タイも遺伝子組み換え作物が普及しているらしい

3月2日から10日まで、タイ北部に調査に行ってきました。 今回はほとんどチェンライ周辺です。 チェンライの街、最近は山岳民族が作ったコーヒーを出すカフェがすごく増えているような気がします。 しかも、けっこう美味しいです。 僕はラテとかは飲まないので、もっぱらアメリカーノですが、水っぽくなく、苦すぎず、しっかりコクのある味です。 タイ北部では、カチモールという、アラビカ種にロブスタ種をかけあわせて病気に強くした品種(これもアラビカ種に含まれるみたい)を主に利用しているようです。 コーヒーはまあ、いいのですが、それ以外にもトウモロコシの栽培もわりと盛んなようです。 このトウモロコシはやはり大手種苗メーカーが除草剤とセットで販売している遺伝子組み換えの種子のようです。 いつの間にか、遺伝子組み換え作物、普及してしまっていますね。 日本ではTPPと遺伝子組み換え作物の議論を混ぜて、TPP反対の論陣をはっている方がいらっしゃいます。 僕はこの方の話に賛成なんですが、ただ、その前に、遺伝子組み換えの種子が販売されたら買ってしまう農業者のメンタリティの問題もあると思います。 タイでも、遺伝子組み換え作物以前に、野菜が農薬漬けなのだそうです。 チェンライの北部では、山地の冷涼な気候を利用して、キャベツやレタス、葉ものが栽培されているそうですが、これが見ていてつらくなるぐらいの農薬漬けで、栽培している農民は自分では食べないといいます。 野菜に言われるがまま農薬をかけ、すすめられるがままに遺伝子組み換えの種子を購入する。 だって売れるからしょうがないじゃない。 手間が省けるから、それでいいでしょ。 そんな声も聞こえてきそうです。 日本がTPPに参加しようがしまいが、同じようなメンタリティが日本の農業従事者にもあるのだとすれば、遺伝子組み換え作物は日本でもやはり普及するし、大手種苗メーカーの市場支配は進むのだろうと思います。 その証拠に、ほとんどの野菜は、種を採取しても意味のないf1の種を使って作られています。 そして、農業者はそれをおかしいとは思わない。 そう考えると、やはり日本には大手メーカーの供給する遺伝子組み換え作物が普及する土壌があると言わざるを得ません。 TPPに反対するだけではなく、そこのところをしっかりと考えないと、TPPに反対することイコール遺伝子に対する権利を守ることにはならないのだということだけは、認識しておかないといけないと、改めて感じました。 じゃあ、そういう農業者のメンタリティを変えるために、僕らに何ができるのか。 まずは一部の自分で種を採りたい、種が採れる作物でおいしい野菜を作っていきたいと考える農業者を探し、応援する事です。 そういう人、実はけっこう多いと思います。でも、地域のしがらみの中で、発言ができない状況に追い込まれている。 普段の生活では、八百屋やスーパーで、野菜を買うときに、お店の人に、「これ、f1?」と聞いてみるというのはどうでしょうか。 答えが返ってこない気もしますが、彼らが「最近、何人かにそういうこと聞かれたなあ」って気にとめてくれるだけでも効果がありそうです。 ちなみに、TPPで農業を聖域にするという話に関しても、なんか議論がごちゃ混ぜという気もしますが、この話はまた今度。

