こうさぎ15日目です

day15

だんだんうさぎっぽくなってきました。 今日は16日目で、5匹一カ所に固まるのではなく、それぞれがケージの中の好きな場所を占めて寝ています。 まだ、動きは活発ではないようですね。 写真は、15日目のものです。ちょっと圧縮しすぎかな? ケージの中のこうさぎの写真撮るのはなかなか難しいです。 あまり脅かしてしまうのもかわいそうですから、フラッシュもたけませんしね。 こんなとき、一眼レフがあればなあ・・・とちょっと親ばか気分です。

欲しいものを買うと世界がよくなる仕組み

僕も多少手伝いをしていた、膳(Zen)というWebショップがオープンしました。 この事業は、いのちを大切にする仕事づくりを目指すスロービジネススクール(スロービジネスカンパニー)と、コーヒーのフェアトレードを手がけるかたわら、福岡県の赤村でスローカフェ「クリキンディ」を運営するウィンドファームのコラボレーションです。 膳の商品は、買い物をして使うことで、世界がすこしずつよくなる仕組みを持っています。 それは、使っていると環境に優しいといういわゆるエコ商品というだけではない仕組みを持っているという意味です。 商品というのは製造段階で、資源やエネルギーを使い、人手が関わるものです。 その原料がいいものであるのは当然なのですが、原料の採掘や栽培・採取の際に環境への負荷が少ないものをできるだけ使用するようにしています。 また、人手の面では、フェアトレードや、関係者がいろいろな縁でつながりのある人が関わった商品を買うようにしています。 だから、膳の商品を買うことで、膳が応援したいと思う人を消費者が応援することになります。 この行動って、自分のことだけではなく、世界のことも考えるという意味でまさにロハス(LOHAS)的な取り組みといえます。 また、この取り組みは、スロービジネススクールの仕事づくりの試みの一つでもあるので、スローライフをベースにした生活をしたいという人にとっては、すごく参考になると思います。 興味がある人はぜひショップを訪れてみてください。 そして、いいなあこれ、と思ったら買ってみてください。

原油代替燃料ってつまりなに?

日経新聞の朝刊(2006年10月11日)によると経産省が原油代替燃料の開発に本格的に乗り出すことになったようです。 ここに含まれるのは以下の3種類です。 (かっこ内は予想採掘コスト) 1.メタンハイドレード(コスト不明) 2.オイルサンド(1バレル20ドル程度) 3.液化石炭(1バレル30ドル程度) ずっと言われてきたものが、ついに動き出すか!って感じです。 風力発電は実用化したものの十分な支援が得られず経営が苦しく、家庭用太陽光発電が十分に安くなったとして補助金がなくなり、原子力では遮二無二、六ヶ所村の再処理工場を稼働させる。 こんな状況の中、化石燃料系の人たちの巻き返しとも言える動きです。 正直言って、メタンハイドレード以外は、今は進める必要もない技術です。 もはや、「枯渇性資源」を食いつぶす時代ではありません。 枯渇性資源に頼る以上、経済成長と資源枯渇のおいかけっこが永遠に続きます。 それより、天然ガスで食いつなぎながら、再生可能エネルギーに関する技術開発をもっと進める方が現実的な解だろうと思います。 そもそも、太陽光発電、有効だと言われているのに、まだまだ珍しいですよね。 マンションの屋上にも設置すればいいし、住宅の屋根はまだまだ空いています。 ここを活用することをなぜ考えないのかなあ。 化石燃料系のロビーイング、政治力がすごいんでしょうね。 彼らはこんなに政治活動をしているのに、一般の人が政治活動すると、なんか「えー」って目で見られるのはなんでなんでしょう? 現在の原油の可採年数は、41年程度で、これを世界各国別に見たのが経産省の資料。 原油については、石油情報センターの解説が分かりやすいです。 ただし、「可採年数は年々のびている」のは事実ですが、一般には、おそらくもうのびないだろうと言われています。 資源の枯渇にくわえて、中国・インドなどの消費量がのびて年間の生産量が増加することを想像すれば分かるはずです。 メタンハイドレードは、2009年にも採掘が始まるそうです。 主成分がメタンなので、実現すれば、天然ガス利用の機器でおそらく使えるのだと思います。 ちなみに、「国内資源」で、日本の消費量の100年分あるそうですから、ものすごいエネルギー量ですよね。 オイルサンド、液化石炭なども、資源量は相当あるので、実用化すれば非常に有用なエネルギー。 ただし、液化石炭は、石炭を液化するために必要なエネルギーが膨大になるのではないかという懸念がある。これを以下に減らすかが課題。 なお、原油は現在1バレル60ドル前後。 1バレル(barrel)は、159リットル。(42米ガロン)

