える。 僕が鹿児島に来た理由は、実は単純で、実家に近い空港(小松空港)から鹿児島への直行便が出ていたことだ。 飛行機さえ飛んでいればどこにいても、ちょいっと飛行機に乗れば実家に帰れる。 そんな単純な動機だった。 だから、正確に言うと、情報格差とかはあまり気にはしていなかったのだけれども、そういうことを心配する人が多いので、ここでいろいろと実情を公開しておこうと思う。 こういう話って、実際体験しないと書けないことが多い。 ●鹿児島でのコンピューター遍歴 さて、まずは自分がどれだけITに依存しているのかというところから紹介を始めることにする。 僕はコンピューターマニアで、鹿児島にいる間もかなりコンピューターを使った。 普段は、起きてから寝るまでずっとコンピューターで作業している感じだ。論文もこれで書くし、ニュースもこれで見る。知人との連絡のほとんどはメールだ。ちなみに、携帯電話は持ってるけど、あまり使い方が分からないので使いこなしている実感はない。 それ以外にもデータのバックアップを寝ている間に行なったりもさせているので、実際には24時間コンピューターを使っているといっても良いかもしれない。 スケジュール管理にはPDAを使っているし、出張にもノートパソコンを持ち歩いている。それから、サーバーにはLinuxを入れて活用している。 つまり、仕事と趣味の両方でコンピューターを使っているし、様々なコンピューターを用途によって使い分けている。 鹿児島に来て5年になるが、この間、かなりたくさんのコンピューターを使った。 まず、デスクトップだが、1)IBM2)自作のPenguin、3)元から持っていた自作マシン、4)Penguinの2代目(マザー・CPUを交換したもの)、5)現在のサーバー、6)Cubeタイプの6台を使った。 平均で年に1回買っていることになる。ただし、1-4はすでに引退したので、今は自分用のサーバーと学生用のCubeだけが現役で動いている。 ノートパソコンは、主に軽量のものを選んで買っている。これは、1)元から持っていたChandra、2)Let’sNote(トラックパッドのもの)、3)Let’sNote(トラックボールのもの)、4)Dynabook(巨大、師匠から借りたもの)、5)Let’sNote(現在使っているもの)、6)PowerBookG41G(退職が決まってから買ったもの)の6台だ。1と4は事実上自分では使わなかったので、5年間で4台という計算になる。 今現役で稼動しているのは、3-6で、自分では5のLet’sノートを使っているのだが、今はPowerBookに移行しようとしている。 主にスケジュール管理をするPDAについては、1)PalmPilot、2)VisorDelux(2台)、4)VisorEdge、5)Treo60、6)ZaurusSL-C760、7)HPiPaq1920の7台を買った。 結局今は、7のiPaqを使っているが、これはOSがMicrosoftのPocketPCであり、Macとの親和性が高くないうえに使い勝手が悪すぎるのでまた新しいPalmを買おうと思っている。やはり一度Palmを使ってしまうと、PocketPCなんてストレスが多すぎて使えない。おまけに、不安定だ。 そもそも、こんなちっちゃいマシンでマルチタスクなんていらんでしょ。それより処理速度の方が重要だと思う。 さて、こうやって書くと、結構マシンを買い換えている。 これだけのお金をデジタルグッズに投資して、果たしてペイしているのか?ということを考えることがある。 僕が1日10時間パソコンを使っているとすると、1年間で3650時間で、5年間にすると、18250時間になる。 この間の支出は、マシンを1台20万円、PDAを1台3万円とすると、161万円だ。 それで、161万円÷18250時間がデジタルグッズの時間単価だ。 計算してみると、88円。 思ったより安いな。 普通の人は一日1時間とかしか使わないから、はるかに高い買い物になっているはずだ。 ●研究資料 さて、僕は研究者なので、最も心配されるのが論文や本などの研究資料の入手についてだ。 研究資料といえば、まず必要な資料は本だが、これは紀伊国屋・丸善・AmazonなんかがWeb上に書店を出しているのでまったく問題ない。 特にAmazonは都会の店頭で注文しても2週間かかるところが2・3日で本が来るのでとても便利だ。 それでも、本はやっぱり書店で眺めるのが重要だという方、心配する必要はない。 田舎に就職すると都会に出張する機会が結構多いので、そういうときに時間をとれば良い。 