大臣転がし

民主党、野田氏が再選されましたね。 それはまあいいのだけれど、内閣改造もするみたい。 今度の内閣は解散までの短期です。 ということは新大臣の任期は非常に短いです。 それでも、元なんとか大臣と呼ばれるのでしょうか。 大臣というのは国にとってとても大切な存在。 大した成果も残さないのに元大臣って、なんだか違うんじゃないかなあ。 せめて一年ぐらいはつとめないと元大臣と呼ばないようにしてはどうでしょうか。 なんとなく、どの政権も、まんべんなく大臣を経験させるためだけに改造をしていることが多いように思えます。

放置していた自転車を回収したのはいいのだけれど・・・

5月末に事故って、全然とりにいくことができなかった自転車を、今日回収してきた。 この間、一ヶ月と一週間。 自転車に乗ることができなかったので、とりにいけなかったのだけれど、ちゃんといたずらされたりせずにおいてあったことがすごいなと思う。 事故のとき、親切な方が、自転車置き場においておいてくださったのだが、昨日行ってみると、有料の自転車ラックの横において、フェンスにチェーンで止めておいてくれていた。 僕としては、有料のところに停めておいてくれたら、一ヶ月分だろうとなんだろうとありがたく料金を払うつもりだったのだが、一円も払わずに一ヶ月以上同じ場所に自転車がおかれていた。 ルールとしては、放置自転車は定期的に撤去することになっているし、ラックにある自転車も一週間で撤去することになっている。 それが、一ヶ月以上おいておいても、同じ場所にあるというのは、大阪市と駐輪場の管理委託を受けている会社の態勢が大丈夫なのか?と疑ってしまう。 それだけ治安がいいことは良いことだと思うけれど、管理は全然していないことになる。 普段、有料でもお金を払って停めている身からすれば、駐輪場の脇のフェンスにチェーンで停めてある自転車なんて、「最悪!」と思うけれど、自分がそれをやってしまったわけだ。 しかもそれをやっても、誰もとがめない。 ほんとうにそれでいいのだろうか? それとも、助けてくれた方が、管理主体に話を通しておいてくれたのだろうか。。。 自転車がなくなってなくて、いたずらもされていなかったのはうれしいのだけれど、なんだか釈然としない気分だ。

病院は安すぎ・・・るのか

先日けがをして、救急車に乗って病院に運ばれた。 頭部CTと縫合はすぐにしてもらえたのだが、その後整形外科でねんざ等の有無を調べる検査のため3時間待たされた。 仮にも救急患者なのに・・・と思うのだが、そんなものなのだろうか。 まあ、それはいいのだが、それ以後この病院で治療を続けようとするならば、傷の処置(カーゼの交換)のためだけに、毎回数時間待つ必要があるらしい。 しかも、外来は午前中のみ。 あげくに午前中に行っても昼までに終わる保証はない。(というか、終わらない可能性が高い) 仕事に復帰したらとてもじゃないけど通えない病院だと思って、違う病院に通うことにした。 (消毒+ガーゼが嫌で、(創傷被覆材による)湿潤療法をやってくれる病院に行きたかったということもある) 僕は仮にも自分で稼いで、保険料を支払っている。 3割負担だというのはまあいいとしても、現役世代がリタイアした世代と一緒に順番を待つというはおかしなしくみではないだろうか。 ほんとうはこどもだってそうだ。 今保険料を自らの給与から支払っている人は、早く仕事場に戻した方が全体の生産性は上がるはずだ。 なのに、他の患者と同様に並ばなければならない。 ましてや仕事場に顔を出してから、病院に行けば、午後に食い込むことは確実だし、じゃあ午前だけ働いて・・・というと午後は診察していない。 医者が怠慢だといっているのではない。 彼(女)らは、すごくよくしてくれるし、激務のなか、クオリティを落とさないよう懸命にやっている。 それでも一定時間に彼らの供給する医療の量には限りがある。 午前の早い時間だけでもいいから、現役で働いている人、職場に戻らなければならない人を優先的に診察してもらえないだろうか。 僕のばあいは、昨日から職場復帰したけど、講義がいつも午前中にあるから、今までいってた病院はもう行けない。 二週間も休んで、もうこれ以上休講できないし。 なんだか、理不尽な気がしてしまうなあ。。。

