新規カテゴリー追加

風邪ひいて寝込んでます。 こんなときは一日中食べ物のことばかり考えてしまいますので、近所の食べ物屋を紹介するカテゴリーを追加することにしました。 このカテゴリーでは僕が普段食べにいっているお店を中心においしいお店、おいしいものを紹介します。 エリアは基本的に宝塚駅周辺から箕面にかけてです。 宝塚南口とかにも最近はちょっぴり進出中なので、こちらもおいおいと紹介できると思います。 あと、ほんとにいい店があれば梅田周辺も紹介しますが、この辺は他に紹介しているサイトがいっぱいありますからね。 宝塚の食べ物屋って、ほんとに外れが多いと思います。 たぶん、ここは今は亡き宝塚ファミリーランドに来るお客さん相手の商売で成り立っていたから一見さん相手の商売だったからなんだと思います。 ちゃんとした固定客をつかもうと思えば、もっと努力するはずですからね。 まあ、そんなわけでまずきちんとしたものを食べたければ駅の山側、線路を渡った辺りにある食べ物屋さんが当たりです。 ここは何処に行っても今のところはずれたことがありません。 まあ、そんなわけでぼちぼち追加していきますので、宝塚周辺に来られたときは是非立ち寄ってみてください。 (追記:結局あまりたくさん紹介しないようなので、カテゴリ、削除しました。)

忘れたよ!

何年も日記を付けていると、毎日書くどころか、1日に二つも三つも書きたいことがある時期と、10日ぐらい平気で更新しない時期があります。 それでもどうにかこうにか、ここまで続けてこれているのですが、あまりに反響がないとモチベーションが低くなってしまったりもします。 ただ、そういうのはサイトの運営自体をどうするかという問題であって、日記を更新するかどうかとはあまり関係がありません。 僕の場合に更新が滞るのは、どうしても書きたい話があって、それをどう書こうかと迷っているときです。ちゃんと書きたいと思うとなかなか筆が進まず、さりとてその間に別のどうでもいい話を書くぐらいなら、大事な話に時間を割きたい、そんな感じです。 実は、Nucleus(このページを作っているスクリプト)には、ドラフト機能というのがあって、別に文章を一気に書かなくても、少しずつ書きためておける機能がついています。 そこには、書きかけてうまく書けなくて放置されている文章が結構溜まっています。 いずれは何とかしたいのですが、文章は一朝一夕にうまくなるわけではありません。当時書けなかったのにはそれなりの理由があり、その問題が解消されない限りはずっとドラフトのままということになります。 いや、そろそろ今回、更新が滞った理由をちゃんと話しておきます。 先日、電車にかばん忘れました。 電車を降りて、乗り換えて、職場の最寄り駅で降りるときに、気付きました。 「あれー?俺、今日手ぶらやったっけ・・・」 改札まで歩くうちに、環状線に忘れたような気がしてきまして、かばんの中身を考えるうちにだんだん、気分が落ち込んできました。 僕は中学と大学、大学院(修士)と、9年間電車通学をしてきました。その間、傘を忘れたり、定期の期限が切れてたから日付を隠して乗ったり、乗り越したりしたことはありました。 初めて乗り越したときには、はっと目覚めて、「ここどこ?」みたいな感じで、思わず電車を降りてしまったこともあります。このときは、しばらくしてやってきた電車に頼み込んで乗せてもらった覚えがあります。中一の頃です。 ちょうど今、テスト期間で同僚と、テストの部屋に学生証とかマフラーとかの忘れ物が結構多くて、「なんでそんなもん忘れるのかわからん」と話していたところでした。 かばん忘れた日は本当に落ち込みました。 なんか、大事なものをなくしたショックよりも、かばんみたいに大きなものを忘れて来るというそのあほさ加減に落ち込みました。 でも翌日かばんはそのままの形で戻ってきて、事なきを得ました。 お金を貸してくれたK氏、金融機関への連絡を手伝ってくれた相方さん、親切にかばんを保護してくださったJRの方々に感謝します。 やっぱ日本はいい国やなあと実感しました。 よし、がんばって採点するぞ!

試験終了!

