僕はあまり寒がりではないのですが、最近、筋肉の衰えとともに足の冷えが気になるようになってきました。 それにしても、学生って薄着ですよねえ。 見てるこっちが寒くなるくらい。 それに対抗するわけではないのですが、僕も薄着生活を目指してみようかと思うのですが、なんともやっぱり寒いですね。 どうしたもんかと思っているときに、友人のA氏からとあるお祝いにもらったのが、使い捨てカイロ。 せっかくやからと思って使うと、これが暖かい! こんなにちいさいもののくせに、体が温まるんやなあと実感。 使い捨てなのが気になるんですが、使い捨てじゃないものもありました。 実は最近スロービジネススクールの仲間と話題になっていたのが、使い捨てじゃないカイロ。 ハクキンカイロ PEACOCK といい、オイルを化学反応させることで発熱させるというものです。 僕は出張が多いので、出張先でもオイルを補給できるよう、Zippoからでている予備のオイルタンク付きのセットを買いました。 すぐに届いたものの、オイルがない!そもそもたばこ吸わへんからライターがない!というオチもありましたが、無事点火することができました。 そしたら・・・ものすごく温かいです。 持続時間もオイルの量によって変えられるようで、最大24時間。予備から補給すると48時間使えます。 大満足なんですが、相方に自慢した瞬間 とられました! まだ2時間しか使ってないのに。。。>_< ちなみに、Zippoのオイルはライター屋さんで買えました。オイル缶もスチール缶だからリサイクルできそうなので、使い捨てカイロよりも環境負荷が大幅に小さそうです。 これで、カイロは環境のことを忘れて使えます。
ときどきエコ的、環境問題とつきあう6つのものさし
3月に 正食協会というところで講演をしました。そこで話したのが、この6つのものさし。 改めて書くと、
- 伝統的な技術(十分なテスト)
- シンプルな技術(理解可能なものを使う)
- 小規模な技術(スモール・イズ・ビューティフル)
- 情報が公開されていること(アクセシビリティ)
- 信頼できる人の意見(判断を誰かに委ねる)
- 使用量が少ないこと(重要なものから考えていく)
の6つです。 こういうものさしをきっちりと持って暮らすことで、日々の生活が、社会の変化へとつながっていくのだろうなあという実感がじわじわと湧いてきています。 ものさしを持たずに、その場その場で判断すると、どうしても判断がぶれてしまって、後悔してしまいます。 ちなみに、この6つのものさしをうまく使う最大のコツは「ええかげん」なこと。 基礎さえぶれなければ、多少ずれても大丈夫。 あんまり厳密に考えずに、だいたいの指針だと思って使うことで、長く付き合うことができます。 必ず軌道修正ができます。 来年は、6つのものさし+ええかげんをみんなに伝えて回るつもり。 ちなみに、5つめの基準、信頼できる人の意見に頼るということも、このええかげんにつながります。 自分で考えたり、調べてたりしたら大変なので、ある本で紹介されていることや、誰かが薦めていたことに乗ってしまうというのもありです。 そうじゃないと、身の回りのことすべてに詳しくないといけなくなりますもんね。
Cafe Slow OSAKAの近況
僕が2週間に一回のペースで開催している「スローなおはなし会」の会場がCafe Slow OSAKAです。 十三(阪急梅田駅(大阪)から電車で5分)駅から徒歩7分ぐらいの場所にあります。 今年のはじめくらいから多くの人に「もうすぐオープンするよ」って言い続けているのに、まだカフェがオープンしていなません。 みなさんにいい加減なことを言ってしまった形になっていて、申し訳ありません。 ちなみに、ここはレンタルスペースでもあり、レンタルスペースとしてはすでにオープンしており、イベントが開催されています。 僕の「おはなし会」もその一つ。 今は、メキシコを訪問した際のレポートを4回シリーズでおはなししています。 この最終回が12月6日なので、それ以降はまた少し別のテーマで話そうというところです。 スケジュール的には12月20日になりますが、キャンドルナイトとのかかわりを考えると、17日にするか、来年に持ち越しかです。 カフェとしても、3月に会社として登記して、6月頃に営業許可をもらっています。内装もほぼ完了しています。 あとは、運営する二人の気持ち次第なんだと思うのですが、「できることはある程度やった」と納得した状態でスタートしたいということのようです。 かなりいい空間になってきているので、期待大なんですがねえ。 仕事帰りにちょっと寄りたいって思うんですが、どうなりますか。