東電の値上げが認められない理由

東電の値上げに対して、公聴会で批判が出たようだ。 なかでも僕はこの点が重要だと思う。

 人件費にも批判が集中。東電の一般社員の平均年収は2割削減しているが、なお現在も556万円。従業員1000人以上の企業平均の543万円を上回る。西沢社長は「妥当」との立場だが、「民間平均の400万円程度と同等にすべきだ」との声も出た。

本来、立場上発言には慎重であるべきだと思うのだけれど、ここは一個人として、メモがてら書いておきたい。 電力会社の人は自分たちは私企業でありリスクを負って商売している、だから高給でも何ら問題はないという。 そこには、自分たちの努力で得たお金を給料に回してもいいという考えがある。それは当然だ。 トヨタやパナソニックの社員がそんなことを言えば、「なにを当たり前のことを」と誰もが言うだろう。 しかし、電力会社はそういうことを言える立場だろうか。 企業の努力として三つあげておこう。 汚染者負担原則と利益獲得への努力と技術革新への努力だ。 汚染者負担原則から考えるなら、企業は自分たちの企業活動から発生する汚染を発生させないよう努力する必要があるし、汚染を発生させればその責任を負う。 逆に言えば、その責任を負ったうえで利益が残ればそれをどう処分しようとかまわない。 自分たちの発電所が地域に壊滅的な影響を与えたのなら、その責任は当然、電力会社が負うべきだ。 しかし原発事故を見ても、電力会社はその責任をじゅうぶんに負っていない。 二点目については、業績が悪くなれば値上げすればいいという意味でなんの経営努力も必要ない。 どうやったって黒字なのだから、それを拡大する工夫なんて、努力のうちに入らない。 あげくに、競合はいないし、そういうものが参入しそうになっても、利益の源泉をライバルの参入しにくい家庭用から得ているので、特に困らない。 もしかすると、大口の顧客については、利益が少ない分、他社に撮られた方が都合がいいのかも知れない。 仮につぶれそうになっても、僕らは電力会社がないと困るから、何があってもつぶすことはできない。 それでは最後の技術革新はどうだろうか。 この点も、自然エネルギーの開発は邪魔し続けるし、原発は国任せ、スマートメーターは全然進まない。。。 そんなことを考えれば、電力会社が持っているリソースと比較して、極めて小さな成果しか上げてきていない気がする。 もしかすると、発電機の改善等の投資はしているのかも知れないけれど、「あの巨大な」電力会社のわりには寂しい。 と、こんな事を考えると、電力会社の社員が、民間よりも高い給料というのはあり得ない。 当然ながら、公務員よりも低い価格であるべきだろう。 その中で、重要なポストに就いている人を手厚く処遇するのはかまわない。自由にやればいい。 一般の社員は、そんなに高い給料を得る必要はないはずだ。 東電値上げ:「利益の大半家庭から。認められぬ」公聴会- 毎日jp(毎日新聞).

仕事が一段落

昨年、大学のリエゾンセンター経由で八尾のある企業から委託されていた調査研究の案件が一つ完了しました。 単なる計算しただけに見えるようなレポートになってしまいましたが、けっこうあちこち取材したり、いろいろと計算したりして時間はかかりました。 企業からの委託研究は文系のばあいあまりないのだけれど、たまにはこういうのもいいなと感じた次第。 ただ、正直言って、お金はもらってもあまり使い道がないのが事実。 人件費にもっと使いやすくしてくれるといいんだけど、昔と変わらない、「3ヶ月連続して雇用してはいけない」というしばりが相変わらずある。 人って、例えば一年間を通して雇用するとかいう条件じゃないと、働きにくいと思うんだけれどもなあ。 調査や分析が必要な研究をしていると、助手か研究を手伝ってくれる院生が欲しいなあってつくづく思います。 が、僕の師匠は僕に手伝いを依頼したことは一度もなくて、自由に研究をさせてくれました。 やっぱりそういうのは人に頼もうとせずに、自分でちゃんとやらないといけないんだとも思います。 なお、今回の研究は、紙管がリサイクルできるとしたらどれくらいの経済効果があるのか?という研究でした。 あまりなじみのない「紙管」ですが、サランラップの芯などで家庭でも使われていますし、いろいろなものを巻くのに産業ではけっこう使われているみたい。