職場での試験が終了しました。 といっても、一部の学生はまだ来週の火曜まで残ってます。 少なくとも、僕に関しては、自分の講義の試験も試験監督も終了という意味です。 毎日数時間立ちっぱなしで監督というのはつらいものです。 足腰がとにかくしんどい。 慣れないせいもあるのでしょうが、立ち仕事の方々をちょっと尊敬してしまいます。 この時期は想像以上に仕事が混んでいて、なかなか休めません。 現に先週の週末は入試の監督で出張でしたし、今週は某大学院生の指導で週末はお仕事です。 来週はようやく少し時間がとれそうなので、溜まっている自分の仕事を何とかこなしたいと思っています。 さて、試験の方ですが、提出された解答用紙をちらちらと見ているとやっぱり笑ってしまいそうなのがありますね。 以下に深刻なのかは知りませんが、記述式の問題で、問題の答えは書かずに、「4年生で就職も決まっているので何とか通してください」とか書いている人とか。 ・・・通るわけないでしょ。せめて何か回答らしきものをがんばって書いたという姿勢があれば考慮の余地もありますが、全部お願いなんて。。。 まじめ(?)な回答でも純粋にとぼけてるのもありますね。 以前見たやつでは、企業の環境汚染への対応という問題で、「泣き寝入りするしかない」という回答。 気持ちはめっちゃわかるよ。 でも、泣き寝入りしないためにもちゃんと勉強してるんちゃうんか?とつっこみたくなりました。 そう言えば、僕も4年生の最後のテストの後、先生二人にお願いしましたよ。 あっさり断られましたがね。 だって、テストの日に初めて先生の顔を見るようなやつ、通したくなるわけがない。 実際、いろいろやらなきゃいけないしごとがあるのに、そんなことで自分の時間を使われてしまうのはちょっぴり苦痛だったりします。 ですから、僕に関してはお願いモードはやめてくださいね。 逆に、「そんなに邪魔したいんやったら、あと一年やれ!」ってことになりかねませんし。 あ、僕はお願いしに行った単位、なぜか両方とれましたよ。

ごみの環境経済学最終稿

ただ今、最終稿の校正中です。 といっても、大まかには編集者さんがやってくださっているので、僕は最終チェックと索引づくりです。 最終チェックというのはつまりは後でもぐだぐだ文句を言わないように、ミスの責任は自分でとりなさいよ、と言われているのだと解釈しています。 原稿自体を完成させてからしばらく経つと言うこともあり、もはや後悔にさいなまされつつ次回作の構想(次はこんなにすごい企画でやるぞ!という妄想)を練っています。 実際、一回本を書いてみると、本を書くことの大変さが身に染みると同時に、普段からどういう準備をしていると良いのかもある程度分かった気がします。 本が売れても、こういう学術系の本の売れ行きというのは1年で1000部売れればかなり成績がよい方なので、印税収入というのはほとんどありません。 (1冊2000円で印税10%かける1000部=20万円なので、かけた努力と比較するとマクドでバイトした方がましかもしれません) それでもやはり本が売れると言うことは自分の話をそれだけの人が聞いてくれると言うことなんだと思うととてもうれしいことです。 僕に言ってくだされば送料ぐらいはサービスしますので、買いたい人はぜひ、家族の分、ご先祖様の分、まだ生まれてこない孫・子の分までまとめてご注文ください。 ちなみに何でご先祖様とか孫・子の分まで買うのかというと、環境経済学というのは結局世代間をつなぐ学問だからです。 僕たちが今享受している世界というものは、素のままの地球環境・生態系と人間がコラボレーションで作り上げてきたものです。このような世界を次の世代に渡してあげたい。 我々が受け継いだものの価値を認識するための手法と後世代に受け渡す方法や社会を提案するのが環境経済学の仕事です。 今回僕が自分の本にすでに不満が出ているのはこの辺りがやはりまだ不十分にしか書けていないからです。 最近、古典と呼ばれる本を読み始めました。 意外なおもしろさ、深さにはまっています。 さすがに何百年、下手すると2000年以上生き残ってきた本は違います。 何故もっと早く読んでおかなかったんだろう、と少し後悔しながら読んでいます。 僕たちが考えていることがすでに何百年も前から考えられていて、様々な実践も成されて居るんだと言うことを知ると、今まで歴史嫌いを標榜していた自分がちょっとかわいそうになります。 「こんなにおもしろい本がたくさんあるのに、食わずぎらいだったなんて。。。」 環境経済学のテーマに正面から取り組むにはまだまだ僕の知識や経験は不十分です。 読みたい本がたくさんありますし、見に行きたい取組もたくさんあります。 同世代の研究者やNPOでがんばっている人たちと比べると自分の知識や取組が情けなくなることも多々あります。 だけど、この本を書かなければ自分が取り組んでいるものに対する自分の位置づけを客観視できなかったのも事実です。 同時にどれだけ勉強したとしても、ゴールにはたどり着けないのだと思います。 より良い環境経済学の構築というのは、僕自身のライフワークになりますので、次に書く本は今回よりも良いものになるでしょう。 何というか、今僕に書ける最大限のものがその最新の本には込められているということになります。 そして、最後には僕自身の到達点を次の世代に受け継ぐことも重要です。 ちょっと、お酒と自分に酔っている感じですが、本の前書きになりそうな部分をここに書いておきました。 本には恥ずかしくて書けなかったので。。。あちらの前書きはもっと堅苦しいものになっています。

