石垣へのフィールドワーク

[caption id=”attachment_577” align=”alignright” width=”240” caption=”Ishigaki090618Street”]Ishigaki090618Street[/caption] 今週は、学生の引率で石垣島に行ってきた。近畿大学経済学部の総合経済政策学科で開講している「フィールドワーク」という講義の一環だ。 フィールドワークは、学生が調査の企画をして、調査対象者に質問の予約をとって、現地で実際に調査するという講義だ。 僕たち教員は、それに適宜アドバイスを与えながら、全体のスケジュールを練り、宿や移動手段の確保など、細々とした準備を行う。 屋久島、奄美大島、別府市、松山市周辺と続けてきた調査も今年で5年目になる。 「経済学部でのフィールドワーク」というあまり見ない企画に、開始当時はすべて手探りだったが、5年の間に、講義自体の内容もかなり整備されてきた。 何度も繰り返すうちに、現地調査のライブ感というか、臨機応変な対応が、功を奏すことが多いことが分かってきた。 自分自身が行う調査は行き当たりばったりななことが多いが、学生を連れて行くとなると、ついスケジュールをかっちりと事前に決めてしまいたくなる。 けれども、やっぱり現地に行ってみないと何が重要か分からないということも多い。 充実したプログラムを用意しながらも、臨機応変に動ける余裕をいかにもたせるかが、工夫のしどころだということが少しずつ分かってきた。 なにより、行く先々で心強い協力者が現れ、それまで分からなかった話や、諦めていた調査先を紹介してくれる。 スケジュールが固まっていると、「それはまた次回に・・・」と言ってしまいたくなるが、そういう縁こそが、調査では大切だ。 数珠つなぎのように、つながる縁を辿りながら、問題に迫っていく。 これこそがフィールドワークの醍醐味だろう。 僕はフィールドワークというものは、経済学部の学生に限らず、経済学者にとっては非常に重要だと思っている。 僕たちが学んでいる経済学というのは、実社会に対する研究だ。 論文や講義で実社会のことにふれる必要はないが、大きなところでどのようにつながっているのかの接点を、肌感覚として持っているかどうかは、学ぶとき、研究するときの大きな指針になるはずだ。 前置きがずいぶん長くなってしまったけど、今回の調査でもいろんな縁が生まれた。 われわれを受け入れてくれた石垣市役所の方々、発表の場を提供してくださっただけでなく、食事にもつきあってくださったまちなか交流館ゆんたく家のお二人、エコツアーを企画し、体験させてくださった「ふくみみ」さん、国際サンゴ礁研究・モニタリングセンターの方々、ここで名前を出すのを望まないであろう方々などなど、お世話になった方々は数知れない。 僕たち自身、学生がやることに隔靴掻痒というか、もうちょっと口出ししたいという気がしたのも事実だが、相手方には大変申し訳ないと思いつつ、学生の(失敗)体験を優先させてしまったケースもある。 ほんとうにありがとうございました。 ここで学んだことを、石垣市や竹富町などの八重山地域にどう還元するのかというのは、けっこう重い課題だ。 学生たちは、直接調査先の地域に還元するというよりも、今後の人生に有意義に活かしてもらえればそれでよいのではないかとも思う。 ただ、大学として、教員として、僕個人は何か還元できればなあと感じる。 みやげ話もたくさんできた。 僕に出会ったら、「石垣どうだった?」と尋ねて見て欲しい。

ごみの環境経済学、ただいま改訂中

2005年に出版した拙著「ごみの環境経済学」の在庫が少なくなってきています。 この間、2刷まで印刷して、少し誤字脱字を訂正した3刷を出したいなと思っていたのですが、それはなかなか難しいということでした。 それでも、ぼちぼち売れ続けているようで、絶版にはして欲しくないなと思っていたところ、出版社の方から「改訂増補版」を出しましょうというありがたいご提案をいただきました。 今のところは、9月発行を目指して、がんばる予定です。 ぼちぼちとここで、改定作業について、お知らせしていく予定です。 とりあえず、2刷の本を一冊用意して、今までに見つけた誤字脱字、変更したい箇所を全部書き込んでいくことにしました。 そうすると、変更箇所の目印として挟んだ付せんがほとんど全ページについてしまいそうな感じになりました。 今の自分ならこうは書かないだろうなというところをチェックしていたら、こんな有様です。 でも、間違いではないし、別の人ならこう書くかも知れないなとも思う部分もおおいのです。 こういうものをすべて修正して、2009年の坂田が書く本にするのか、2005年の坂田が書いた本を微調整するのか、その当たりの判断がまだできかねています。 おそらく、今の僕が書く本にするならば、一冊新しく書くぐらいの労力が必要だろうと思います。 それをあえてやるのか、次の本のために残しておくのか。 まだ悩んでいます。 「増補」ということですので、章をいくつか入れ替える予定です。 本にどうしても入れられなかった部分を、説明不十分だったり、本筋としてはそこまで重要ではない章と入れ替えます。 何を入れるのか、悩ましいです。 今のところは、ごみの話か、コモンズの話を加えたいなとは思っていますが、公益保護に関するテーマでもいいなと考えています。

