ハードディスクがクラッシュ

2年半前から使っているMacBookAirのハードディスクがクラッシュした。 ハードディスクは消耗品だからいつかこの日がくるとは思っていたが、やっぱり驚く。 パソコン自体は、毎日数時間使っているから、2年半も使えばかなり元は取れていると思う。 1日3時間使うとして、3時間×365日×2.5年=2737.5日だ。 このマシンが27万円ぐらいだとすると、一日100円ぐらいの計算になる。 (意外と高いな!) こんな計算をしつつ、「元は取れた!」と自分を納得させて新しいマシンを買おうかというところだったのだが、結局は直して使うことにした。 昨年から、Repair(修理)をいろいろとやってみていて、意外と安いということと、修理期間もまあ我慢できるものだということを実感している。 MacBookAirは修理というか、ハードディスクを自分で入れ替えれば、2万円を少し切る値段で、より速いSSDというディスクに入れ替えることができる。 ハードディスクでよければ1万円前後だろう。 ちなみに昨年はデジカメも修理したが、これも1万円かからない。 万年筆は、お店で先をちょちょっと調整してくれて、無料だった。 そうそう、携帯も修理したけど、こちらも保証の範囲内だった。 修理が高いと感じていたけど、「高い」と感じさせる世の中になっているだけで、実際修理してみたら、やっぱり新品を買うよりも安い。 今回、新品を買うのを思いとどまった最大の理由は、「今買いたいものがない」ことだ。 次に買いたいものが決まっていて、「早くこれ、壊れないかなあ」なんて思っているときとは違って、基本的に現状で満足しているのにも関わらず、故障は突然やってくる。 そこで、慌てて、今ある選択肢の中から新しいものを選ぶというのは、なかなか厳しい選択だ。 特に僕にとっては、仕事としても趣味としても、毎日使うものであるだけに、パソコンの選択はかなり重要だ。 気に入らないものを365日持っていたくはない。 気に入らないものを買うというのは、いくら支出金額が低くても、実はそれは大きな損失だ。 その背後には、お気に入りの道具を捨てるという行為(というか、損失)も含まれている。 「新しい気に入らないものの金額+お気に入りをあきらめる」というのが、実は新しいものを買うコストだ。 それに対して修理は、修理費用+修理期間がそれに相当する。 やはりここでも、マンションのところで書いたように、客観的な価値よりも主観的な価値というのが、満足感に大きく影響しそうだ。 たかだか道具だから、そんなに思い入れはなくてもいいのかもしれないけれど、ついつい愛着を持ってしまうのが、Macなのかなとも思う。 今回は、MacをやめてWindowsにしようかとかなり悩んだ。 iPhoneでの戦略や、通販における最近のニュースを見ていると、いつまでこの会社とつきあっているのがいいのか、なんだか悩んでしまう。 でも、使い勝手では、間違いなくMacの方が使いやすい。 どんどん手になじむ道具だということもあるけれど、それよりもスリープからの起動が速いので、パソコンを開いてすぐに作業ができるのが気に入っている。 パソコンを開いて10秒後には、作業を始めることができるという感じだ。 この快適さは、慣れてしまうと手放せないものがある。 Macもここ数年ですごく安くなっている。 MacBookなら12万円ぐらいのようだし、実際機能的にはあれで十分だ。 (実際職場では、3年半前のMacBookを使っている) 新しいマシンを考えている人は、ぜひMacも選択肢に入れてほしいなと思う。 そうそう、Macはマイクロソフトのオフィスも実は安い。 PowerPointも入って3台までのライセンスもついて23800円だ。

