通勤

鹿児島から大阪に引っ越して、新しい職場に通うようになって10日が過ぎた。 僕の仕事は他の人に比べると、毎日いかなくてもいいとか、定時にいかなくてもいいってメリットがある。 それでも、通勤に1時間半弱かかるのは大変だと思っていたが、慣れてみると実際にはそれほどでもないようだ。 乗り換えが結構あるのと、本を読んでいれば割とすぐに済んでしまうというのがその理由だ。 この10日間で通勤時間をどう過ごすかというテーマが雑誌で特集されている理由が分かった気がする。 仮に定時で仕事が終わるとすると、会社にいる時間は8時間から9時間で、通勤時間は3時間程度だ。 この時間に仕事をするのもいいし、資格試験の勉強をするのも、眠って疲れをとるのもいい。 いずれにしても、通勤時間は短い時間ではない。 僕はこの時間、何をしてすごそうかまだ決めていない。 ちょこちょこといろいろなことを試しながら固めていこうかなと思っている。 ちなみに、通勤経路すらまだ決まってないから、何をするか決めるどころか、周りを見るのに忙しいってのが正直なところです。

また鹿児島

昨日は、鹿児島で最後のおつとめってことで、シンポジウムに参加してきた。 といっても僕の役割は、見守るだけで、企画段階から運営まで一切口出しなしだった。 Hさん、ゼミのみんな、市民環境会議の皆様、S師のゼミ生、参加してくれた皆様どうもありがとうございました。 で、その後は打ち上げにいったわけですが、いちおう忘れないようにメモしとこう。 今度は粗相なしでいきたいものですね。 「ストームいかせていただきます」 (飲む) 「オス。何とか高校出身」(メーモーン) 「何とか大学卒業、かんとか会社勤務。○○(自分の名前)です」 これはほんと鹿児島ってかんじやねえ。 きちんとやるときは一升瓶を回し飲みなので、ちょっと口を付けるだけで良いそうで、一気とはちょっと違うってことです。 その辺はやはり鹿児島の人って優しいなあって思います。 飲めない人にとっては楽しくも何ともないのは変わりませんがね。 ただ、お酒はやっぱりこういう飲み方ではなくて、ゆっくりとそれぞれのペースで味わって飲む方が良いと思う。 一生懸命、蔵元さんが時間をかけて作ってくれているものだから、それにふさわしい飲み方をしてほしい。 工業用アルコールとかわらない酎ハイとか質の悪い日本酒なら、まあ、どんな飲み方でもいいけどね。 鹿児島の本格焼酎て今はブームだけど、スローフードの一つだから大事にしたい。

新年度がスタート

まだまだ新学期とはいえ、授業も何もスタートしていないので学生がほとんどいないので、大学はガラガラだ。 僕は今日は辞令交付式で大学に行ってきた。 辞令に関して言えば、国立と新しい職場の違いは、国立が「だである調」であるのに対して、近畿大学では、「ですます調」であることだ。 こんなところにも、私学では工夫が感じられる。

なんか、やらんかったら良かった。

鹿大関係日記同好会で話題の腹黒度チェック、やってみました。 ネタ抜きで。 これって当たるんかなあ。 S師も当たるんかな?って言ってるし。 魂の黒さ100%なんて、他に見当たらんし。 シャレやんな? ーーー結果って言ってるーーー あなたの腹黒度は最高レベル【心身ともに真っ黒な人】のようです。 生まれ持って腹黒な気質のあなた。善人のかけらもないようです。 それはもはやあなたのせいではありません。 あなたにとっては自分の欲望に忠実に生きているだけで、自分が腹黒いという自覚さえないかも知れないのです。 しかし広い社会において、あなたの存在はきわめて危険度が高いといえるでしょう。 もはや更生することは不可能ですから、これからも素のままのあなたで生きてください。 魂の黒さ :100% 心の黒さ :36% ルックスの黒さ:9% 輝く白さ :83%

卒業するとはいうけれど

今日は卒業式。 僕も3月いっぱいで退職なので一緒に卒業だった。 ゼミの後輩から先輩に花束が渡されたが、僕もおこぼれで、バラを一輪もらった。 僕のゼミは環境経済学ゼミであるから、当然環境経済学に関する勉強をみんなしてきたわけだが、どれぐらいみんなの頭に環境経済学が残っているだろうか。 環境経済学というよりはむしろ、環境政策という印象の強いゼミだったが、このゼミの卒業生としてそれぞれの生活の中で勉強の成果を生かしていくことはできるのだろうか。 卒業というのは一言でいえば、「免許皆伝」ということなのだろう。 もちろん、日々精進を続けていかなければならないのは、その道の達人になればなるほど不断の努力をしていることを見てもわかる。 それでも、師匠として弟子に伝えるべきことはすべて伝えたといえるだけのことをやったという意味での卒業のはずだ。 弟子はもちろん達成感でいっぱいのはずだが、師匠にしても伝えるだけのことは伝えきったという満足感を持って「卒業証書」をわたすのであろう。 僕の中に、学生に伝えたいことというのはあるか?これを伝えれば十分ということはあるか。 僕がやっていたのは単に、学生のそばについて勉強を手伝い、卒業の時が来るのを待っていただけなのではないだろうか。 学生は明日から一本立ちできるか。 そんなことを卒業の意味を考えると思った。 鹿児島に来て初めて「先生」になり、いつしか5年が経った。 5年の月日というのは長くて、一番長かった大学時代も4年、2年、3年で区切りがあったから、こんなに長く一つのところにいたのは初めてだ。 それだけに、自分の中にもっと大きな達成感があっても良いのではないか、こんな程度で満足していてはと、思うのだが、それはただの感傷かもしれない。 少なくとも学生が精一杯やってきたことは僕がよく知っているし、自分自身もできるだけのことはやったと思う。問題があったとすれば、僕が教師として非常に経験不足だったこと。 今の自分ならやれたことでも、きたばかりの自分にはできなかったこともたくさんある。 5年の月日を思い返すと、数えきれないほど楽しいことがあったが、反省することもどうやらたくさんある。