民主党の壊し方=今すぐ政権を担うこと
民主党はそろそろ自分が政権を取ったことを想定して行動すべきだ。 民主党に期待すればするほどそう思う。 欧州の緑の党は連立与党に参加するまでの勢力を誇ったが、今はそうでもない。 支持を失った最大の理由は安全保障問題だと聞く。 自民党の議員たちは、民主党との二大政党制時代がやってきて、政権交代が定期的に起こるような時代を本当に危惧しているだろうか。 もしそうだとしたら、そういう時代が来るのを回避する方法が一つある。 今すぐに、民主党に政権を委ねることだ。 このエントリを執筆している時点で、民主党を潰すであろう論点は、テロ特別措置法だ。 民主党はこの法案に反対しているが、果たして政権を取ったときに、アメリカの意向に逆らってテロ特措法を否決できるだろうか? 僕はできないと思う。 そのとき、有権者はどう思うか? 僕はテロ対策の応援なんてしない方がいいと思う。イスラム圏に対しては別のアプローチが必要だし、可能だと思う。 でも、米国の強いプレッシャーを受けて、それをはねのけることができるか。 国民の関心がほとんどない問題で、本当にそれができるだろうか。 たぶん国民にとっては、テロ特措法に反対した民主が政権を取って、ころっと主張をひっくり返せば、民主党のイメージは下がるだろう。でも、もともと反対していなければ・・・支持は変わらないんじゃないか。 現状で政権を取って、米国のプレッシャーをはねのけることができない場合、有権者の支持は大幅に下がるだろう。 多くの国民が「自民党と違う行動をする政党」を求めているとするならば、場合によっては民主党は壊滅的な打撃を受けるはずだ。 右派と左派の混在する民主党で、自衛隊・国防の問題をきちんと意思統一できるか、一国もはやくやらないと政権を担う力を持てないことにもなる。 党を挙げて、国連中心主義を掲げるのか、米国に追随するのか、あるいは自衛隊を海外に一歩も出さない方針をとるのか、とにかく意思統一が必要だ。 僕は二大政党制が実現して、僕らの一票が次の政権党を決める時代が来ることをまずは期待している。 「最後は自民党が勝つんでしょう?」 とみんながどこかで思っている時代が過去のものになれば、どういう時代が来るにせよ、もっとみんながまじめに選挙・政治を考える時代が来ると思う。 そのためにも、民主党にはしっかりして欲しい。
環境問題は誰のためならやりますか?
友人が「地球にやさしい低公害車」って、矛盾してないか?と一言。 「地球にやさしい」という言葉がなんだか好きじゃないという人もいる。 最近読んだ論文で、環境問題、何のためなら人は行動するのかという疑問に取り組んだものがある。 自分のため、人(人類、子や孫、など)のため、地球(や自然環境、動物たち)のための3つに分けてアンケート調査を行った。 自分のためというのはよく分かるし、現実でも、「得になるエコ」というと人々が動いてくれると期待した話が良くある。 3つめの地球のためというのもわかりやすい。動物がかわいそうとか、母なる地球を守ろうというものだ。 問題は、2つめの人のため、だ。 何となく僕は、人って他人のためには動かないのかなという気がしている。他人にお金をあげるくらいなら環境保護に払うというイメージだ。 が、論文では、この2つめが一番人々の行動に影響を与えるのだそうだ。 自分のためが一番にならないのは、自分のためになるぐらいならすでにやっているということかもしれない。 地球環境よりも人が大事というのは僕にとっては少々ショックな話だ。 今までの「得になるエコ」と「地球にやさしい」ではなくて、別のキーワードが人を動かすためには必要だったのかもしれない。 「次の人のために、ときどきエコ」 なんてどうかなあ。
格差問題、論点を変えると、見えてくるものもあります