都会にいて、普段家と職場を往復するだけの人よりはよっぽどしょっちゅう都会の書店に行くことができるはずだ。 僕は研究者にしては論文を読まずに、フィールドに出て考えるタイプなのだが、それでもやっぱり論文は重要な情報収集方法だ。 出身大学では、論文誌をたくさん購読していて、バックナンバーとかもかなりの量がそろっている。 これが、地方の大学になると雑誌の数が少なかったり、欲しい分野とはちょっと違う雑誌が充実していたりして、なかなか論文を収集することができないのが悩みの種だった。 その状況が、IT化によってがらっと変わっている。 家では、British LibraryのInside Webというサービスと契約していて、論文をインターネット上で検索することができる。検索した論文はたいてい概要を読むことができるから、それで欲しいかどうかある程度判断することも可能だ。そして、この論文が欲しいとなればボタンをぽちっとクリックすれば良い。 24時間以内にFAXしてもらうこともできるし、1週間以内で郵送してもらうこともできる。 いちいちタイトルを書きうつしたりする必要なんてまったくない。 問題はちょっと値段が高いことだが、これも研究費でまかなえるのでそんなに問題はない。 Inside Web、便利そうだけどちょっと高いなー、となれば無料で論文を入手する方法も最近はかなり充実してきた。最近僕もInside Webよりも、電子ジャーナルというものを多用している。 こちらは、図書館とかが契約してくれていて、Web上で検索した論文をPDFで取得することができるというサービスだ。 この数が大学によって大きく異なるのだが、鹿児島大学ぐらい大きな大学になるとそのライブラリもかなりの数になって十分実用になる。 電子ジャーナルはこれからもますます便利になるようなので、まず自分の行き先の大学のライブラリ数を調べてみれば良いと思う。 ●FaceToFaceの関係、研究会 さて、資料はITの進展によって入手することができた。 残る問題は、情報を入手するのは何も紙の資料ばかりではないということである。 研究会や講演会に参加したりして、その後の研究者同士の雑談などで得られる情報も重要であろうという指摘である。 僕もこういう場から得られる情報というのは確かに無視できないものだと思う。 けれども、先の書店と同じようなもので、逆に「あなたは月に何回研究会に参加しますか?」と聞いてみたい。 平均週に1回ペースであれば、まあ多い方だろう。それ以上だったら、「そんな暇あったら研究したら?」と言いたくなる。 もちろん、付き合いで出ざるを得ない人もいるだろうけど、地方にいれば無駄な付き合いは不要なのも良い点だ。 普通の人は月に1回か2回だろう。 それぐらいなら地方からのこのこと出て行けば構わない。 月に1・2回の出張は良い刺激になるし、「せっかく来たのだから」と研究会に求めるレベルも高くなろうというものだ。 僕は若い研究者にとって重要なのは、研究会に出ることではなくて、「現場を知ること」だと思っている。 最先端の理論を知っても、それが何に使えるのか?そういうものに対して一般の人々、現場の人々はどう感じるのかという「直感」を持たなければならないと思う。 最近、メーカーでも開発担当者が直接営業に出向くようにしているところがあるそうだ。その方が、開発サイドが現場のニーズを的確に知ることができるからだそうだ。 また、新入社員研修で大卒の新入社員を現場に出向かせることは以前からずっと行なわれてきている。 すべて、現実社会と自分の仕事の関わりを体で知るために必要なことである。 そういう過程を一切経ていないのが研究者だ。 特に経済や法律の研究者は現実を知らない。 自分たちの研究が人の命に直接かかわっているという責任感が希薄なのだと思う。 経済学者に対する信頼がこれほどまでに低下しているのもその辺りが原因だろう。 せっかく地方にいるのだから、政策の現場をきちんと見ておくことだ。 何十回も研究会で人の話を聞くよりも、自分の目で一回だけ見たことのほうが将来的には生きてくることも多い。 地方地方には、それぞれ特色のある現場がある。 これは地方にいる自分だけの利点である。 ●地方のデメリット さて、ここまでは地方礼賛のような感じになったけど、地方のデメリットと言うのも一応あげておいた方が良い。 僕が鹿児島でもっともストレスを感じているのが雑誌の発売日だ。 僕は月刊誌が結構好きで、毎月心待ちにしている。 しかし、鹿児島では雑誌を発売日に手に入れることができないのだ。 