近況:関西の拠点を処分

熊本に来て一月が過ぎ、まもなく、育児休暇も最初の一月が終わろうとしている。 思った以上に自分の時間はなくて、家事に追われる日々だ。 当初は、育休中にいろいろと勉強をしようと思って本をたくさん用意して熊本に来たのだが、一冊も(というか、一行も)読めていない。 ただ、こちらで生活を始めて、熊本がとても好きになった。鹿児島を離れるときにも「いつか必ず九州に戻る。そしてそのときは熊本がいい」って思っていたのだけれど、それが本当になったことに驚いている。 もちろん、仕事は今までどおり関西のままなのだけれど、相方とこどもが熊本にいる状態で、関西の家を維持するは少々つらいものがある。 なので関西にいて大学で仕事をしているときの住居は、あくまでも仮住まいということにしたいと思っていた。 おかげさまで、マンションは先日(23日)にぶじ売買契約が終わり、処分することができた。 売却価格については、まあ、市場価格を考えると、こんなものかな?とは思うが、6年間住んでいろいろ思い入れがある家という意味では、不満が残る。 でも、売り手にとっての思い入れは買い手にとっての重荷でしかなく、それを評価しろと思うこと自体、間違っているのだろう。 なので、実際のところ、この値段で買ってくださる方がいたことに、感謝している。 当初は、ちょっと悲しい気持ちで「買ってくくださるんやから感謝せなあかん」と自分に言い聞かせていたが、熊本で生活をはじめて見ると、急速に前の家への思い入れが小さくなっていって、素直に感謝できるようになってきた。 というわけで、関西には帰るべき場所がなくなった。 家がなくなると、関西での環境やスローな活動にも関わりにくくなる。 そして、熊本に自分の活動拠点を作りたいなと感じ始めている。 これから熊本でどんなことを展開していこうか、今から楽しみだ。

育児休暇

4月から育児休暇を取得することになりました。 いつの間にか、男でも育児休暇を取得できるようになっていたので、ぜひ取得したいなと思っていました。 育休とりますって周りに話すと、「大変だねえ、がんばってね」という人、「貴重な時間だから楽しんで」という人、「いいなあ、自分もとりたいなあ」っていう人などさまざまです。 (三番目のパターンは、育休=休みと思っている人ですね。育児はたぶん大変ですよ(笑)) 応援してくださる人の一部は、家庭の事情によって大変な決断を強いられた、と僕について思う人もいるようです。 でも、せっかく生まれてきたこどもとできるだけ多くの時間を過ごしたいというのは、親なら誰でも思うことだと思います。 そのチャンス(相方が育休をとれない)が舞い込んできたのだから、僕はむしろ喜んで取得することにしました。 世間では、育休によってキャリアが途切れるという問題を心配する人が多いみたいですが、幸か不幸か、僕のような職業ではそれもない気がします。 育休とらなくても、一年間研究のアウトプットがない人もけっこういます。 僕の場合は、むしろ今までの膨大な業務から少しはなれて、生活を見つめ直すチャンスという気がしています。 その方が、長い人生においては、メリットもおおきいのではないでしょうか。 急がば回れ、です。 というわけで、一年間の育休を取得します。 (ただし、講義と研究は後期から復帰です) 行政関係の委員会等は一年間お受けできませんので、ご了承ください。 講演については、後期(10月〜3月)に2−3回ならお受けする場合もありますので、ご相談ください。 でも、できれば、育児に集中したいなっていうのが今の気持ちです。

なかなか書けないこと

11月以来の書き込みだ。 ずいぶんと長いブランクになってしまった。 なんだか、ここに書くべきなのかどうか、悩んでしまっているうちに、他のことも書けなくなってしまっていた。 それでもありがたいもので、訪問者がぼちぼちある。 12月13日にこどもが生まれて、啓輔と名付けました。 その後、育児(というか、相方に食事を作ることがメイン)が大変で、家でパソコンをいじる時間があまりなくなってしまった。 家ではなかなかパソコンが使えないという人の気持ちが今にしてようやく分かった。 こどもが生まれただけではなく、4月から相方が熊本に就職で行くことになった。 僕は家族の世話係をするために、育児休業を取得し、熊本についていく。 このはなし、相方の妊娠が分かりこどもが順調に育つなかで、10月頃に就職が正式に決定した頃から、考えてはいた。 ただ、職場にきちんと許可を得るまで、軽々しく書いてはいけない話かと思い、書くのがのびのびになってしまった。 時折、「キャリアを捨てて家族のめんどうをみるなんてすごいね」と言う人がいる。 だけど、一年仕事を休むぐらいでキャリアに傷がつくなんてことは僕の仕事ではない。 そもそも、一年間(どころじゃないけど)一本も論文を書かない人、書けない人もいる。 毎年書くのではなく、じっくり考えて、何年かに一本、すごい論文を書く人もいる。 学者にとって、一年間のブランクは、じっくりものをかんがえるうえではとても大切な時間だと思う。 特に僕は、ライフスタイルをどうするのかが最終的な研究課題だ。 ここらで少し、ていねいに暮らしてみるのも長い目で見ると、すごく意味があることだ。 最初はなんだかんだ言って、けっこう論文書いたり勉強したりする時間、あると思ってました。 でも、こどもが生まれて2ヶ月。 相方が仕事をする代わりに僕が家事と育児をこなすとなると、研究時間をとるのは至難だと感じ始めている。 中途半端に研究しようとして、ストレスためるよりは、これからの生活の中で、やれることをやっていくことが大事だろうな。