格差問題がいろいろ言われています。 論争の中心を担っているのは、経済学者で、割と身近な問題で経済学者の出番がきているのは珍しいことです。 これで経済学に対して、みんながもっと身近に感じてくれるようになったらいいですね。 少し、懸念しているのが、論争の多くがデータを見ながらであること。 データ=数字という感じになっていることもちょっと気になるのですが、それ以上に、格差問題の議論が一般の人の関心に沿っているのか、という点です。 なんでも客観的なデータをもとに考えようという態度は、非常に重要で見習わなければなっていつも思います。 できるだけ客観的なデータをベースに議論しようとすると、入手できるデータから使えるものを何とか探そうということになり、データを深く分析する態度も養われます。 そして、ちゃんとしたデータと、根拠の曖昧ななんの論拠にもなり得ないものが混在していることもわかります。 ここでは、格差問題のうち、若年層の格差について考えましょう。三浦展氏の「下流社会」に近い問題意識です。 格差の何が問題かを考えると、社会階層の固定という問題は確かにあるのですが、僕は若者のやる気(モチベーション)の低下こそが問題なんじゃないかと思います。 彼らが将来を見て、がんばる甲斐があるかどうかを判断するのは、周りの雰囲気でしょう。残念ながら、日経新聞を見て、あるいは統計データを見て、将来の判断はしないでしょう。 そう考えると、今、格差問題で注目すべきは、若者が自分たちの未来の可能性をどう感じているか、彼(女)らがモチベーションを得ることができないのであれば、どうすれば、モチベーションをもてるような社会が作れるかどうか、なのではないでしょうか。 がんばってもしょうがなければ、モチベーションはわきません。ある意味で、彼(女)たちは合理的な判断をしているのです。 所得データをもとにして格差の有無を議論している経済学者の議論の多くは、「彼(女)たちは間違ったデータをもとにモチベーションを低下させているんだ」ということを証明することになっているのかもしれません。 「格差を証明する事実はない」ということは、学問として、あるいは政策判断としては非常に重要な指摘です。 でも、「格差を感じている」あるいは「格差を信じていてモチベーションが下がっている」事実があれば、論点が大きくシフトしてきます。 若者の感じ方なんてデータじゃないという方は、景気動向の判断を町の人に聞く雇用関連指数などというものもあるってことを思い出してもらえればよいと思います。 人々の実感も、取り方によっては統計データになります。 少し、「格差の存在」が論点なのか「格差を信じてやる気を失っている人がいる」ことが論点なのか、というポイントを考えておきたいという気がします。 そのために、まずすべきは、若者がなにを見て将来へのモチベーションを失っているのか、彼(女)たちが反応するサインを見極めることが必要です。 さて、これが難しいことです。
まちは誰のものか〜再生と活性化<2>
前回は、ほしがっている人に土地を譲れ!ともとれるような表現をしました。 でも、実際には、誰にでも土地や店の権利を譲ってしまうと、気づいたらパチンコ屋とか大手スーパーのチェーン店が入ってしまうことになります。田舎だったら産業廃棄物の埋め立て地になるのがオチです。 それでは誰に土地を売ればいいのでしょうか? ここでもう一度押さえておきたいのは、土地は誰のものか?です。 土地は誰のものでもなく、そこに生活する人が先祖や地球から預かっているものと考えてみてはいかがでしょうか。 確かにあなたはその土地の権利を持っています。 でも、その土地をあなたはご先祖様や周りの人が喜ぶような使い方をしているでしょうか? 使いもしないのに「いつか使うかもしれない」といって、死蔵してませんか? せっかくの土地、周りの人に喜んでもらうような使い方をすることが、ご先祖様の生活が染み付いた大切な土地を行かす方法ではないでしょうか。 あなたの土地は確かにあなたのものですが、同時に空間としての土地は町や地域の一部なので、そこに住むみんなのものであるということもできます。 つまり、土地は周りで生活している人々に売ればいいのです。 実際には商店街ならば、商店会。農村地域ならば、土地保全団体をみんなで作ってその団体が土地を保有するようにする。 こうすることで、その地域に住みたい人がその場に住めるようになります。 同時に開発されることもなくなります。 そして、地域のグループが土地を貸したり売ったりする不動産業をはじめてしまうのです。 そうすれば、適正な価格でお店や住居を貸し出したり販売したりできますし、まちに必要な人材・商店に入ってもらうことも可能です。 こういう感じの地域トラストのような仕組み、実現すればほんとうに地域が良くなる気がします。 残る問題は財源です。 土地を買うといっても、そんなお金、どこにあるの?って聞かれそうですね。 でも、このぐらいのお金ならば、地域の銀行がまとめて融資してくれるはずです。