思えば、福井にいたときもそうだった。相方の話では、山口は発売日に手に入るが、海を隔てた福岡はだめなのだそうだ。 いったいなぜこれだけ技術や流通が進歩した今日、発売日に雑誌を手に入れることができないのか? その東京中心の姿勢には腹立ちを通り越して、あきれてしまう。 鹿児島に荷物を届けるのが他より一日多くかかるのなら一日早く発送すれば良い。 そうすれば、印刷所から2日に分けて雑誌を納品してもらえば良いことになるから、倉庫スペースも少なくて済むはずだ。 出版ついでにもう一つ、本についてもやはり不満がないわけではない。 どうしても今日本が欲しいときにはやはりインターネットの書店ではなく、身近に大きな書店があるほうが良い。 実は鹿児島には結構大きな書店があるから問題がないのだが、こういう書店がない地方では大変だろう。 それから、交通が不便なのも問題と言えば問題かもしれない。 どこに行くのにも車になってしまう。 専門で、「省エネのために公共の交通機関を使いましょう」と呼びかけているのに、「終バス、5時半なんですけど?」というのが僕の家の状況だ。 もちろん、都会に出るには飛行機を使うから時間はすごく短いが、お金はかかる。 研究費が十分にない状態ではこれはなかなかにつらい。 家賃が安いから、生活費がかからない分、給料のかなりの部分が交通費に消えてしまう。 地方にいるデメリットってこんなものかもしれない。 読み直してみれば、「何でもストレスだと思えばストレスになってしまうよな」という程度のものでしかないようだ。 結局僕自身は地方に住むことにすごく満足しているし、自分の将来にとっては計り知れないメリットがあると考えているようだ。 この辺は、地方に来て嫌だ嫌だと思って暮らすか、そこで自分がなにをやれるのかを考えて暮らせるのかの違いだと思う。 こういう人生の態度は、将来的に大きな違いとなって出てくるはずだ。
マックが来た
マックが来ました。 PowerBookG4の12インチです。 今は学生の卒論指導と自分の論文とでばたばたなのであまり触る時間がないうえに、インストールするソフトも到着してないので、ちょっといじっただけです。 まずやったことは、 1.ターミナルで日本語を使えるようにした 2.ターミナルで使うエディタのEmacsに日本語を入力できるようにする 3.TeXをインストールした。 です。 ほんとにマックが欲しかったの?と言われてしまいそうな感じですが、僕は僕なりに満足しています。 次にしたことは、いろいろな付属ソフトをいじくってみることです。 iTunesとか、iPhotoとかです。 それから、テキストエディットっていうエディタとか、OmuniOutlinerとかいう文書入力用のツールもありました。 使ってみた感想は、「携帯並みに直感的に使える」です。 僕はもっとメカっぽいと言うか、ごちゃごちゃといじくるのが好きなので、逆にこの直感性が分かりにくかったりもするのですが、一般の人にはすごくいいと思います。 なんと言えばいいか、「適当にいじくってたら、後は執事がいいようにしてくれる」ような感じといえばよいでしょうか。 こういうマウスとかで画面上の絵(アイコン)とかボタン、ウィンドウを操作する仕組みをGUIといいますが、GUIの出来がWindowsとは雲泥の差です。 本当にマックって触る機会がないから、知らない人が多いと思いますけど、マシン買うなら今なら僕はマックをお勧めします。 この前までマックをお勧めしにくかったのは値段の問題があったからですが、今はiBookなら15万円以下で買えますし、周辺機器も普通の人が使いたいような周辺機器はまず問題なく使えます。 それで、とにかくマックを買ってきて、1時間も我慢していじっていれば、いろいろなことができるようになるんじゃないかな? 例えば、CDを入れたら、自動でiTunesが起動して、CDを読み込み、ネット上のデータベースからアルバム名と曲名をダウンロードして、CDの曲をMP3に変換してくれました。 しかもなぜか、CDの曲を再生しながらです。 CDの読取装置が2つあるのか?どこかに最初に読んだものを貯めこんであるのか、とにかく再生しながら同じドライブでMP3変換用のデータを抽出するというのは不思議な気分です。 画面上のアイコンが結構かわいらしいし、マウスをあわせるとぴこぴこ動いたりするので、 (マックっておもろいな) と調子にのってたくさんのプログラムを起動しても、全然処理が重たくなったりしないのもすごくいい点です。 