トカラに経済は無い?

小規模な地域の活性化とか自立を最近はずっと考えているが、トカラ列島(十島村)の中之島に行ってカルチャーショックでした。 人口200人弱、世帯数100前後というこの島、お店が1軒だけ。しかも、夕方の5時から7時までしか営業してません。 観光施設も特に無いから、島内でお金を使うのは民宿の滞在費とか、そこでアクティビティだけです。 島民も買い物は商店でやるよりは個々に鹿児島市から通販で商品を取り寄せるのだということです。 もちろん、近所で物々交換は行なわれているようですが、こういう場所を現実に見てしまうと、経済ってなんだ?ってやっぱり思ってしまいます。 エコって観点から考えても、一箇所やばい場所を発見しましたが、それ以外は自然の復元力の猛威に抵抗を試みているという印象を受けてしまいます。 道路も畑もすぐに自然に戻ってしまうようです。 がけ崩れで通行止めになったといわれた道路を見に行きましたが、ただの原生林にしか見えませんでした。 かろうじて道路際の溝の跡が往時をしのぶ痕跡になっています。 僕が経済学者として考えなければならないのは、それでもこの島に住みたいという人がいるという事実です。 この問題をきちんと体で感じているかどうかというは学者として生きるために、非常に重要なことなんだろうと思います。 そんなわけで僕はもう少し島通いを続けたいなと、思います。 新しい職場に行ってしまえば、そんな時間ないかもしれないけどね。

トカラ列島に出発

今、午後10時だが、まだ研究室にいる。もう少ししたらここを出てトカラ行きのフェリーに乗る。 向こうに着くのは明日の早朝だ。 それから、来週の水曜の昼までボーっと過ごすのが今回の企画だ。 トカラはダイビング天国だし、釣り天国だ。 でも、何も準備しない。 本だけたくさん用意してある。 ひそかに焼酎を今から買いに行こうかなと思ってる。 何となく、旅にはジンロかな。 小さいのだとちょうどジャケットのポケットに入るサイズだ。 海辺で一日飲むには少し少ないけど、ちょうど旅のお供になる。 ほんとはこういうときにおすすめなのは、魂麹っていう岡山さんご推薦のトウモロコシ麹で仕込んだ芋焼酎。 一本しか買えなかったけど、マジでうまい。 ポケットに入るように、もう少し小さいボトルに入ってたら絶対に旅焼酎です。 あの辛さと香りはどこかでじっくり飲むのはもったいない。 外気に触れた開放的な雰囲気とぴったり合う。 まあ、そんなこんなで、久々の「旅」だ。 とても楽しみです。