「食からエシカルスタイルを考える」講演をしてきました

26日、大阪市のいきいき地球館で開催された、おおさか市民環境講座2013で講演してきました。 テーマは、「エシカルスタイルのすすめ〜「食」スローフード」でした。 このテーマは、研究者としてというよりは、活動家、あるいは個人として僕が考えてきたことでしたので、少し経済学の話を離れて自由に話をしてきました。 それでも、環境問題を考えるための基本的な軸として、世代間の公平が根底にあることは伝えることができました。 エシカルスタイルは、エシカルコンシューマー=「倫理的な消費者」的な生き方です。 何から何まで倫理的に生きることは少々窮屈な気がしますが、僕の伝えたかったことは、「節度を持って生きること」です。 「売ってるんだから買って何が悪い?」という考え方をする人がけっこういると思うのですが、それは消費者は常に受け身であるという考えに基づいている発想です。 「買わなければ売らなくなる」という事実もあることを考えて、自分なりの指針を持って、それに合わないものは積極的に買わないという選択をすることで変わる世の中もあります。 もう一点、エシカルな食べ方を習慣化することも大事だと考えます。 スーパーで商品を目の前にして、あるいはレストランでメニューを前にして、毎回「これは倫理的だろうか」と考えることは疲れることです。 まずは、基本的な考え方が近いお店やレストランで買い物をするようにすることです。 そうすれば多少、欲望が爆発する日(笑)があっても、全体としては、自然にエシカルな方向性に沿った消費ができるはずです。 そしてそういう店の商品が売れるようになれば、供給者もそういう価値観に沿った商品の開発を進めるようになります。 とまあ、こういう感じの話をしてきました。 そうそう、遺伝子組み換え食品の話もしたんですが、これに関しては、ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)あたりを読んでいただきたいなという感じ。 遺伝子組み替え作物が暴走してしまった世の中で、新たな遺伝子を探し求める遺伝子組み換え企業のエージェントがタイで出会う冒険です。だいぶSFですけど、行き着くところまで行くとこうなるのかなというイメージとか、社会の雰囲気はよく描いています。

4月から移籍します

みなさん、こんにちは 坂田です。 3月いっぱいで、大阪を離れ、九州で働くことになりました。 九州では、近畿大学産業理工学部の経営ビジネス学科に所属します。 これから、九州での活動を充実させていこうといろいろ構想中です。 お楽しみに。 大阪での9年間で知り合った方、お世話になった方、たくさんいます。 ほんとうにいい経験ができた9年間でした。 みなさん、ありがとうございました。 ブログを更新する頻度が、最近すごく落ちているのは、この準備というか心の整理にずいぶん時間をとられていたからという気もします。 なにかを書き始めても、つい、9年間を振り返って、感傷的になってしまったりしていました。 でも、まだそれをみなさんに報告するタイミングではないんだった・・・消そう。 とまあ、そんなことの繰り返し。 過去を振り返ることも大切だけど、今やっていることもとても大切なことで、そちらをきっちりと報告していきたいなと思う次第。 3月は2日からタイに行ってきます。

やっぱり現地調査は重要

関東地方調査から戻ってきました。 今回は3泊4日です。 とにかく寒かったです。 福島では、磐梯山に雪が積もっていて、「この辺りでは11月になると初雪が降るよ」なんて言われてしまって、改めて気候の違いを感じた次第。 会津若松で立ち寄った居酒屋のおじさんが「会津の歴史は京都と似てる」と言ったことには「???」でしたが・・・ 個人的な事情もあり、なかなか現地調査ができなくなっていたのですが、百聞は一見にしかずとはよく言ったものだなと、改めて納得しました。 本で読んでいても、あまり理解できないことが、現地を見て、話を聞くとすっと入ってきます。 ちょうど卒論を指導しているのですが、ほとんどの学生の論文は、中身がうすい。 それは現実を知らないからだと思います。 現実を知ることは人生経験がないとなかなか難しいかも知れませんが、少なくとも、たくさん文献に当たること、現地を訪問すること、などによって補うことができます。 えらい先生になればなるほど、フットワークも軽いものです。 ぜひ現地に行ってもらいたいなあと感じました。

Androidタブレットを仕事で使う(PDFの利用)