僕のはまだメモリを128MBしか積んでいないのですが、特にストレスはありません。 それで、たくさん画面を開いてごちゃごちゃになってしまったら、F9ボタンを押せば、全部の画面が小さくなって並んでくれます。小さくても、だいたい何の画面かは分かるので、マウスで必要な画面をクリックすれば、その画面が一気に大きくなってまた作業を再開できます。 これ、マックでも最新の機能らしく、どこでも宣伝してますが、ほんとに便利です。 今までよくこの機能なしでパソコンいじってられたなあ、とつい感慨にふけってしまうほどです。 これ以外にも、画面を最小化したら、しゅわーと画面が下のバー(ドック)に吸い込まれていったり、クリックしたら震えて大きくなったり、ファイルを移動したらアイコンがそっちに吸い込まれたり、視覚効果がたくさんあります。なのにうっとうしくない。 Windowsだと、こういう効果は全部「うぜー」って言ってオフにしてしまう僕ですが、たぶんマックの場合はこのままで使い続けると思います。 だいたい2時間ぐらい触った感想はこんなところです。 そうそう、触る前の印象も重要かもしれませんね。 僕のはPowerBookG4の1Ghzなのですが、その銀色のボディはすごく良いです。 東芝やNECでも白いノートを出してたりしますが、デザインの出来がなぜかまったく違います。 何が違うのか良く分からないのですが、「どこまで行ってもマックはマック」としか言いようがありません。 それから、電源アダプタの形とか、電源アダプタを延長する仕組みとか、「おっ」と思わせるところがいろいろあって、電源を入れる前から、かなり楽しめました。
ロンドンで燃料電池バスが走る
Planet Ark Environmental News PicturesZero Emission Fuel Cell Bus Goes into Service in Londonより。 今年、1月24日より、ロンドンで燃料電池バスが走ることになった。燃料電池バスは、水素を燃料としており、排気ガスの代わりに水を排出する。路線は25番で、Oxford CircusからIlfordというから、中心部を走るのだろうか。この取り組みはヨーロッパの9都市で、排気ガスと騒音を緩和するために行なわれている取り組みの一環である。 燃料電池バス自体は、東京でも走っているから、珍しい話ではないが、まだニュース性はあるようだ。もう少しすると、「うちの町にも燃料電池バスがやってきた」という感じで地方新聞のネタにしかならなくなるだろう。 そして、その次は、ちょっと前のハイブリッド車のように「Aさんのとこ、燃料電池車にしたんやってさ」という井戸端会議のネタにしかならなくなる。 それまで、燃料電池で注目を浴びたい研究グループ、地域は報道発表ができるだけのネタをそろえる必要がある。 さて、それでは、燃料電池の時代はやはり目前まで来ているのだろうか? いろいろな人の話を聞くと、だいたい15年ぐらい先に普及期が来ることを目指しているというイメージだと思う。 5年先ぐらいにちらほら車が一般人にも買える値段で売られ始めるとしよう。 実際に車の買い替え需要等を考えると、燃料電池がそこら辺を走って珍しくなくなるのはやはり、15年先ぐらいか。 燃料電池車の市場価格が下がるのが10年先であるとすると、普及は20年先になる。 自動車が大量に普及したのをT型フォードに始まるとすると、1908年以来だから、その歴史はたかだか100年くらいである。 今から20年後、自動車の主要技術は本当に燃料電池なのだろうか?ソーラーパネル+バッテリーとかもかなり現実味を帯びてきているのではないか。あるいは安全で小型の原子炉とか、超超低排出ガス車とか。 20年というのはそういうことを想像してもおかしくないぐらいの年月だ。 そういう意味ではいろいろな可能性の芽はこれからもどんどん拾い上げて欲しいと、技術系の方々には要望したい。 さて、燃料電池が走るのはそれで結構なことなのだが、これが「Zero Emission」なのかというと少々疑問が残る。 水蒸気しか排出しないから無害。だからゼロエミッション。 そういうのは簡単だ。 問題はこの車が町中を走り回るようになったときだ。 どの車も水蒸気を排出して走る。 ・・・町中に加湿器があるような状態にならないだろうか? 僕は化学屋ではないから分からないけど、常に都市部はじめっとしている状態になる可能性はあると思う。 そして、都市の冷房需要(除湿機も含めて)はさらに増加し、エアコンからの廃熱は都市をさらに熱くする。 つまり、燃料電池技術によってヒートアイランドは加速し、都市はますます蒸し暑くなる。 こういうのが今後の都市像なのかもしれない。 Planet Ark Environmental News Pictures: Zero Emission Fuel Cell Bus Goes into Service in London