家庭ゴミ持ち去りは窃盗…横浜市で4月から告発可能に

横浜市で集積所に出された家庭ごみを市の所有物にするという条例が制定された。 杉並区などでは、すでに資源ごみについては所有権を設定していたが、家庭ごみについてははじめてらしい。 ちなみに、僕自身は資源ごみの持ち去りについては、占有離脱物横領罪を適用すべきな気がするが、解釈をごちゃごちゃいじるよりは、法的に明確にするということの方がベターなので、こういった動きは歓迎したい。 ---引用---  横浜市の条例で対象とするのは原則、決められた曜日の午前8時までに、集積所に出されたゴミ。収集日前夜に出されたゴミも対象とし、被害が度重なる場合は市が見回るなどの対策を取り、告発も検討する。 (Yahoo!ニュース - 社会 - 読売新聞社) ---引用終わり--- 家庭ごみと資源ごみでは、それに窃盗罪を適用できるかどうかは実はかなり開きのある問題だ。 まず、資源ごみは、回収して売るところに売れば、キロ数円~数十円になる。自治体は、その価値を認識して「資源ごみ」としてわざわざ回収している。 そう考えると、もともと資源ごみの持ち去りは、きわめて「窃盗」あるいは「占有離脱物横領罪」を構成する可能性が高く、グレーゾーンであったと言える。 だから、資源物の持去りを窃盗罪としても、そんなに問題はないだろう。 それに対して、問題は家庭ごみだ。 家庭ごみは、回収しても売ることは出来ないし、回収して処理するには逆にキロ当たり数円のコストもかかる。 すなわち、窃盗しても盗まれた「財」の価値がマイナスの価値しかないということになる。 これを「窃盗」で取り締まるということは可能なのだろうか?有罪にしたところで、微罪で終わる恐れもある。あるいは、「保護法益が極めて低い」として、不起訴になることも考えられる。 すなわち、家庭ごみの持去りは本来窃盗罪とはまったく関係が無い問題ではないだろうか。資源ごみについて窃盗罪を適用する自治体が増えているから、家庭ごみもというのは安易に過ぎないか。 (新聞記事だけでコメントする俺の方が安易か?論文じゃないから許して。そのうち、きちんと調べるから) 家庭ごみについては、むしろ、「ごみ持去り罪」という社会的法益を守るための法律を制定して対応すべきではないだろうか。 さて、ここで問題がいくつか発生する。 まずは、ごみを持ち去ることが窃盗罪なら、粗大ごみや資源物の集積所においてある「まだ使えそうなもの」を持去ることもだめなのだろうか? 捨てた側にとっては、「いらないけど、知らないやつに使われるのは嫌だ」という人もいるだろうし、「使えるんならどうぞ使って」という人もいるだろう。自治体はたぶん、「この法律で意図しているのは、空き缶やびんなどの資源物だ。使える家具や電気製品は持っていっても構わないのでは?」という見解を示しそうな気がする。 このとき、捨てた人は、持去った人を告訴できるのだろうか?もしそうなったとしたら、怖くてごみ置き場には近寄れない。。。 もう一つの問題は、ごみを捨ててから、「あっ!あれ、間違って捨ててしもた!取りに行こう」といって、ごみ袋を開けた瞬間「御用!」という結果を招きはしないか、ということ。 自分のものって後で証明は出来るだろうけど、朝のめちゃくちゃ忙しい時間にそんなことでクレーム付けられたらたまらない。 ・・・普段から近所の人と仲良くして顔見知りになっておくことが対策かな。だとしたら、ごみ持去り窃盗罪法は、近所の絆を強めることに貢献するのかもしれない。 ごみの価値は?って問題をもうちょっと考えてみる。 住民の不安として、「ストーカーがゴミ袋を開けて下着などを持っていかないか心配」があげられてる。 なるほど。 確かに有価物になるかも。 これに対して有価物にならないのは、 「思い出の写真」 とかだ。 売っても客観的な価値は無い。 ただ、こっちはプライバシー権で保護されるのかな? 「外から見えないごみ袋に入れて捨てているから、プライバシーを放棄したわけではない。」 あるいは、 「すぐに破れる可能性のあるビニール製のごみ袋に入れて、公の場(ごみ集積所)に放置したのであるから、自ら公開したものと考えることが出来る。すなわち、この場合にはプライバシー権は放棄されたとみなせる」 となるのかな? と、結構面白い話がいろいろとありますね。 大学生は、「判例マスター」とかが図書館で使えるのでいろいろ検索して裁判例を探してみるのも面白いかも知れません。

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ときどきはPRも必要かな、と思って登録してみました。 まだ、鹿児島は二人目なんですね。。。 もっと、鹿児島からの発信が増えるといいなあ。 といいつつ、もうすぐ鹿児島は独りになるのかな(意味深なような、ネタバレなような) d-s-j

騒音公害

騒音公害というものは、非常に主観的な問題だけに、調停に際する問題の特定と対処方法の判断が難しい。 一番簡単なものが、道路や工事などの騒音なのだが、それにしても、どの程度であれば騒音といえるのかという認定の問題が非常に困難だ。 ほんのわずかな遮蔽物があるだけで、騒音のレベルが変わってしまうためである。 物理的な要因以外に騒音公害を難しくするのが、先に触れた、騒音公害が主観的であるという点である。 同じ音を聞いても、うるさいと感じない人と感じる人がいる。 例えば、普段僕が研究室にいるときに、外で学生や教員が話している声や時折あがる笑い声などは特に気にならない。 しかし、低音で響くモーター音や救急車の音には一度で集中を乱されてしまう。 実は今、僕の部屋からは二つの「気になる音」が聞こえる。 一つは、家の向かいに住む「牛」の声だ。 たぶん、出産が近いのだろう、「モーッ」と30秒ごとぐらいにないている声が聞こえる。 (子牛が生まれたら見たいな) 母牛と同じような苦労しなのだろうかなどと思いながら、ついつい気になってしまう。 もう一つの騒音は隣りの家のけんかの声。 「誰がこの家のお金を稼いでいると思ってるの?お父さんでしょ」 と、お父さんらしき人の声が聞こえたり、 「もう、いい加減にしてよ!同じ話ばっかり」 というお母さんらしき声とか、 「誰に向かってそんな口聞いてるの!謝りなさい」 というお父さんが息子(中学生ぐらい)に何度も繰り返す声や、泣き喚く息子の声。 (頼むから、押入れの中から眺めてみたいなー) と、つい思うぐらいの絵に描いたような家族けんかだ。 ・・・ここであげたのって、騒音公害というよりは、「気になる物音」というものかもしれない。