お酒ができてしまった

少し前に興味があって取り組んでいた酵母クッキング。 果物などについている天然酵母を培養して食材として利用しようというもの。 天然酵母が糖を分解してアミノ酸を作り出すので、料理のベースとして使えるうまみができる。 まあ、(あれほどきつくないけど)味の素と同じイメージでしょうか。 最近、自然食なんかに入っている「酵母エキス」も似たようなものでしょうね。 去年作ったものをずーっと放置していたものを、「そろそろ捨てないとな」と思いふたを開けてみた。 ・・・別に変な匂いはない。 ちょっとなめてみた。 ・・・これ、お酒やん! なんと、自家製プラムワインができてしまった。 しかもかなりおいしい。 今回作ったものは、プラムをつかったもので、材料はプラムと水。 密閉容器に果物と水を入れて、最初に一週間ぐらい冷蔵庫に入れておいた後、空気に触れさせながら一週間ほどで、酵母はできあがる。 ほんとうはそこで使うのだが、なんだかもったいないような、何に使っていいか分からないような気がして、放置してしまった。 腐敗したら(処分するのが)怖いなとおもいながら、冷蔵庫へ→半年放置。 その後、酵母を放置すると酢になると本に書いてあったので、外に出してさらに半年放置。 こうしてできあがったものを開けてみたらお酒になっていたということだ。 最初は、ものすごい発明(笑)と思ったのだが、考えてみたら、酵母が作り出すものこそアルコールなので、別になんの不思議もない。 温度管理もちょうどよかったので、腐造ということにもならなかったのだろう。 さて、こんなに簡単にお酒ができてしまうと、少し考えてしまう。 自家製酒も家庭の味、文化の一つになり得る。 家でお酒を造ることは、法律(酒造法?)にふれる行為だ。 だけど、なんでこれが悪いことなんだ? 以前読んだどぶろく訴訟の話もそうだけど、自分で使うものを自分で作って何が悪いんだろう。 そしてそれを少しぐらい周りに配ったところで、目くじらを立てることはないんじゃないか。 税収を確実に確保するためと言われるけど、ほんとうにそれで、家庭の味をつくることをむりやり辞めさせるだけの理由になっているんだろうか。 自分でつくらない人が、つくる人を規制するのは、やっぱりおかしいだろう。 つくらない人は、つくることの本質的な意味を理解できていないはずだ。 そろそろ、こういう「手造り」に対する余計な口出しは辞めるべきだ。 税収といっても、そもそも税収全体の3−4%にすぎないことだしね。 なんだか制度設計や徴税担当者のきまじめさが世の中をどんどんおもしろくなくしている気がする。 車検なし自動車などの悪影響と、自家製酒の自家消費とは、全然次元が違う問題なのに、すべて「違法」とひとくくりにしてしまうのはやはり問題がある。 運用上、見逃されていると言うかも知れないけど、多くの人は「いちおう違法」と言われるだけで萎縮して自粛してしまうもの。 きちんと「原則違法、自家製はオーケー」など、法に明記すべきだ。 それとも、自家製酒はメーカーが作ったものと違って、アルコールの成分が変だから酔い方が違うとでもいうのだろうか。