新サイト設置記念?忘れ物
サイトをこっちに移行して初の忘れ物! 最近、あんまり大きな忘れ物してないなーって最近思ってたが、ついにやりました。 僕は今週の始め、仕事で大阪に行っていた。 飛行機は朝8時の便なので、7時少し前に大阪の家を出て、電車の駅まで歩く。だいたい10分ぐらいの距離だ。 駅について、電車を待っていると、相方から電話が。。。 (もしかして、彼女の方は遅刻か?) 相方はいつも、朝の7時前後に家を出て仕事に行くのだが、今日は少し遅れたようで、家を出たときにはまだばたばたと準備をしていた。 「遅刻したー!」 とかいう話なのかな?と思って、電話に出ると、妙に焦った声で 「かぎ忘れてるで!空港に急いで届けるから、待っとき!」 「は?」 結局、鍵は駅に届けてもらい、僕はぎりぎりに飛行機に飛び乗ることができた。 が、鍵を忘れて鹿児島に帰ってきていたら今頃どんなことになってるのか?と思ったらちょっと楽しくない。 予想される結果 1:大阪から鍵が送られてくるまで研究室に寝泊り。 たくさん着替えを買わないと・・・ 2:自宅のガラスを割って部屋に入る。 実は家にもスペアなかったりする。 3:大家さんに謝って鍵をもらう。 「いつもいないねー。どこに行ってるのかな?」とか駐車場のお兄さんに言っているらしいから、また笑われるというか、「大学の先生はやっぱり変わってるねー」とまた言われるから嫌だ。 やっぱり、かぎ、忘れなくて良かった。
マックジョブと多様性
JapanKnowledge「亀井肇の新語探検」より McJobなる言葉がWebstar辞書に採用された。 「技量を必要としない低賃金の仕事で、昇進の機会はまずない」だという。 これに対してマクドナルドの社長が、全従業員の顔をひっぱたくような行為だと公開書簡で抗議したという。 Webstar側は、「様々な出版物の中にこうした使用例が頻繁に認められる」として、この講義に応じる構えを見せない。 どちらの主張が正しいかはおいておいて、仕事のマニュアル化というのは経営者にとっては非常に魅力的な誘惑だろう。多店舗展開を行なううえで、スタッフの質は店の成功を左右する。 そのときに、優秀なマニュアルがあってスタッフを教育することができれば・・・ しかし、マニュアルには、スタッフが備えておくべき最低限の知識であるのか、マニュアル通りに守っていれば良いという行動規範なのか、あるいはこれ以上のことはしてはいけないという裁量の範囲を示すものなのか、という3つの位置づけを与えることができる。 このどれをイメージしてマニュアルを作るのかによって、会社のイメージは大きく変わる。 McJobが暗示しているマニュアルは当然行動規範のマニュアルで、それ以上の行動もそれ以下の行動もスタッフには期待されていない。 まったく同質の店員であればそれ以上もそれ以下も臨まれないわけである。 マニュアルが画一的な基準を示すものとして使用される場合、その仕事は容易にロボットと代替されうる。むしろ優秀なロボットであればロボットの方が望ましい場合も多い。 マニュアルのもとで人間がロボットに負けないためには、自らの個性を消してマニュアル人間に徹しなければならない。 もちろん、このような店は顧客側にとってはあまり魅力のあるものではない。 スタッフが一定水準の能力を備えているのは当然としても、それ以上の能力を持っている人がいない限り「また行きたい」とは積極的に思わない。 落ち込んだ気分の時は、何となく元気をくれそうなあの店に行こうか、あるいは、勉強したいときは静かにさせてくれそうなあの店に行こうかと店を使い分けるときの選択肢にはなりえない。 そして、一旦顧客がマクド離れを起こすと、すべての店舗で同じようにマクド離れが起き、業績の悪化をも引き起こす。 これって何かに似ていないか? 生物多様性を失った農作物が絶滅していく様である。 折り悪しく、山口県で鶏がインフルエンザになったという。 これも同じ種を大量に一箇所で飼うから大規模な被害が出てしまった代表例だろう。 生き物の遺伝子を操作して、画一的な、結果が予想できるものを作る事と、マニュアルで人間を縛り付けることはとても似ている。 環境の変化に対する脆弱性もまた似通っていて、とても怖い。 むしろ最低限のマニュアルを作ってそれ以上は、各スタッフの自由に任せるようにマニュアルを位置づける方が良いのではないだろうか? 生態系の管理の方では、生物がすみやすいようなブロックを利用したり、土手に雑草が生えるようにしたりするなど、そういう試みが多く始まっている。