近年、論文の大半がPDFで取得できるようになった。 必要な論文を毎回プリントアウトして持ち運んでいるうちに、気づいたらせっかくメモした論文がどこに行ったか分からないなんてこともなくなりつつある。 最近はできるだけ論文はPDFのまま読んで、ちょこちょことメモをするようにしている。 印刷するのは、よほど計算がめんどうなものや、きっちりと詳細まで読む必要なものだけだ。 特に便利なのは、学生の論文をPDF化して、移動中に読んでコメントを書く事だ。 学生の論文は書きかけのものを指導することになるので、いちいち出力すると紙がもったいないし、すぐに膨大な量になってしまう。 また、私大なのでゼミ生の数も多いから、ほんとうにけっこうな量になる。 12月頃には、一人10枚以上の書きかけの卒論を20人前後持ち歩くことになるので、それだけで200枚だ。(両面で100枚だけど。。。) というわけで、ノートパソコンやタブレットで作業をしたい!という野望が出てくるのは当然のことだろう。 ノートパソコンでもいいのだけれど、ノートパソコンは仕事をするためには微妙な仕様で、縦が狭い。 紙は通常縦長に使うのだから、ディスプレイも縦に長くあるべきだと思うのだが、それを分かってない人が多くて、画面上部にごてごてとメニューを配置してしまうソフトも多い。 タブレットのばあいは、縦置きに持てば、縦に長いのでその辺の問題がなくなる。 PDFを見るばあいには、この違いがかなり強く効いてきて、タブレットはPDFが見やすいなと感じる。 (特に、10インチ) じゃあ、タブレットでPDFを見れるとして、メモ等はどうすればいいのだろうか。 iPadやiPhoneはたぶん、Goodreaderあたりが便利そうなんだけど、Androidのばあいはどうなるんだろうか。 気になりながら、今まで放置してきたけれど、今日はちょっと時間があったので、試してみた。 実験の結果、ezPDF Readerという300円ぐらいのソフトとDropboxを組み合わせると、非常に快適なことが分かった。 Dropboxで、論文等を入れたフォルダを開き、読みたいファイルを選択する。 そして出てくる画面(PDFを開くツールを選択する画面)から、ezPDF Readerを選択してファイルを表示させる。 読む際には、適当に画面をダブルタップすると、二段組みのばあいには、一段ずつズームしてくれるし、次ページで次の段に移動もしてくれる。 注釈の方は、注釈メニューを選択すると、「注釈のためにコピーを作成しますか?」と聞かれる。 これは好みだけど、僕はそのファイルに注釈を入れたいのだから、これには「いいえ」と答えて、直接注釈を書き込む。 書き込むと、すぐにDropboxがその変更を検知して、クラウドに注釈の書き込まれたファイルがアップロードされるようだ。 タブレットで注釈を書き込みながら、PCというか、僕のMacbook airで、Dropboxの挙動を眺めていると、数十秒で、書き込まれた注釈がMacのDropboxフォルダにあるPDFに反映されている。 というわけで、なんとなくiPad欲しいなあとか思ってたのだけれど、当面はAndroidタブレットでいいかなという気がしてきた。 (Kindleも予想以上に、日本語の書籍が少ないので電子ペーパーの必要はないかなとちょっと思いはじめている。 むしろ、Kindleでは経済学とか技術系などの書籍も読むので大きめの端末(タブレット)が必要で、日本語は小説や新書がメインになりそうなので、こちらは、Sony Readerがいいかなという流れに傾きつつある。)

どのくらい家庭で森林資源を活用すれば森を守れるのか?