流出してもいいメールアドレス

懸賞とかヤフオクとかでものを買うときに個人情報が流出してしまうという不安を多くの人が持っているようです。 僕の場合は、「怖い」というよりもいらんメールがたくさん来るようになるので、メインのアドレスがごみメールであふれてしまって「使い物にならなくなる」ことが一番嫌です。 かといって頻繁にアドレス変えるわけにもいかないし・・・というばあいに使われるのが、人に知られても、売られても構わない、いつでも廃止に出来るメールアドレス(アカウント)です。巷では捨てアカとかいわれているものです。 これをNTT情報流通プラットホーム研究所が一般の人にも利用できるようにしたサービスが、ただ今、実験中です。 privangoメールサービス。 便利そうな気もするけど、いちいち使い分けるのも面倒だし、実質的には一つだけ使ってしまって、「やっぱりこれを廃止したら使いにくくなる」なんてことにもなりかねない気がします。 僕にとってメールアドレスって住所とか電話番号以上に昔の友人から連絡が来る可能性が高いIDになっています。 見知らぬ人から仕事のメールが来たりもします。 メールアドレスはやっぱり住所代わりなので、変に送信者を限定するような形のブロックは使いにくいです。 そもそも、普段使っているアカウントがいらんメールであふれてしまうこと自体やっぱり問題じゃないかなあ。。。 これって、結局spam送るのが事実上無料だからなんですよね。 メール一通送信するごとにいくらっていう感じで有料にするとかにすれば、もうちょっとましなメールだけが来るようになるかなあ。 悩ましいです。 やっぱりベイズフィルターにがんばってもらうのが一番かも。

過去の日記を移動しました

実は2000年の4月から日記を書いています。 それ以前はWebページで「一言」みたいなコーナーがあったのですが、それを独立させ他ものが始まりでした。 最初は、Webdiarioというツールを使っていましたが、やがてnDiaryというRubyで動く日記スクリプトにしました。これは今でも結構人気のあるツールです。nDiaryは、サーバー上にはhtmlファイルだけをおいておくことが出来るもので、手元で日記を書いてhtmlを生成し、それをサーバーにアップロードするという手順を踏みます。そのため、サーバーでスクリプトを動かす必要がないので、どのサーバーでも使えるという大きな利点があります。 その後、何となく、現在使っているnucleusに移行して、現在に至ります。 Webdiarioの時代が2000年4月から2001年5月の頭までで、その後2003年12月までがnDiaryです。 今までも左の「日記達」のところに「坂田(旧)」としてnDiaryで生成したものは置いてありました。そして、この度、Webdiarioの分のログを偶然発見したのでデザインも本ページと統一して、インデックスを付けて公開しました。 ぱらぱらと読んだ限りでは、過去の日記読んでしまうと同じネタを二度使わない!なんて言ってると何も書けなくなるなって感じです。さすがにこの5年間でかなり僕自身まるくなったかんじもしますねえ。 最初の頃は特に言いたい放題って感じ。 ま、暇なときにでもご覧ください。 ちなみにこの移行は、昨日一日かけて二種類の日記データを本ページと同じスタイルシートが使えるようにするための変換スクリプトを書いたものです。 もっと気合いがあれば、nucleusにデータごと移行することも出来るのかも知れませんが、なんだかそこまでする気合いはありませんでした。 (そもそもnucleus自体いつまで使い続けるかは疑問)