サーバーのハードディスク入れ替え
以前から異音がしていたハードディスク。 ついに入れ替えを決心した。 でも、どうやって起動ディスクを交換したらうまくいくのか良く分からなくて、何度か再起動しているうちに、今まで使っていたディスクが完全に死んでしまった。 まだ設定途中なのに・・・ そんなわけで、ハードディスクの空きパーティションにKnoppixを入れて起動できるように設定した。 で、十分なテストもせずに、LILOを書き換えて再起動したらまた動かない。 あげくに、うちのサーバーはUSB-FDを起動ディスクとして使えないようで、緊急用のディスクも不発に終わった。 結局もう一度Knoppixを入れて、慎重に設定を終えたのが、午前4時。 (っていうか、今) なんか、もう少しいじらなければいけないんだけど、気力がもうないよ。 ちょっと今日のところは一旦家に帰る。 それにしても、毎度のことながら、システムの引越しは結構手間取りますね。 いつの間にか、このサーバーもCPUが1GHz「しか」なくて、低スペックになってるしなあ。 そろそろ新しく作る潮時なのかもしれませんね。 (VMWAREでWindowsも動かしてるので)
スイス(ジュネーブ)の坪庭
昨年11月にドイツに視察に行ったときの写真です。 ちょっと、街の様子を見に行ったジュネーブの隣町のCourageという街での一枚です。 都市計画の勉強してて、街並みを身に来たんやって話したところ、 「じゃあ、いいものを見せてあげるよ」 って、店の奥に案内されて見た光景。 何でも町ができた頃(17世紀とか18世紀)には治安が悪くて外に出て楽しむことが困難だったそうで、家の内側に庭を造って楽しんだのだそうだ。 この庭は3角形になっていて、庭に面して家の入り口のドアがある。 庭には共通のドア(鉄の柵つき)が一つついており、外からはそのドアから中に入るようになっている。 この庭の場合、各辺で1階と2階に家があるので、全部で6軒の家がこの庭を共有していたという。 なかなか面白いですね。 実は、ちょっと、世界のごみ箱の写真を掲載しようと思ってるんですけど、最初にごみ箱では引くかな?と思ってアップしてみました。
アプリケーションのアップデートについて:CMS研究所 -Blog-
e107というCMSがあるのだが、このアップデート、かなり頻繁なようですね。 12月28日から今日までで5回リリースですか。追従するほうはつらいですよね。 もちろん、バージョンが浅かったり、開発版だとそういうのも仕方がないのですが、本来は、開発版でもあまり不安定なものはリリースせずに、バージョン管理システムであるCVSから直接最新のファイルをとってきてね、という形にしているところが多い。 そして、ある程度安定したものを、「開発版」として公開する。一般ユーザー向けには、安定していて機能追加も基本的にせず、バグフィックスだけを行なう「安定版」を提供する。 こういうのが、最近の傾向だ。 ふと、こういう話をしていて、以前、フリーウェアとかシェアウェアを公開していた時のことを思い出した。 リリースしたものにはやっぱりバグが含まれることがどうしてもあるのだが、個人で開発しているとバグを発見しにくかったり、せっかく機能アップしたのだから、一日でも早くユーザーに見てもらいたいという気持ちからついつい、最新版をテストが不十分なまま公開してしまっていた。 このときも、一ユーザーから公開が頻繁すぎる、ユーザーはバグのテスト台ではないというお言葉をもらって、反省したことがある。 早くリリースしたい気持ちは良くわかるんだけど、やっぱりアップデートにも手間がかかるので、バグ取りは慎重に行ないましょうね。 今は以前と違って、開発チームを組むのも簡単だし、テストユーザーになってくれる人も募集しやすいのだから、余計ですよね。 何はともあれ、takumiさんをはじめとして、日本語化を行なっている方々、疲れてしまわないようにしましょうね。 CMS研究所 -Blog-
アメリカの温暖化防止政策、企業がそっぽを向く