6月11日のお話会は温暖化がテーマです

みなさん、こんにちは カフェスローOSAKAで開催している、「スローなお話会」のお知らせです。 スローなお話会は、普段ちょっと気になっていることを、ていねいにお話しする会です。 参加者は、発言を求められることはありませんので、メモをとったりせずに、ゆったりとお聞き下さい。 お話会は、各回独立していますので、初めての方も予備知識のない方もどうぞご参加ください。 お一人様の参加も大歓迎です。 2月から月に一回のペースで開催しているお話会も、五回目になりました。 今回は、何かと世間を騒がせている「地球温暖化」の現状を、持続可能性という観点から考えていきます。 地球温暖化、誰もが気になっている問題なのですが、自信を持って語るのはちょっとためらってしまいます。 温暖化対策に反対する意見もいろいろとあって、人に説明できるレベルになるのはちょっとむずかしい。 僕たちの暮らしを次の世代に伝えていけるかどうかが、温暖化でも大切なポイントです。 温暖化は大きな問題ですが、僕たちの日々の営みとどう関わるのかと考えることで、大事な話とそうでない話を見分けることができます。 今回は、一時間ちょっとのお話を聞くことで、温暖化について、ちょっと自信を持ってまわりに伝えることができるようになると思います。 日時:6月11日19時過ぎから(18時半受け付け開始)〜21時頃まで 講師:坂田裕輔 場所:カフェスローOSAKA 連絡先:こちらからお申し込みください 料金:1000円(予約の方は800円。条件付きで学割あり) +ワンドリンク(オーガニック&ナチュラル) 食事:850円。(数が限られているので予約が確実です) (畑のハンバーグプレート、大地の恵みプレート、いろどりカレー(または豆乳シチュー)プレートからお選び下さい) カフェスローOSAKAについて:http://slowspace.blog.shinobi.jp/ (大阪市淀川区十三元今里2ー5ー17) 学割制度について:http://www.ecofirm.com/n/archives/509 (条件:禁煙+マイボトル宣言にサインしてくれた人向け) 主催:暮らしをいとなむ研究所 (http://www.slowlist.org/slowtalk/concept/) Mixiにお話会コミュあります (http://mixi.jp/view_community.pl?id=3295720)