76650

人生75年ー。 その中で僕が最も重要だと思っているものを数えると、冒頭の76650という数字になる。 これは食事の回数だ。だいたい6才ぐらいからはちゃんと味覚が育っているだろうから、食事をちゃんと味わえる期間を70年として、それに一日3食をかけてみた。 食事をするのは毎日のことだから、日々を過ごしている中では一食一食はたいしたものではないような気もする。Ramen Bankに収録されている全国のラーメン店の情報(2002年とちょっと古いが)が13457軒なので、週に1回ラーメンを食べに行かないと追いつかない計算になる。 もちろん、これ以外にパスタも食べなければ行けないし、うどんもそばも食べなければいけない。さらにまいにち麺類だけではだめだ。中華料理もフランス料理も、和食も、もっと庶民的なところでどんぶりものも食べたい。 (ついでに、愛妻弁当とか、おふくろの味とか、自作の料理とかも) 健康のために朝食を抜くことも、「食べずに我慢する」という意味で、やはり食事というか、記憶として重要だ。 なんでこんな話をするか。 今日の夜、仕事帰りに最寄り駅の宝塚ソリオで食べたとんかつがまずかったから。 ソリオの中のトンカツ専門店。 むかつくぐらいにまずい。 おまけにロースカツ(店で一番安い)が1100円もする。 1100円という値段で期待して注文したトンカツ定食が200円ぐらいの味だった場合、お金を返してもらえるように請求できるのかな?>法科大学院に通っているO君 それに比べて今日の夜家に帰って食べた「らでぃっしゅぼーや」から宅配されたいちごのおいしかったこと。 いつも相方の実家で畑で直接採って食べてるから、「ああ、いちごね。おいしいよなー」とかいいながら食べた。 「なにこれ?」 相方と二人で思わず顔を見合わせてしまった。 しゃきしゃきの果肉で、ちょっとミルクっぽい香りとコク。 こういういちごは初めて食べたかも知れない。 おいしいものを食べると、「どこで、どんな人が作ってるんだろう、どうやって作ってるんだろう」とかすごく興味がわく。 ちなみにこれ、減農薬だけど無農薬ではないらしい。 茨城県産だから露地栽培でもなく、たぶんビニールハウス。 ほんとに、いったい何が違うんだろう。。。 僕は数少ない食事の時間、できるだけいい思いをしたいと思うし、死ぬときに 「あれが食べたかった。。。」 といって死ぬのはちょっぴり嫌だ。 だから、食事はできるだけ厳選したいのだが、おいしいものに出会うためには冒険しなければならないのも事実。 まだまだこれからもまずい店にも出会わなければ行けないだろうと思うけど、挑戦するのもやめられないのが食いしん坊の悲しいところだ。 (もっと悲しいのが、まずい飯に出会ってももったいなくて残せないこと。その後にどうしても悔しくてもう一食食ってしまいがちなことだ。)

Linux magazine休刊

もはや10日前の情報ですが、Linux magazineが来月号で休刊だそうです。 1999年から3年ほど買ってたかなあ。。。 なんとなく、当然といえば当然の成り行きかな。 この雑誌はLinuxというOSの活用方法を紹介した内容のものでどちらかといえば初心者を対象としたものでした。 ただ、Linuxの世界にこのぐらいの初心者ってほんとにいるのか?とちょっと疑問を持ちたくなるようなレベルの記事が結構ありました。 Linuxの初心者というのは、Windowsなんかの経験はかなりある人でそれよりも「より高度な何か」を求める人だと思います。こういう人とパソコンの初心者とを混同してしまっているような感じ。 さらに言ってしまえば、記事の内容も深みにまったく欠けて誰でも書けそうなものが多いから、最初の1年分を買ったら2年目からはもういらないかなと多くの人が思ってしまう。ただし、コラムや一部の最新技術の特集記事は面白かった。このあたりの解説の高度さも対象者が明確ではないという印象を受けました。 で、読者がどんどんLinux magazineを卒業する一方で、市場にLinuxの初心者が最近ではそんなに参入してこないからみんな卒業してしまって、買う人もいなくなってしまった、というところで今回の休刊となったわけなのでしょう。 ツールとかソフトとかの活用記事はだいたい次のようなスタイルが多かったです。 1.概要と歴史 2.ダウンロードの方法 3.インストール(アーカイブの解凍と./configure, makeよくてパッチの当て方とか) 4.設定 5.ちょっと使ってみた印象 だいたい10ページぐらいのきじでも、1-4でほとんどのページを使ってしまっていました。こんなのWebサイトとか付属ドキュメントで得られる情報ですよね。 「今はこれが熱い!」って書いて、Webページ載せれば半ページで終わる記事に10ページ使うから面白くないのも当たり前かもしれません。 そろそろLinuxとか*BSD、UNIX関係の記事、「1-4はドキュメント読め!わかりにくいのはここだからここだけ解説するぞ」っていうスタイルに変わったほうがよいと思います。 じゃないと、どんどん廃刊が進むのではないでしょうか。