簡単に計算してみたところ、日本の森林蓄積、毎年一人当たり0.72立米ずつ増加しているようだ。 現在の森林蓄積が十分な量であると仮定すると、日本に住む人が毎年消費すべき木材の量ということになる。 で、適当に林業白書から数字を拾いながら、現在の消費量を考えてみると、0.72立米どころか、その20%弱しか消費できていない。 今後は、木製品(紙も含めて)の国産化を進めつつ、消費拡大を考える必要がある。 森林資源の消費といってぱっと考えつくのは、薪ストーブやペレットストーブの活用だが、これは、1世帯が1シーズンで4−5立米ぐらいの消費らしい。所有率は1%にも満たないはずだし、これを5%ぐらいまで増加させるのは非常に困難だろう。 また、紙の消費を増やそうというのは、ちょっと抵抗がある。 住宅の木造化・国産材の活用といっても、住宅の長寿命化を合わせて考えるならば、そこまで大きな消費にはならないはずだ。 と、こんな事を考えると、やはり農業のビニールハウスの加温とか、温泉の加温、あるいは発電などにチップを使うのがよい気がする。 火力発電の次は、木力発電! 野菜なんかも、森林資源をエネルギーとして利用して栽培したものですとか表示するようにするとかもおもしろいかも知れない。 正直、これだけものあまりの時代に、木製品を買おうといわれても、買っても置く場所ないなあって感じる。 それよりも、普段消費しているものの素材(エネルギー)を少し木質のものに置き換えてくれると、あまり意識しなくてもそれなりの量が消費できる。 次の問題は、チップをハウスの加温に使ったとして、僕らが一年で食べる温室野菜がどのくらいの量かって事。 どこかに資料ないかなあ。 省エネルギーセンターの資料が使えるかな?

熊本市電で散歩

熊本の路面電車にのってぶらっと一日を過ごすというのは可能かなあと妄想中。 路面電車だけに、駅(電停)前に何かがあるという場所は少ないのだけれど、いくつかいい感じの店を見つけた。 少しずつ、集めてリストを作ってみよう。 (Facebookとの連携テストを兼ねて投稿です)

森林資源の活用

簡単に計算してみたところ、日本の森林蓄積、毎年一人当たり0.72立米ずつ増加しているようだ。 現在の森林蓄積が十分な量であると仮定すると、日本に住む人が毎年消費すべき木材の量ということになる。 で、適当に林業白書から数字を拾いながら、現在の消費量を考えてみると、0.72立米どころか、その20%弱しか消費できていない。 今後は、木製品(紙も含めて)の国産化を進めつつ、消費拡大を考える必要がある。 森林資源の消費といってぱっと考えつくのは、薪ストーブやペレットストーブの活用だが、これは、1世帯が1シーズンで4−5立米ぐらいの消費らしい。所有率は1%にも満たないはずだし、これを5%ぐらいまで増加させるのは非常に困難だろう。 また、紙の消費を増やそうというのは、ちょっと抵抗がある。 住宅の木造化・国産材の活用といっても、住宅の長寿命化を合わせて考えるならば、そこまで大きな消費にはならないはずだ。 と、こんな事を考えると、やはり農業のビニールハウスの加温とか、温泉の加温、あるいは発電などにチップを使うのがよい気がする。 火力発電の次は、木力発電! 野菜なんかも、森林資源をエネルギーとして利用して栽培したものですとか表示するようにするとかもおもしろいかも知れない。 正直、これだけものあまりの時代に、木製品を買おうといわれても、買っても置く場所ないなあって感じる。 それよりも、普段消費しているものの素材(エネルギー)を少し木質のものに置き換えてくれると、あまり意識しなくてもそれなりの量が消費できる。 次の問題は、チップをハウスの加温に使ったとして、僕らが一年で食べる温室野菜がどのくらいの量かって事。 どこかに資料ないかなあ。 省エネルギーセンターの資料が使えるかな?