農林水産省/「食品産業の将来ビジョン」の策定について

農林水産省/「食品産業の将来ビジョン」の策定について. 父が食品業界にいるので、実は食の問題には関心が強くて、情報を収集している。 そんななかで、今後の食品産業の方向性を農林水産省が打ち出したレポートがあるので読んでみた。 うーん、正直、これって僕にでも今すぐかけそうなビジョンだなあ、というのが一読した感想。 「将来ビジョン」というからには、なにか大きな方向性とそれを実現するための具体的な方策が含まれるのかと思ったのだが、どうもそうでもない。 方向性の方は、6次産業化(1次産業が2次、3次産業と関連して事業化していくこと)によって生産者が付加価値を高めていくことで、現在90兆円規模の食品産業を2020年までに120兆円(年率2%の成長)市場に成長させる。 具体策の方は、上記方向性が現状のままでは実現できない理由が分析されていないので、当然策はなにもない。 僕は1次産業の従事者が6次産業化しなければならないという論調、ちょっと極端なんじゃないかと思う。 1次産業に従事するというのは、製造業やサービス業をやりたくないからという可能性もある。 それなのに、一握りの人が道の駅や直売所で楽しい思いをし、しかもお金も稼げたという経験をしたから、他の人もそうしなければならないという論調だ。 そうではなく、「ちゃんとしたものを作っていれば、ちゃんと暮らせるという安心」が生産者にあることがまず大切ではないか。 ちゃんとしたものを作れば、価格競争で負けてしまい、「これでいいのかな」という疑問を持ちつつ価格を下げるために、今までと違うことに取り組みながらも、やはり儲からない。 そんな経験を繰り返してきた生産者に、これ以上、新しいことをやらなければならないとは、誰が言えるだろうか。 まずは、作ることで安心が得られるという土壌をしっかりと整備すべきではないだろうか。 そうして、そのような人たちが作ったものを加工業者が加工し、消費者が適切と思われる価格を支払うよう誘導することが大切だ。 実現の道はかなり遠いのだが、直接支払制度など農水省はいい政策をやっていると思う。また、社員食堂(職員食堂か?)では、東北のお米を使い、国産の材料を使ったメニューを出していたり、一次産業の安心につながるようなことをたくさんやっている。 もう少しと、農林水産省に期待してしまうのは贅沢だろうか。

新しいiPadが話題になるなか、Sony Tabletを使ってみる

新しいiPad、その関係の人の間では話題になっているみたいですが、周囲(リアルな知り合いとか、Facebookの知り合いとか)からの話はまだ聞こえてきません。 そういえば、周りにiPad持ってる人、2−3人しかいないな。。。 さて、iPadがはやるなか、Macファンにもかかわらず、僕はAndroidタブレットのSony TabletSを買って見て使っています。 これで取材先にパソコン持って行かなくてよくなればいいなあともくろんでいます。 ただ、書く方はそんなに便利じゃない感じなので、出先での資料閲覧に今は使っています。 論文のばあいには、パソコンにダウンロードしておいたPDF版の論文をコピーして(正確には、Dropboxを使ってクラウドにおいたファイルをTitanium mobile Syncでフォルダを同期)、PDFリーダーで読んでいます。 この環境、すごく便利で、もしかしたら、研究室にいるときもこちらの方がいいのかもしれないななんて感じます。 というのも、タブレットを縦に持つと、論文の一ページが表示されるので、それをざーっと読みます。 読みにくいときは、二段組みでさらに拡大する余地があるときは、一段分を画面いっぱいに表示させて読みます。 そして、コメントなんかを書き込んだりしていきます。 パソコンとタブレットの縦置きの違いは、パソコンのディスプレイが横長なのに対して、縦置きのばあいには縦長だということです。 横長ディスプレイが普及したいま、パソコンで「希少な資源」はディスプレイの縦の幅です。 なのに多くのソフトは上部や下部にいろんな情報が表示されます。 これではただでさえ狭い縦の長さがもったいない。 縦の使い方がひどいツールと言えば、MicrosoftのOfficeです。 Wordは特にですが、文書イメージを表示する際、余白なども表示されてしまって、画面を有効に使えない気がします。 そのうえ、リボンというツールバー(これ、最初は嫌だったのですが、今は慣れてけっこう便利ですね)が、上にしか置けません。 そうなると、必然的に文書を表示するスペースが狭くなってしまう。。。 とまあ、こんな感じで、タブレットの縦置きは、9インチぐらいとそんなに大きくないディスプレイですが、長さをうまく使えるので、かなり快適に文書を閲覧できます。 そういう意味では、ネットの閲覧やメールの閲覧がメインでパソコンを使っている人は、いっそタブレットに乗り換えた方が便利かもしれません。 正直、メールとネット(Web)と写真の管理、葉書印刷ぐらいが普通の家庭での使い道だと思います。 そうなると、葉書印刷以外はタブレットでもいいツールがたくさんあるので、パソコンいらないんじゃないかなあ。 スマホの普及でパソコン売れなくなってきた、と言われていますが、機能を絞ったタブレットはまだまだ売れる気がします。