ウサギがこどもを生みました

朝、相方が深刻な顔をして起こしにきたので、なにかな?とおもって起きると、 「こうめが子ども生んでる!」 ということで、慌てて小屋に行ってみると、生まれてました! 7匹も! なんだか、毛がなくて目も開いていないのがもぞもぞしてます。 心なしか、元気がないみたい。 父親は黒ウサギのへいたです。 そのせいか、2匹はカラダが真っ黒です。 黒ウサギというのは、肌の色も真っ黒なんですねえ。 成長が楽しみです。 もうちょっと毛が生えてウサギらしくなったら写真ものせようと思いますので、お楽しみに。

貧困層を対象にしたマーケティングが身近になっている

2005年11月の記事(ネクスト・マーケットの紹介)で紹介した、BOP(Bottom Of Pyramid)の件が、サステナラボのブログで紹介されていました。 なんでも、フィリピンやタイで実践されている事例が、会議で報告されていたそうです。 今回の会議は、CSR関係の会議(AFCSR)のようです。 BOPに関する議論、こういう場で報告されるというのは、単なる企業活動の一環ではなく、社会貢献の一部としてとらえられているということなのでしょうか。 いろいろな意味でこのBOPは興味があります。 貨幣経済に組み込まれていない人を、どっぷりと浸からせるのか、社会から無視されている層を正面から受け止め、「消費者」として尊重するのか。 考え方は、いろいろあると思います。 でも、現実の世の中の動きを無視するわけにはいきません。 BOPに属すると言われる人々のもっといい暮らしがしたいという思いもあるでしょう。 しかし、タイの方の講演とか聞きたかったなあ。。。 この会議はどこで開催していたのかは分かりませんが、少しだけでも見たいなというときには、やっぱり東京だと行きやすいのかな。 関西にいたら、意外とこういう会議少ないですよね。 やっぱり東京かあ・・・東京に住むというのはやっぱり微妙です。