きれいな海と豊かな海

先日、学生の引率で大阪市の漁協で環境プロジェクトを実施している方に話を聞かせていただきました。 そこで出てきたのが、「最近、淀川も大阪湾もすごくきれいになってきた。でも、魚はすごく減った。きれいな海とゆたかな海っていうのは違うってことやろうね」という言葉だった。 1960年代には、海の色は赤茶色で赤潮の一歩手前のような状態。 透明度も当然低く、2メートル先は見えなかった。 それでも、魚はいくらでもいた。 当時と今と、漁獲量はそれほど変わらないんだけど、中身が全然違う。 当時はほんの少し沖に出てちょっと漁をすればじゅうぶんだったが、今はハイテク機器をめいいっぱい使って、何とか同じ量を取っている。 この間に、どうやら、富栄養の海から、貧栄養の海になってしまった気がする。 話を聞いているうちに、子どもの頃持っていた、金魚の水槽のことが頭に浮かんできた。 小学校の高学年になってからだと思うけれど、60センチ水槽の上に、棚のような濾過器がついた水槽を買ってもらった。 スポンジを敷いた濾過器に、水槽から水をくみ上げて流し、スポンジを通った水が水槽にまた戻っていくという仕組みだ。 これはたぶん、今でも一番メジャーな水槽だろう。 3ヶ月ぐらいして、「ごみはとれたかな?」と思って濾過器をのぞいたところ、そこは茶色いぶよぶよしたものがいっぱいたまっていて、「汚れて」いた。 僕はスポンジを取り出して、バケツに入れた水で何度も何度もスポンジを洗い、当初よりは少し黒ずんではいるものの、少なくともごみはついていない状態にした。 ついでに、水槽の水も8割ほど換えてみた。 (もちろん、ハイポは入れたよ) 水槽を再びセットして、しばらく濾過器を回すと、なんだか水がすごくきれいになっていて、白く光っているように見えた。 翌日、朝起きて水槽を見てみると、大半の魚(金魚)が死んでいた。 そのときの僕には理由は分からなくて、とりあえず、魚を庭に埋めておいた。 20歳頃、弟に影響されて熱帯魚を飼うようになり、濾過の仕組みを知った。 濾過には、物理濾過と生物濾過があり、スポンジの上は物理濾過だから、ごみがたまるようになっている。これはごみだから、この層のスポンジは洗ってかまわない。 問題はそれより下の層のスポンジだ。ここにたまっているふわふわした汚泥のようなものは、水をきれいにするバクテリアのコロニーだ。 当然、これをあまりきれいに洗うと、バクテリアがいなくなってしまい、濾過機能がはたらかない。 どうしても洗いたいときは、濾過バクテリアを殺さないように、水槽の水をバケツにとり、軽くもみ洗いする程度にとどめておくことだ。 また、濾過槽の掃除と水槽の水替えを同時にやることもあまり望ましくない。 濾過バクテリアを大事にして水槽をメンテナンスすると、「水が輝く」という感覚が分かるようになってきた。 それは子どもの頃に見た、白く輝くような感じではなく、透明の水の中に、ときどきガラスの破片が入っているかのような感じで、水そのものがきらきらと輝く。 大阪湾の魚が減った理由はもちろん、水がきれいになったためだけではない。 たとえば、海砂の採種や護岸工事で干潟や浅瀬が減り、稚魚が育つ場所がなくなってきたことや、合成洗剤や農薬が流れ込んだ影響でプランクトンが激減したこと、なども有力な原因である。 こういういろんな原因が複合的に絡み合ってはいるのだけれど、すくなくとも、「きれいすぎる海」は、それほど多くの魚を生み出す場所にはなりにくいという言葉には、深く納得するものがあった。 僕たちが住みやすい場所と魚が棲みやすい場所は違う。 思い込みで、僕らがいいと思うことを魚に押しつけてもいけないということか。 これは、相手にとってよかれと思ったことが、相手のためにならず敬遠されてしまうという問題にも似ている。 ほんとうに相手が求めていることは何かをじっくりと考えることも大切なのだろう。 追伸:このインタビューは非常におもしろい話をたくさん聞くことができた。 また改めて、書き足していくつもりだ。

気候変動問題と太陽の関係

経済学者として、温暖化の科学的要因は、統計的に見るしか判断できないので、ちょっと歯がゆい思いをすることもあります。 そんな中で、その道の専門家がコンピュータモデルを使ってシミュレーションして、結果を発表してくれるのは、心強いです。 下記についても、近々、専門の論文をちゃんと見てみようとは思うのですが、とりあえずは、自分用のメモ代わりに、記録しておきます。 以下の記事は、太陽の活動の大小(宇宙線の量)と気象の関係を分析したものです。 太陽の黒点も宇宙線の量に影響を与えるはずなので、たぶん、太陽黒点説に対する反証になりそうです。 太陽活動の変化は地球の気象に影響を与えるのか? カーネギー大が検証 - Technobahn. ちなみに同サイトでは、地球科学の専門家に対するアンケート結果も紹介されています。 地球科学の専門の研究者の82%が、1800年代地球規模の気温上昇が続いていて、それは人間の活動が主な原因だということを認めているようです。 気象学者に否定的な見解が多いのが興味深いところですが、気象の専門家だけに慎重なのかも知れません。 それともう一つ、1800年代以降としたところが問題で、1700年代の後半は地球がかなり寒い時期なので、1800年代の前半辺りの気温上昇は自然現象の可能性があります。 その辺が、気象学者に否定的な見解が多い理由なのかなとも思えます。

本日のお話会

カフェスローOSAKAで実施している、今年度の「スローなお話会」は今日で4回目になった。 今日は参加者が9名と少なかったのが気にかかるのだが、みんな忙しいのだろうか。 告知をやり過ぎて人が多くなりすぎてもどうかと思うので、遠慮している部分もあるのだけれど、もう少し人が増えて欲しいところ。 できれば、最低で15名程度は来ていただきたい。 参加者を増やすために、何ができるだろうか? お話会は、どちらかというと、スローな生き方や環境問題に興味を持ち始めた人に聞いてもらいたいなと思うイベントなので、参加者がどんどん「卒業」していくのはいいことだと思う。 けれども、その一方で、新しい人が入ってこないと、先細りになるのは当然だ。 僕が望むのは、20代の若い社会人がこういうイベントに参加することだ。 忙しい日々のちょっとした息抜きと、将来の夢を持つ時間として使ってもらいたい。 ただ、残念ながら、20代の社会人に告知する方法がない。 集客と、来た人がリピーターになってくれること、そして魅力的な時間にすること、いずれも僕にとっては、大きな挑戦になる。 そうそう、今日は朝日新聞が取材に来てくれた。 もしかしたら、お話会も紹介してもらえるかも知れない。 読者じゃないから無理かなあ(笑)