再生と活性化:田舎と商店街
研究を始めてからずっと僕に流れるテーマが、地域の活性化。商店街のみんなに相談される度に逆に問い返していた質問が「あなたが言っている活性化ってつまり何ですか?お金が儲かればそれでいいんですか?」ってこと。 多くの人が一瞬びっくりした顔をして、「あはは、難しい問題ですよねえ。」と笑ってごまかしてしまいます。 僕は、「お金が欲しければ、全部イオンに売っちゃえばいいんですよ。中途半端に残すんじゃなくて、全部まとめて売ればきっと買ってくれますよ」って付け加えることにしています。 実はこれ、農村地域の活性化についても同じです。 「あなたたちが欲しかったのは、このきれいな道路なんですか?」 こういう問いが僕の中では少しずつ広がって、現在の研究テーマである、「豊かさの評価」につながっています。 商店街も、田舎も、普通の人の生活も同じです。 みんな「今よりもよく」って思っているんだけど、「よく」っていうのがどういう意味かをよく考えていないんですよね。 だから、活性化施策がやってきて実施されても、「なんか違う気がする・・・」って思うんでしょう。 さて、最近、この問題にさらに新しい切り口が必要なことに気づきました。 よくよく考えてみたら、「地域を活性化する」ことと、「今その地域にいる人たちの豊かさ」は必ずしもつながらないんですね。 特に商店街だと、シャッター通りといいながら、シャッターの裏側には、人がちゃんと住んでる。シャッターを開ければ、昔の店が残っているんだけど、もう商売はやっていない。 それを貸してくれって頼んで回るのが、空き店舗活用事業ですね。 でも、なかなか貸してくれない。 彼らは何を考えているんだろう。なぜ、自分たちの住んでいる地域が衰退していこうとしているときに、自分の生活を優先しているんでしょう。 僕も昔はそれが当然に思えていました。 でも、商店街は人が商売をしながら住むことに意味があります。 店を閉めて、自分の生活だけの場にしてしまえば、そこからどんどん商店街が衰退していきます。 田舎でも同じです。 僕の友人の住む福岡県のとある村。 住みたいっていう人はたくさんいるのに、家を貸してもらえない。たぶん、そこにずっと住んでも家を売ってもらうなんてもっての他なんでしょう。 「彼らがきてくれて地域が元気になった」 なんていいながら、実際には外から来た人に非常に肩身の狭い思い、「いつ出て行ってくれと言われるかわからない。長くは住めないんだろうな」という思いをさせています。 ほんとうに地域を元気にしたければ、まず自分たちが持っていることを放棄すること、ここから始める必要がある気がします。 とても厳しく、つらいことを言っているのは分かっています。 でも、自分の行動が地域を衰退させているんだって思うことの方が、20年後、この地域はもうないんだって思うことの方がつらい、そんな気がします。
スパムに屈しかけてます
ずいぶん、久しぶりの更新なのに、こんなネガティブな記事というのも少し情けないですね。 この間、大量のスパムメールにサイトの閉鎖を考えていました。 というもの、「ときどきエコ」の上部から僕にメールが送れるようになっているのですが、ここにスパムが大量に来るんですよね。 しかも、意味の分からないアドレスへの大量リンク。 これがまた、怪しげなドラッグとかアダルト系とかだと、いちおうやりたいこともわかるのですが、そういうわけでもない。 本当に、なんのサイトか分からないんですよね。 以前のスパムといえば、未承諾広告というか怪しいサイトやモノの宣伝が大半でした。 なかでもアダルト系(特に出会い系)の勧誘メールが多かったですね。 これらは、自サイトへユーザを誘導するという、つまりはクリックしてもらいたいという気持ちがよくわかるものでした。 