ひとが住み、はたらく場所〜タイ・ミラー財団チェンライ事務所

年度末で、海外に行く予算が残っていたことと、ようやく時間ができたこととで、きゅうきょ、昨年9月に続いてタイを再訪することになった。 今度の目的地は、前回より少しきたのチェンライ。 大阪のワン・ワールドフェスティバルで知り合った立命館大学の学生フェアトレード団体believeが教えてくれた「ミラー財団」という団体の活動する場所を主に調査することにした。 調査自体は、ミラー財団の活動そのものと、彼らの実施する山岳民族の生活を体験し、ボランティア活動をするツアーへの参加、チェンライ周辺のフェアトレード団体の調査を予定していた。 熊本を28日の夜出発し、飛行機を乗り継いで、チェンライに到着したのが29日の10時前。 空港に出迎えてくれた伊能さくら氏と、今日から1ヶ月ボランティアをするという学生と一緒に、ミラー財団の事務所へ向かう。 freespace車に乗ること30分程度で到着したのは、「ムラ」といいたくなるような場所だった。 車を止めた広場を囲むようにいくつかの建物が建ち、広場の端には川が流れ、その向こうの斜面に沿って家がさらに続いている。 地面は舗装されていなくて、人が歩く場所以外は土のままだ。 となりの敷地には馬がつながれているし、敷地内には猫や犬がたくさんいて、牛まで昼寝している。 そして、外に広めの屋根がある建物では、その屋根の下で、数人の女性が何かの作業をしている。 (あとでこれが今回のお目当てである土の笛の製作現場であることが分かった) ここでは30人前後のスタッフと、数人(からときによっては20人ぐらいとか、もっと)のボランティアが働いたり生活したりしている。 食事も定住しているスタッフは自分の家で食べるばあいも多いようだが、ボランティアは食堂で食べることができる。 freespaceボランティアは長期滞在のボランティアと短期滞在のボランティア用の建物が複数あり、グループごとに分かれて暮らすことができるし、スタッフは自分の家を持っている人も多いようだ。 こういう共同生活的な要素を持ったコミュニティにしては珍しく、各人、特にスタッフのプライバシーをちゃんと保てるようなコミュニティになっている。 「共同生活を営むコミュニティ」というと、プライバシーがない気がして、僕は息苦しさを感じてしまうのだけれど、ここではそういう心配もない。 そして、スタッフは独立採算制のプロジェクトを運営し、収入を得て暮らしている。 仕事も当然それに応じたものであるから、各人の裁量の幅が大きいように思える。 田舎暮らしをする人には二種類あるという。 地域との関わりを積極的に求める人とできるだけ関わりを持ちたくないという人だ。 ミラー財団のようなコミュニティが存在すると、前者のような人はかなり自然に溶け込むことができるだろう。 後者の人も、自分の建物を持つ立場になることができれば、コミュニティで暮らすことが可能だ。 後者のタイプは、コミュニティに依存する度合いが少ない一方で、独自にものごとを考える人であることも多いので、うまく活躍すれば、コミュニティに刺激を与え、活性化する役割も担ってくれそうだ。 そういう意味で、いろんな人が入って気やすい、コミュニティづくりのヒントがこのミラー財団のチェンライ事務所にはあるように思う。 ミラー財団のスタッフの働く場所、生活する場所を見て、体験することができたことは、今回の調査での大きな成果だった。 フェアトレードに関して収穫がなくても(けっこうたくさんあったけど)、これだけでも一つの成果といえる気がする。