布のティッシュという発想

ふとしたことから、「エコラ」=ecolorという、フェリシモのエコ系ブランドのことを知りました。 おもわず、うまい!とうなってしまったので、ぜひカタログをもらおうと思って調べると、ネットのみのブランドのようでした。 最初は「しょぼいな」と感じたのですが、カタログもごみになるからという発想なんでしょうね、きっと。 確かに、通販カタログって99%の情報が不要なものだから、いさぎよくネットのみというのもありでしょう。 さてこのブランド、(電気を使わない)生ごみのたい肥化キットを売っていたり、水を浄化するエコ洗剤を販売していたりと、エコグッズがずらりと並んでいて、かなりおもしろいです。 なかでも、おもしろいのが、「ガーゼティッシュ」。 20cm四方のガーゼでできたハンカチなのですが、これを10枚セットで販売することで、ティッシュ代わりに使おうという提案です。 なんとなく、「ティッシュを使うのをやめよう」といわれると、「どうしたらいいの?」って思いますが、「紙ティッシュの代わりに布ティッシュを」なら、「なるほど、やってみようかな」と思えるかも知れません。 そもそも、ティッシュって、ちょっと口を拭くためだけに使ったりして、なんだかもったいないですしね。 洗濯の時にほかのものと一緒に洗濯機で洗ってしまえば、手間もほとんど増えません。 こういう、ちょっとした工夫で、エコな行動というのは、効果がすごく高いもの。 どんどん進めていきたいところです。

アドプトXの広がり

アドプトリバーとか、アドプトロードという言葉をご存じだろうか? 個人やグループに河川敷や国道の決められた範囲の管理を委ねることをいう。 この取り組みは、日本でもけっこう行われていて、国道沿いの地域の自治会や子供会が花を植えているような事例がそれだ。 道路や河川は公共のものであるが、日々ふれあうのは地域の住民である。いっそのこと、地域住民に管理を任せて、好きなように使ってもらおうというのが、アドプトX制度だ。 Xには道でも川でも、階段でもなんでも好きなものをいれてくれればよい。 なかなかおもしろい取り組みだなあと持っていたら、それがインターネットの世界にも波及した。 それが、アドプトソースコード。 ソースコードというのは、プログラムそのもので、通常、プログラミングというのは、ソースコードを一行一行書いていく作業をいう。 オープンソースというのは、このソースコードが公開されているものをいう。 オープンソースのソフトはたいてい無料で配布されている(フリーウェア)。 開発も多くはボランティアベースで行われていたり、寄付でまかなわれていたりする。 わりと海外では寄付もよく集まるようで、あの有名なWikipediaも寄付でまかなわれている。 しかし、寄付が底をついたりしてしまうと、開発は頓挫する。 今日紹介した、アドプトXというのは、この問題を回避する決定打に見える。 インターネット上のビデオクリップを定期的にチェックして配信してくれるMiroというソフトがある。 以前、国際機関が配信するプログラムなどを見るためにインストールしてみたことがあるが、かなり使い勝手がよい。 (個人的には、ビデオクリップをほとんどみないので利用をやめてしまった) オンデマンドビデオのようなもので、しかもダウンロードと保存を自動的にやってくれるので、あとで見返すのにも便利だ。 僕は講義で使う資料を集めようと思って使ってみた。 さてこのMiro、今回、アドプトソースコードというのをはじめた。 月に4ドル寄付すれば、ソースコードが一行分、「あなたが支援して管理されている」ことになる。 世界的なオープンソースの取り組みに貢献できるわけだ。 なんなら友達に、「このソフトのこの部分、僕が開発させてるんだ」と自慢することもできる。 まあ、月に4ドルというのが高いのか安いのか、今は判断できないし、そんなことをするぐらいなら、年間$48払ってもよいような気もする。 実際、Miroはかなり便利なので、$50ぐらいの価値はある。 しかし、フリーウェア開発の寄付に、アドプトXという仕組みを持ち込んだのは大きな意義がある。 単なる寄付だと、何に使われているかよく分からないし、成果がよく見えない。 アドプトソースコードの場合には、自分が寄付することで維持されているプログラムの部分がちゃんと分かる。 ちょっと貢献してもいいかな、と思わせるよい仕組みだと思う。 環境活動にもかなり応用が利きそうだ。