よく考えると、ビールと第三のビールの税率が違うのはおかしいのかも

実は僕はビールは好きじゃないので、つきあいぐらいでしか飲まないのだけど、なんだか気になる話題。 この図を見ると、ビールの酒税は第三のビールの3倍ぐらいなんだそうだ。清酒なんて、すごく安い。全体的に酒税はもう少しあげてもいいんじゃないかなと思うんだけど、それはまあちょっとおいておいて、ビールの話。 ビールと第三のビールの価格差って、けっこうな部分が酒税の違いによるもの。 「ビール系飲料の小売価格に占める税負担は、ビール約45%、発泡酒約34%、第3のビール約24%」ということだから、350mlの缶だと、ビールなら110円、第三のビールなら30円ぐらいが税なのかな。これをとりのぞいた小売価格は、ビールが120円、第三のビールが80円ぐらい。価格差がほとんどなくなる。 ちゃんとした原料でつくっているビールに高く課税して、それほどコストは変わらないのにまがいものの「ビール」とは呼べないような飲み物の普及を促進する制度になっている。 いわゆる地ビールも最近まともなものが増えているけど、「高いな」って感じがする。第三のビールとかと比べると、これこそ贅沢品だ。 地元のまじめな作り手の商売が、税制のせいで立ちゆかなくなる可能性がある。 これって、政策としておかしいんじゃないだろうか。 ビールの税を下げてほしいという酒類業界の要望を業界のエゴと言わずに、少し税制をまじめに考える必要がありそうだ。 個人的には、伝統的なつくりかたをしているビールの酒税を大幅に下げて、まがいものの税を上げるべきだと考える。地ビール(地酒もだけど)なんて、補助金出してもいいぐらいだ。 補助金っていうのは、酒好きな人の願望がちょっと入ってるけど。 ただ、こうなると、税の優遇のないまがいもののビール風飲料は、さらにコストを下げなくてはならなくて、中身はさらにまがい物になってしまう。 おそらく、一円でも安い方がいいという人はそちらに流れてしまうので、世の中に質の悪いアルコール飲料の市場が生まれてしまうのかも知れない。 本物の飲み物が飲みたいという人と、酔えればいいという人が飲む飲み物がまったく別物になってしまう可能性もありそうだ。 チューハイなんて、そもそもそんなもんだから、別に気にしなくてもいいのかな。 酒税見直し:「度数比例」ならビール減税 業界が期待 - 毎日jp毎日新聞.

中国には膨大な風力資源がありそう?

温暖化新聞に出ていた記事で、研究報告:中国 風力だけで国内のエネルギー需要を満たせる可能性ありというものがあった。 この推計は、ハーバード大によるものだ。ソースを詳しく読んでみると、分析に当たっては、地域別の発電ポテンシャルや、コストをモデルに組み込んでいるそうだ。 つまりは、実際には高すぎて導入されなさそうな場所に風車を設置するようなことは考慮に入れていないということだ。 中国は現在、風力発電など自然エネルギーへの投資を積極的に行っているから、この研究にのって、さらに普及を進めるかもしれない。 中国が普及を進めれば、風車の価格は下がるし、技術も向上するはずだ。 原子力に対する過去の膨大な投資に縛られて、自然エネルギーに大胆に投資できない日本と比べると、なんだかうらやましい。 日本も原子力や石炭への補助金をやめにして、過去と決別してはどうかなあと思う。 どこかで決別しないと、いつまでもずるずると補助金を支払い続けることになる。 もちろん、補助金が無くても原子力や石炭が産業として成り立つのなら、それはそれでいい。 少なくとも、補助するのはやめにしよう。

なぜ環境活動の団体は大きくなれないのか

社会起業家の草分けのような存在であるポール・ホーケンの『祝福を受けた不安-サステナビリティ革命の可能性 』を読むと、表題の問いは、問いそのものが不適切というか、不必要なもののように思えてくる。 この本、ペーパーバック版が出たときに、英語で読んだのだが、そこまで感銘を受けなかった。それでも、日本版の帯に「100年後の人類に残したい希望のメッセージ」と書かれていることもあり、英語力のせいで十分読めていないのかもと思い、日本語版を買った。 そして一読して、「やっぱり分からん」という感想。 それでもなにか参考になることはないかなと思ってまた読んでみたら、ずいぶん分かってきた。 確かにこの本は二つの意味で重要な本だ。 それも、環境に関わる人にまずすすめられるだけの一冊だ。 1.環境問題に関心を持つ人が、問題の背景から最先端まで一気に知ることができる 前半は環境運動や環境思想を、ふんだんに事例を交えながら、概観する。 ここを読めば、多岐にわたる環境問題の根っことして、レイチェル・カーソンやラルフ・エマソンの重要性が分かる。 また、なぜ多くの人が環境運動に関わろうとしたのか、最初の自然破壊や公害といった時代からの流れがうまくまとまっている。 2.これからの方向性を与えてくれる 1だけなら他にも良書はあると思うが、7、8章は、自ら環境活動を牽引し、社会企業を作ってきた経験があってはじめて書ける部分だと思う。

世の中には二つのゲームがある。一つは有限ゲーム、一つは無限ゲーム。そして僕らは無限(繰り返し)ゲームの世界に生きている。無限ゲームの例は、家族、祈り、読み聞かせなどである。 無限ゲームは、得たものを未来へ送り込み、未来を満たそうとする。(p.345を要約)