amazonからいよいよkindle日本語版が登場

さて、iPad miniが出て、どうしようかと思ったところで、日本語版Kindleが発売されました。 さあ、どうしようって思う方も多いかも。 Kindle FireもKindle FireHDも安くて魅力的ですね。 紙資源の消費、あるいは本棚のスペースを考えると、ここはそろそろ電子書籍端末が欲しいところです。 僕はどうかと言いますと、Kindle Paperwhiteを買いました。 目が弱いからなのか、パソコンを仕事でずっと見ているからなのか、タブレットで本を読みたいと思いません。 電子書籍を読むならやっぱりE Ink(電子ペーパー)を使っている端末がいいです。 そうなると、選択肢はむしろ、Sony ReaderとKindle paperwhiteになってきます。 どちらがいいのか・・・ 僕は英語の小説も買えるという点で、Kindleを選びました。 そう、どちらの端末が魅力的かではなくて、どちらのショップが魅力的かで選ぶ方がよいということです。 おそらく端末は一定期間経つと古くなって新しいものが欲しくなるでしょう。 でも、購入した書籍の資産は残ります。 たとえ今端末が魅力的でなくても、書店が魅力的ならば、あるいは未来の可能性を感じるなら、そちらに 対応したものを買えばよいのです。 そういう意味では、楽天のkoboだって、将来性があるのかもしれません。 ここにきて一気に盛り上がりを見せている7インチタブレットでもいいのかもしれません。 ちなみにタブレットの方は、iOSだろうとAndroidだろうと、Kindleアプリは使えますので、結局はamazonから書籍が買えます。 電子書籍端末には、辞書代わりに持っていたい本をいれておくと、とたんに使い勝手がまします。 その点、英語のKindle Storeには、リファレンス的なものや経済学書、プログラミング関係の本もありますので、この辺も便利です。 そんなわけで、僕はamazonがいいかなあと感じて、注文しました。 そうそう、 先日も書いたように、電子書籍は身近な人に何気なく本棚を公開して本をシェアすることができないのが難点ではありますが、小説なんかをさっと読んで、めったに読み返さないばあいには、いいかなと思っています。

電子書籍の限界

電子書籍が一気に増え始めている。 そろそろ、Sony Readerを買おうかな。 なにしろ端末が1万円前後と安いので、失敗してもまあしょうがないかなと思える。 ちょうど、スマホのSIMを月に500円のものに変えたので、1万円ぐらいならすぐにもとがとれるしね。 書店を見ても、わりと欲しい本が出始めている。 講談社が9月末に一気に100冊追加したりで、週に1000冊ペースで増えている感じ。 出張とか移動が多いから、本、できたらあまり持ち歩きたくない。 なのにいつも3−4冊の本がなぜかかばんに入ってる。 これが、電子書籍端末一つにおさまればどれだけ楽だろう。 紙資源もいらなくなるし。 ただね、電子書籍ってほんまにどうなんかなあって思うことが一つ。 家族で貸し借りできないし、こっそり親父の本を見るということもできない。 僕が大人の本を読み始めたのは、本棚に並んでいた父親の本に手を出してから。 小学6年生ぐらいの頃、僕は図書館で借りたこども向けのハードカバーばっかり読んでいた。 そんな、ある日、図書館で借りた本を読んでしまって、何か読むものを探していた僕は、父親の本棚に何気なく目を向けた。 そして、たぶん、池波正太郎だったと思うけど、時代小説を一冊手に取って、ぱらぱらと読み始め、はまってしまった。 こどもにとって、親の本棚に並ぶ本の背を見て育ったり、親の本に手を出すことって、とても自然なことだし、大切なことだと思う。 電子書籍になると、そういう機会は少なくなるのだろうなあ。 「これは読んでもらいたい」という本は、紙で買うかも知れないけど、意図せずにこどもが影響を受けてしまう方が、いいんじゃないか。 夫婦間でも、「これ、おもろかったで」とぽんと本を渡すなんてことができないのだろうか。 確かどこかの電子書店は友人間の貸し借りシステムを実現していた気がするけど、そういうの、実装されていたらまあいいのかも知れないけど。。。 あるいは、友達が来て、ざーっと本棚を見て、 「あ、これ持ってる。おもろいよなあ」 「え?あんたがこんなん読むん?意外やけど、うれしいなあ」 なんて、会話も成り立たなくなる。 電子書籍は、今まで家に入れる人にとってはオープンだった書棚が、完全にクローズドでパーソナルなものになってしまうのかも知れない。 それってほんとうに「進歩」なのかなあ。