大学の秋入学

遅ればせながら、東大の秋入学構想にコメントしておこう。 答え:僕の所属する近畿大学経済学部レベルの大学に、秋入学はデメリットしかない。 まず、グローバルな企業で働くとか、留学とかいうけれど、日本の一流大学以下の学生は、海外ですぐに通用するような語学力はない。 だから、最初に向こうで語学研修を受けて、一定の期間語学を勉強してから、企業なり大学なりに入る。 3月卒業だと、秋の授業開始までに半年間勉強する時間がある。 一方、9月卒業だと、その期間がないので、大学に入るまでに下手すると一年間時間がかかる。 たぶん、近大レベルの学生だと、語学研修一年は不要で、半年で十分だと思うから、半年分時間がむだになってしまう。 (企業はそもそも新卒採用ってあまりないと思う) トータルすると、高校を出て、4年半で卒業して、1年間の語学研修だから、高校卒業後、5年半の時間が必要というわけ。 現状だと、4年で卒業して半年の語学研修と考えると、4年半の時間で十分だ。 もし、5年半の時間があるなら(つまり、プラス一年)、最初の半年をむだにせずに、大学での教育に使い、最後のプラス一年を社会を見る時間に使うとか、2年生から3年生に上がるタイミングで一年なり半年なり世界を見る時間にした方がいいと思う。 そういう意味では、高校までが9月卒業になってしまえばしょうがないけれど、高校は3月卒業のままならば、近大は4月入学にとどまるべきだ。 もし、何か他にやることがあるとすれば、入学後の半年間、大学で勉強する体制をしっかりと整えられるように、カリキュラムを整備することだろう。 その話はまたいずれ、私見を述べたいなと思うが、うちではまあ、それなりにやっている気がする。 コンピュータを使った補習授業や、高校の先生にお願いする数学の補習、レベル別の語学学習等々、いろいろあるから。 ※ここに書いたことはあくまでも私見なので、大学として、学部としてどう判断するかは全然分からない。 当然ながら、この発言に対して「公人」としての責任もとれない。 単なる個人の意見だと思ってもらいたい。 ただ、大学でも機会があればこれと同じような発言はしている。 他の大学の動きや他学部の動きのこともあるので、関心ある人は見守っておくというか、何らかの形で(自分の所属する大学や希望する大学へ)意見を表明しておいた方がいいかもしれない。

ちゃんとした書店のない駅はターミナルになれるのか

新幹線開通で観光振興をがんばっている熊本だが、いつも不満に思うことがある。 熊本駅に(そして熊本空港にも)書店がない。 ちょっと時間が空いたときに、最近のトレンドを抑えたいとか、気になってたことに関する本を探そうという需要はあるはずだ。 ビジネスマンなら当然といってもいいだろう。 観光客だって同じだ。 電車のつれづれに、普段読まない本を読もう。 そんな気持ちに応えることが熊本駅にはできていない。 駅にはりっぱなみやげ物コーナーができたけど、そんなもの、観光先で買える。 旅を終えた人が、あるいは仕事で駅を使う人が買いたいものはなにか。 そんなことを、熊本の人たちは考えたのだろうか。 自分たちが売りたいものを並べるのではなく、利用客の利便性を考えて、並べる商品を考えるべきだ。 以下は蛇足だけれど、せっかくなので、書いておこう。 熊本市は4月に政令市になる。 しかし、それは単に人口要件を満たしたたけで、内実が伴ってないのではないか。 政令市は、自ら産業はもとより文化を生み出すことができる都市であるべきだと思う。 そしてその町には、多くの人が交流するだろう。 その出入り口が熊本駅であり、熊本空港だ。 それがありきたりの安物のどこにでもあるみやげ物を売っていていいのだろうか。 九州州の首都にしたいという動きもある。 が、駅がこれでは永遠にむりだ。 誰もこの駅を使いたいとは思わない。 地域の中心になりたければ、駅にましな書店を入れたり、物珍しさではないしっかりした熊本の文化を伝えることだ。 いいものをいっぱい持っている地域だけに残念な思いがある。