こんな記述は、じっくり読めば読むほど意味が伝わってきて、なるほどなあと感じられる。 最近僕は、環境問題と取り組むには(お金には限らない)「投資」の発想が大切だと語る。 未来をつくるために今できることすることが投資だという意味だ。 無限ゲームの話はその未来の先も見越した話だ。 英語版の教科書には多いが、この本も事例やたとえ話が豊富で、説明が懇切ていねいだ。 その分、ある程度この分野に知識を持つ人には冗長に感じられるし、初学者には、どこが重要かわかりにくい。 僕自身、最初ピンと来なかったのは、単に事例を羅列しただけの本なのかなと思ったからだ。 そして、環境団体は世界で数多く生まれており、それは同時並行的に世の中を変えていこうとしているというメッセージを読んで、もうこれだけ知ればじゅうぶんという気になってしまったのも事実だ。 けれども、全体像が見えてくると、事例の一つ一つもまた違う見え方をして、大事なものに見えてくる。 何度かじっくり読むか、ゼミでみんなで読むことをおすすめしたい。

歴史の中にある「くらし」を垣間見せてくれる作品

ある人に勧められて購入したのが「城下の人―石光真清の手記 1 (中公文庫)(全四巻)」である。 日露戦争の前に、ロシア情報収集の必要性を感じてロシアに渡り、その後、大正末期まで数度にわたりロシア情報を収集し続けた人物だ。 以前にも「秘境西域八年の潜行 抄 (中公文庫BIBLIO)」という日中戦争時に満州、モンゴル、チベットに潜入した外務省関係者の話を読んだことがある。 石光氏のばあいには、それよりもずっと前、1868年のうまれで、西南戦争を幼い頃に経験している。話もちょうどその頃から本人の体験が語られはじめ、おもしろくなってくる。 日露戦争以前に、朝鮮北部からロシアにかけての地域に住み、暮らしていた日本人がたくさんいたことに何よりおどろく。そして、その人々と交流しながら、地域に根を張っていく活動をしていく。 一方、日露戦争後は、諜報活動というよりも、現地における外交事務所のような役割を果たし、その代表としての役割を果たす。なんとなくここでは、氏の活動は精彩を欠き、鬱屈した感じも文章から伝わってくる。 個人の力が生かせる時代(日露戦争以前)から、外交問題にロシア・中国の国境地帯の問題が変わっていったということもかも知れない。 ちなみに、石光氏は事業を育てることにかけては、とても不幸なようで、なんども事業に失敗しては借金を抱える。 最終的にはなんとか返せているから不思議なのだが、それでも、事業の失敗による借金というのは莫大なものだ。 当時の精神的なストレスは相当なものであったことは想像できる。 事業に関しては、本人の能力の問題というよりも、事業が軌道に乗りかけたところで軍の仕事が忙しくなり、大事なところをきちんと見ることができないためであるとも考えられる。 この辺り、新規事業を始めようという人にとっては大切な教訓にもなる。 氏は国のため、軍のためと思って、現場に身を投じて行動しているのだが、旧知の人々以外の、後方にいる軍関係者の扱いは軽い。 現場の情報は欲しいが、現地で感じた印象は不要とでも言うかのように、必要とする支援が得られない。 その中で、氏は四巻のタイトルにもあるように、「誰のために・・・」という気になっていってしまう。 組織が大きくなると、現場と意思決定者の距離が長くなる。 インターネット(当時は手紙と電報)で情報は得ているから・・・などといわずに、現場に足を運び、自分の目でものごとを見ることがあれば、現場でがんばる人のモチベーションを台無しにすることなどないのに、と感じる。 氏が成長していく過程を描いた、一・二巻は、おもしろすぎて、一気に読める。 三巻は、前半が日露戦争の体験記なのですごくおもしろい。これと合わせて、坂の上の雲なんて読んでいると、あと何冊かは日露戦争関係が読みたい!なんてことになるかも。 三巻の後半は、再起をかけて再びロシアに渡り・・・という話だが、氏の報われない奮闘がなんだかもどかしい。 四巻は、ロシア革命直後の話で、時代も暗く、氏もなんとなく内省的なふんいきが強いので、読むのがつらい。 と、巻を進むにつれて、重くなってくるので、三巻の前半まで読めば、まずはよいだろう。 残りは、暇に任せて読むのもいいが、とりあえず寝かせておいて、50代になって読めば、おそらく感じることは全然違う。