Few Participating In Voluntary U.S. Strategy On Climate Change 米国の温暖化防止政策は、机上の空論に終わりそうだ。 周知のように、米国はブッシュ政権になって、京都議定書に参加しないことを宣言した。その代わりに、京都議定書と遜色ない効果のある方法として、GDP当たりの排出量を18%減らすことを中心とした温暖化対策政策を採っている。GDP当たりの排出量を減らすことは、国全体の排出量を減らすことと同義ではなく、それ以上にGDPが増加してしまえば絶対量すら増加する可能性がある。 実際、米国の二酸化炭素排出量は2002年現在で、1990年と比較して15.8%増加することが予想されている。この間、米国のGDPは年率3%程度ずつ増加しているから、GDP100万ドル当たり18%の削減というのは、事実上、削減になっていない。 さて、米国の政策であるが、いくつかの手法を組み合わせたものになっている。今回報道されたのは、このうちの、Climate Leadersという政策である。CO2排出量を10%削減する企業を募集したのであるが、膨大な数の国内企業のうち50しか参加企業がなく、数値目標を設定したのはわずか14企業であったという。 また、Climate VISONという政策は、産業グループを募集して独自の対策を展開してもらうというものであるが、参加企業は0であった。 考えてみれば当たり前だ。 「自主的に温室効果ガス排出削減に取り組むか、さもなければ京都議定書に参加する(又は、強制的に炭素税に移行する」 という仕組みでもない限り、取り組まないものが得をするシステムだ。 それを前提としたうえでどのように、企業や住民が参加していく仕組み、インセンティブ構造を作っていくのかというのが、政策の役割である。 これでは、米国はやっぱりやる気がなかったんだね、といわれても仕方がない。 米国にできることはいろいろあると思うが、やはり京都議定書の枠組みに戻ってくることがもっとも容易な方法だ。 そうすれば、京都メカニズムも利用できるし、国内企業にも諦めてもらうことができる。 単独(あるいは豪州を連れた)アプローチは、国内企業の説得が逆に困難であり、努力しても成果の出ないことにならざるを得ないだろう。 いつまでも単独行動が認められないことは良く分かっていると思う。イラク問題等と比べれば、米国首脳陣にとっては優先順位の低い政策のはずである。温暖化カードを切って、イラク問題へのより積極的な協力を欧州から取り付けるのはまだ手遅れではないはずだ。 もちろん、温暖化と平和を天秤にかけるのは嫌なことなのだが、我々にとっては、イラク問題に欧州陣営が積極的にかかわることはそんなに問題のあることではない。むしろ、米国とは違った復興のスキームが生まれてくる可能性もあり、歓迎すべきことだと思う。 ちなみに、米国の温暖化防止政策については、公式ホームページがある。
仕事始め
今日から出勤でした。 家の大学自体は8日から授業開始なので今日は学生もほとんどおらず、のんびりとした感じですね。 生協の購買部にあるお弁当も休み期間中は種類が少なくて、外部の業者が作ったお弁当だけでした。 生協の作ったものは少し早めの時間に買いにいくと暖かかったりしてちょっと得した気分になるものなのですが。 いつまでも仕事の多さにめげてへこんでても仕方がないので、今日は思いつくままに仕事をリストアップして、締切日と作業日を切り分けていくという作業を行なった。 本当に良くこんなにやらなければいけないことがあるなあといいたくなるぐらい仕事が多い。 今年度は大学の独法化の関係で2月末までに予算を使い切らなければならないから、3月には事実上予算もなくなり、仕事ができなくなる(はずな)のでいろんな仕事が前倒しになっていることも理由の一つのようだ。 ちなみに、この中には引越しに伴って必要になる作業とかは入っていない。 研究室から資料やなんやらを送ったり、掃除をしたりしなくてはならないから、こんな作業や自宅の引越しも考慮に入れると、のんびりしている暇はあまりないようだ。 本当は3月は有給を使ってゆっくり旅行しようと思っているのだが、それすら無理かもしれない。 だが、有給は労働者の権利ではないのだろうか? せっかく退職するのだからせめて最後くらいは有給を使わせて欲しい。。。 というわけで、今日はかなり仕事をしました。 年末年始呆けてたせいか、知らぬ間頭の回転も戻ってきたようです。 そんなわけで、何だか切れ味の悪い日々とはおさらばで、ちゃきちゃきと仕事をこなしていくことにします。 環境コラムもできるだけ週一で追加して行きたいと思います。