不可能と思ったら何にもできない〜コウノトリ放鳥から1年

昨日(23日)兵庫県豊岡市で3羽のコウノトリが自然に帰されました。これで、合計16羽のコウノトリが野生に戻されたことになります。 周辺には2羽の野生のコウノトリもいるので、自由に空を飛んでいるのは合計で18羽ですね。 実は昨年の今日(9月24日)、コウノトリが初めて放鳥されたようです。 どうせ事故で死んだりするんちゃうんって思ってたんですが、無事1年が経ちました。 絶滅しそうな生き物の数を回復させることは容易な事業ではありません。 費用面から考えたらとうてい合わないことです。 それでもやることの意味、経済学的には十分にあるように思います。 野生のコウノトリを復活させる意義は、経済学的には3つあります。 一つは、公共事業です。 コウノトリを育てるのには膨大な費用がかかります。 場所も必要だし、なにより人手が必要です。 景気刺激効果に疑問が呈される中、地方に雇用を作り出すことが最近の公共事業の意義でしょう。 豊岡という、都会から離れた地域で環境を改善しながら、雇用を拡大するという好例です。 第二の意義は、地域にプライドを持ってもらう効果です。 豊岡は、夏ものすごく暑くて有名と言えば有名ですが、人を引きつけるかといえば、むしろ逆でしょう。 コウノトリの場合は、「コウノトリが野生化できるぐらい自然が豊か」「人々が環境保全に積極的」というイメージで全国に有名になることができます。 その結果、地域の方々は、豊岡に対して誇りを持つことができます。 もちろん豊岡に住んでみたいなと思う人も増えるはずです。 (ちなみに大阪から特急で2時間ぐらいです。城崎温泉は隣の駅ですし、皿そばで有名な出石そばも近くです。) 第三の意義は、生物に対する人々の気持ちの問題です。 トキに続いてコウノトリが絶滅するとなると、生物種の絶滅について、人々はより現実的な問題として考えるようになることが期待できます。 その逆に、絶滅を回避できれば、それはそれで、「生き物を守ることはこれだけ費用がかかってたいへんなことだ」という認識が広がるかもしれません。 そうなれば、絶滅に瀕する前に、簡単なことで守れるのであれば、生物種を保護していこうという取り組みが広がりそうです。 今ある自然を守ることは、壊れてしまった自然を回復させるのに比べれば遥かに簡単なことです。 多くの人は、こういうことに気づかずに、目先の利益だけを考えてしまいます。 でも、今、環境を守ることは将来の大きな支出を防ぐことです。 コウノトリ、夢がありますよね。 僕は実はまだ見たことがないんですが、実際見たら、大きくてきれいなんでしょうねえ。 コウノトリの郷公園のサイトで関連情報を見ることができます。

がんばって分析したのに、データが10分の1しか入ってなかった・・・

Demo

4日間、がんばって分析して、なんかうまい結果が出ないなあと苦労してたんですが、ふと思いついて、データの数を見てみると、700個ぐらいしかない。 ほんとは、7000個以上ないといけないのに。 おかしいなあと思って、いろいろ調べてみたら、分析ソフトに設定したメモリが小さすぎて、うまく読み込めていなかったみたいです。 おかげで4日分の苦労がパー。 図は、MacBookのOSX上でParallesというバーチャルマシンを動かすソフトを使って、WindowsXPを動かしているところです。 (要するに、マックとWindowsを同時に動かしてるとこです) 悔しい思いで、Limdepのメモリを増やしている瞬間の図です。 この環境、さすがにめっちゃはやいなあ!と感動してたら、データを10分の1しか使っていないという落ちでした。 でも、データ10倍にしてもかなり早いです。 M1のころ、シミュレーションを動かして、15分間トレーニングして、結果を見てからちょっと設定を変えてまたシミュレーションを動かして、15分間本を読んで・・・・と、延々と日々を暮らしていたのを考えると、隔世の感。 なんかこういう凡ミスで数日無駄にするって、ちゃんとした社会人ならしないですよねえ。

発電するディスプレイが開発中だそうです

engadgetで、表示と同時に太陽光で発電するLEDが紹介されていました。 ここでは、OLED(有機発光LED)とされていますが、これは、日本で一般的に有機ELと呼ばれているものと同じものです。 有機ELはディスプレイですから、電気を消費しながら、情報を表示します。 今度の発明は、ディスプレイが同時に発電器具になります。 仮に発電量>消費電力量ということになれば、完全に電源不要の表示デバイスが誕生します。 なんとも夢のある発明ですね。 この研究、コーネル大学ですすめられているものだそうです。 こういう海のものとも山のものともつかない研究がいろいろと行なわれているところにアメリカの研究環境の奥深さを感じます。 経済学もものすごく多様だと聞いています。 日本の経済学はほとんどみんな同じ方向を向いている気がするんですよね。 もうちょっと多様でもいい気がします。 >と、自分にプレッシャーをかけておこう。

40年で石油は枯渇しない・・・だから何なんだ?