それが今では、メールというか、ブログへのコメントやフォームへの入力によるスパムが大量に増えています。 この特徴は、意味不明のアドレスが列挙されていることです。 こういうのは、このサイト(ときどきエコ)から先方にリンクされているという事実が欲しいためだと考えられます。 Googleなんかは、被リンク数といって、他のサイトからリンクされている数の多いサイトが検索結果の上位に来るようになっています。 そのため、これを稼ぐために、こういう大量のスパムを書き込んでいくわけです。 少し前には、コメントがこの攻撃でやられてしまったのですが、今度は連絡用ページです。 最近ではGoogleもこの手のリンクは排除するようになったといううわさを聞くのですが、実際にはなかなかやめる人も少ないのかもしれませんね。 せっかく人が楽しみでブログ作っているのに、こういう余計なことで悩まされるというのは、なんだか悲しい気持ちになります。 こういう「卑しい行為」で稼いだお金も額に汗して働いて得たお金も同じにしか思えない人たちなんでしょうね。
いよいよ動き出すポスト京都議定書
京都議定書の達成は無理だという主張を見て、「なるほど、無理なのか。あきらめよう」って簡単に思う学生に失望する日々です。 まだ希望はある、なんとかしようよって考える人たちがたくさんいるのに、すぐに楽な方に身を委ねてしまう安易さ。 なぜ無理という人と、そうではない人がいるのか、それぞれどういう根拠でそういうことを考えているのだろうか?と考えていくことが勉強じゃないかな。そして、「自分の考えはどちらだろうか?」と問うのもいいでしょう。 さて本題。 アジア欧州会議(ASEM)外相会議(ドイツ・ハンブルクで開催)が29日、閉幕し、2009年までに2013年以降の枠組みを決定すべきということで合意した。 (産經Webの記事) 詳細な合意内容(議長声明)はいずれ外務省から出されることだろうが、とりあえず、期限が区切られたのは大きい。 日本はなぜかこういう期限とか具体的な数値目標には反対しがちであるが、これは国内でも同じ。いつでも、漠然とした数値ならいいが、具体的なものになると「達成できないと責任問題が生じる」として拒否する。 期限を決めた数値目標を設定するのは、そもそも責任ある行動を求めているからであるのだから、政府の対応はつまり「やれたらやる」と言っているのと同じ。 報道記事を見ただけで判断してはならないが、今回の議論、今までの立場を協調しているだけなのだが、中国の真意が気になる。 中国というのは実は国内でもかなり環境対策を進めていて、(実施状態は別にして)制度上はかなり充実したものになっている。 特に若手官僚の意識が高いと聞く。 そんななかで、ポスト京都議定書の議論に参加している国は、最終的には個別の数値目標を持つことになるだろう。そこへ中国がきっちり参加してきているということは、中国自身が数値目標を持つつもりが積極的にあるのかもしれない。 もちろん、米国の動きも微妙だ。 次期大統領選を控える中、京都議定書への復帰は分からないが、ポスト京都議定書に対しては大幅な削減目標を受け入れるかもしれないし、それを主導する可能性もある。 (後で政権変わって離脱という可能性があるのはブッシュのときと同じ) そこで日本はどうすべきか? おそらく今は米国の陰に隠れ、さらには「中国の参加が必要」という言い訳に頼っている。 しかし、気づいたら、温暖化対策反対の最前線に立たされてしまっているという状態も見えている。 数値目標と期限を押し付けられるのではなく、自分から選択していくことが重要だ。 幸い日本には国立環境研究所があって、かなり詳細に日本の削減ポテンシャルを分析している。 10年後を予測するというのは難しいことだけれど、この10年で技術も意識もかなり変わった。 今後の10年はさらに変わるはずだ。 国際的には、これらの分析をベースに数値目標を主導的に提案していくべきだ。 まずは、炭素税を導入して、「俺は関係ない」と言っている人に行動のインセンティブを与えることが必要だ。 最近のガソリン価格の値上げと人々の対応を考えると、1炭素トンあたり3万円ぐらい(ガソリン1リットル10円程度?)の課税でも、社会へのショックは少ないと思う。 (もちろん、ガソリン税に含まれる道路関係の税は縮小して、税額全体の上昇は2−3円に抑える)