情報収集更新

久々に坂田のWikiの情報収集のページを更新しました。 今回は、今までの新聞や雑誌検索に加えて、書籍、航空券、経路探索、家電の横断検索サイトを追加しました。 いずれも僕が普段使っているものなので、時間があればさわってみてください。 ついでにもっといいサイトとか、別分野の横断検索サイトがあれば教えて頂ければ助かります。 坂田のWikiは、「MacOSXで快適環境を作る」というテーマで主に書いていますが、講義関係の情報も掲載しています。今回更新した「情報収集」も学生の皆さんに見てもらえればと思って書いていますが、一般の方もどうぞご利用ください。 最近は、CarbonEmacs関係の情報ばっかり集めてるのでそれ関係を結構追加したんですが、しばらくは環境関係の情報収集方法について充実させたいと思っています。

Mac miniが出た!

アップルから一辺16.5センチ、高さ5センチで価格が58,590円のマシンがリリースされました。Windowsユーザーを一気にMacユーザーに引き込もうという戦略だといわれています。ディスプレイ、キーボード、マウスは別売りですがWindows用(USB )のものがそのまま使えるので現在デスクトップのWindowsマシンを持っている人にとっては本当に58,590円でMacユーザーになることが出来ます。 多くのMacユーザーは、なにが悲しくて純正以外のディスプレイやキーボードを使わないといけないんだ!それなら俺は買わない。なんていうレビューを書いている方もいらっしゃいます。 確かにそれはそうかも知れませんが、僕のように長年Windowsを使ってきた人間にすれば、確かにMacのデザインはすぐれているからトータルでコーディネートしたくなるのも分かりますけど、現在持っている周辺機器もやっぱり使いたいところです。 現に僕は基本的にノートユーザーですが、家にディスプレイとかキーボードなんて余ってますもん。これ、使えればうれしいですよ、やっぱり。 それに、僕はやっぱりMacOSXに惹かれているのであって、マシン自体はそんなに評価してませんしね。(PowerBook、重いし、おとしたら曲がるし。T_T) 性能も出来れば無線LAN(AirMac)とか、メモリを多めにとか思いますが、デフォルトのままでも十分動きます。Photoshop使いたいとか言う人は、仕事で使うんならもっと高いマシン買いなさいって。 Windowsって、最近あまり進化してなくて、Windows98SEとか現役で使っている人とか平気でいますよね。 そういうマシンって下手したらもう5年ぐらい使っていることになります。 別に98でも困らないし、最新マシンはムダに性能高いだけで、普通に使うんなら全然必要ない機能とスピードばっかり向上しているので、そんなに買い換える必要性もなかったかも知れません。 でも、そろそろ壊れ始めるのも事実。 あるいは、再インストールで直るかも知れないけど、インストールディスクなんてもう見つからないとかもあるかも知れません。 そんな人を正面から狙ってるのがこのMac miniだと思います。 本体だけ買えば、後は今あるものがそのまま使えるんですから、安いものですよ。 ちなみに僕は、重さが1.3キロということに着目して、大学の研究室において、授業の時なんかに持ち歩いて教室で設置・プレゼンという形態もありかな?と考えたんですが、さすがにキーボードが外付けなだけにそれはつらいかも知れません。 でもMac歴10ヶ月にしてすでにMacファンなので買ってみたいなあと思います。PowerMacは高すぎて買えないけど、これなら二つぐらい買えるし。。。 ちなみに、WindowsユーザーでもMacユーザーでもない方。 というか、今、パソコン持ってない人はどうしましょうか? 価格.comで調べたところ、22000円台から液晶ディスプレイは売っているようです。 (23,000円台出せば飯山のが買えるみたい。やすくなりましたね) キーボードとマウスは2千円も出せば何とか買えます。 そんなわけで8万5千円ぐらいでフルセットそろいます。 Windows使ってる人もマシン持ってない人も、(LinuxBoxな人も)、Mac mini買いません?