政府「緑の経済」案、実行はゆっくりと

政府は、4月20日、「緑の経済と社会の変革」を提示した。 280万人の雇用を生み出すというから、なんだかすごい。正規雇用者は、4500万人前後なので、20人に一人が緑の経済で「新たに」雇用される計算になる。 考えてみれば分かるが、少し多すぎないだろうか。 今働いていない人が、いきなり常勤としてこれだけ働けるだろうか? 働いていない人にだって理由はある。 まあ、2020年までと言うからあと十年はあるのだが、それにしても、焦ることはない。 例えば、家電の一斉買い換えを促進するという提案がある。 これなんて、家電リサイクルのリサイクル料金に相当する額を補助金として国が負担するのだという。 確かに今は不況で、家電メーカーは暇だろう。 だが、一気に買い換えが進めば、買い換え需要が一段落したらまた大規模な在庫を抱えて、大不況が来る。 企業が安定した操業を続けられるレベルにするために、リサイクル料金の負担額割合も含めて、買い換え促進の補助金の額を調整するべきではないだろうか。 少し需要が落ちてきたら、ちょっと補助をあげて、また上がってきたら補助を下げる(あるいは廃止)。 今は不況もあって、なんでもありに見えるけど、日本はそもそも政権が変わっていない。 なぜ急に、政府が環境への舵取りをするのだろうか? じっくりと選挙などを通して、今何をすべきか、どういう社会を作り上げるべきか、しっかり議論すべきだ。 なんだか、今まで政府の動きが鈍いと思っていたけど、動くときはなんだか焦りすぎな気がする。 選挙対策の補助金ばらまきにしか見えない。 もうちょっと、頼りがいのある政府であって欲しいのだけれど。

まちづくりのために、建物建て替え・新築税の構想

先日、京都に住む友人の家に泊まった。 小さな町家に引っ越したというから、どんなところなのかすごく気になって、花見の帰りに泊めてもらうことになった。 友人の家は玄関を入った正面にまっすぐ奥まで細長い空間が広がっている。左手は壁、というか隣家で、右手には6畳間が二間、縦につながって、その奥はバス・トイレだ。 細長い空間は、半分が玄関スペースで、その先はドアを隔てて、キッチン、さらに坪庭だ。 なるほどこれが町家か。 と、実は京都の町家の中を見たのは初めてだったので、勝手な想像とつきあわせてみた。 もっと暗いイメージというか、「古民家」というイメージがあったのだが、内装はすっかり作り替えられていて、古いのは細長い敷地の使い方と外見だけで、中はちょっと間取りの変わった普通の住宅だ。 ただし、この家は家主の好みか、木がふんだんに使われている。 町家っていいなと思うが、町家は今は貴重だ。 今の建築基準法では、どうやら町家は立て替えができないらしい。 消防法か耐震かは分からないが、とにかく、町並み保全とは関係ない部分で規制がかかっているそうだ。 この不況で、住宅ローン減税がまた拡大されるそうで、建物の新築を促進する仕組みができてきている。 しかし、その背後にあるのは、町並みを作り上げている古い家達である。 古い家は、相続税の関係もあり、潰してマンション用地にして売ったほうがよいばあいがあるそうだ。 しかも、立て替えは(町家のばあいは)できない。 こんなことを続けていたら、日本から古くて風情のある建物はなくなってしまう。 もちろん、猥雑でアジア的な雰囲気を持った鶴橋のようなまちもなくなるだろう。 その結果として生まれるのは、不揃いで醜い町なみだ。 確かに一部のすでに価値が認められた町なみは保全されるかも知れないが、なにげない街角に風情というものはあるものだ。 町なみを見に来る観光客はあちこちで増えているが、今の日本の制度はその逆を行っている。 こんなことで、日本のまちづくり、景観づくりは、先行きが不安だ。 私は今は、立て替えを促進する税制を改めて、立て替え・新築を抑制する方向、すなわちリフォームを促進する方向での法整備を望みたい。 あまりに老朽化した場合には、外観を残しながら建て替えるばあいにはリフォームと同等と見なしてもいい。 いま、くらしをいとなむ研究書というのを作ろうとがんばっているのだが、その最初の研究として、このテーマを取りあげたい。