原油が枯渇するなんて大ウソという記事がライブドアニュースに出ていた。そういう話、大ウソっていうことの方がどうかと思うけどなあ。 (ネタ元はここ) 原油が枯渇してくれば、代替エネルギーの開発が進むし、現在コストの関係で利用されていない油田(精製がむずかしいオイルサンドとか)がコスト的に合うようになってくるのは記事のとおりだ。 だけど、そんなこと、いまさら、センセーショナルにいうようなことかどうかは正直疑問。 それに、原油が枯渇しなくても、代替エネルギーが普及しても、おそらく「僕には買えない」んじゃないかな。 ちなみに、代替エネルギーというのは、原子力やメタノールなどだし、将来的にはメタンハイドレードなんかのことで、これらを合わせると、確かに将来のエネルギー供給はそんなに問題ではない。 だけど、エネルギーの専門家はそんなこと問題にしてるんじゃない。 エネルギー供給の問題一つとっても、原油から他のエネルギーへの代替がどれほど早く進むか?という課題がある。 例えば、あなたの家の車、ブラジルで普及するアルコールも使えるタイプに買い替えるのはいつになりそう? もう一つの課題が、原油枯渇に伴ってじりじりと上がるエネルギー全体の価格に我々庶民の生活がついていけるのかという問題だ。 今、コスト的に合わない油田から原油が抽出できるようになるということは、原油価格がそれだけ高くなるということだ。 (原油価格はおそらく、こういう油田での採掘コストに見合った価格で高止まりする。こういう原油価格が無限に上昇するのを止めるような技術をバックストップテクノロジーという) 我々の所得はおそらくそんなに上がらない。 ということは、原油が枯渇するかどうかなんて今までによくいわれている問題だし、本質的な問題じゃない。 重要なのは、20世紀の経済を支えてきた、安くて安定的に供給されるエネルギー源がなくなるということだ。 エネルギー価格が高くなったからといって消費量を減らすのは結構大変なこと。 ちょっとの省エネならできるけど、ずっとそれを続けるのは大変やし、さらにそこから減らすのはしんどいでしょ?

大学生の環境意識

昨日、今日とゼミ合宿でキャンプに行ってきました。学生と何かするっていうのはいつも楽しいです。 こういう機会がたくさんあるというのは、僕の仕事の特権でもあるでしょうね。 いつもどおり、準備については何にもいわずに眺めていたのですが、彼らの行動を見ていると、少し哀しくなりました。 食べ物は、近所の激安店だし、紙コップ、わりばしは何の問題意識も持たずに使う。 飲み物も、ペットボトルと缶入り。 僕がそういうものを極力使わないようにしているというのがなぜなのか、想像すらしていないようでした。 学生だから、そういうもの、買うことは別にかまわないと思うんですよね。 でも、自分たちの指導をしている教員がなぜそれらを使わないようにしているのか、考えないのでしょうか? 学生について、何より情けないのは、僕の行動を見て、 「環境に配慮しているからでしょ。」 と、ろくに考えもしないで自己完結的に結論を出してしまうこと。 どんな問い方でもいいんです。「あなただけがやって、どんな意味があるんですか?」とでも問えば話は変わってくるはずです。 今の学生は、そういう問いをすることができないのでしょうか。 自分で育てている学生なので、よけいかもしれないけど、本当に情けなくなりました。 疑問を持つことは重要ですが、それに安易に答えを出してしまうことは、人の成長を止めてしまいます。 逆に、自分がとりあえず出してみた答えに対してあまりにも自信を持たないのも成長を止めます。 「(今の知識は不十分かもしれないけど)自分はこう考えた。それであなたの行動をせつめいするとこうなります。どうでしょうか?」 ぐらいの問いをすることができればいいのにな、とおもいます。 正直、僕の行動に疑問を持たないまま、自分はペットボトルや割り箸を使い続けるというのは、あまりもものごとに疑問を持たない態度だと思います。 もう少しがんばってほしいですね。 そして、それ以上に、僕の影響力のなさをすごく反省する次第です。 若い人育てるって難しいです。 職場の若者でも同じような感じなのでしょうか?