SafariでNucleusのBookmarkletを使う

Blogツールには、今みているページに関する記事を書きたいと思うとき、ブラウザのメニューからボタン一発でページへのリンクを張った記事を作成する機能がある。 それを支える技術が「Bookmarklet」という技術だ。 Bookmarklet自体は、何もBlog専用の技術ではなく、ょっとした機能をブラウザに追加するときに使うことができる。 NucleusにSafariからBookmarklet経由で記事を追加する場合、インターネットエクスプローラー用のものは使えないようだ。 だめかな?と思ってたら、Mozilla用のものが使えるようだ。 試してみたところ、問題がなく使える。 Safariも1.2になって、かなり機能が改善したように思える。 1.1のときにうまく表示できなかったページがきちんと表示できている。 (って、このときどきエコが表示できない代表例だったのだけど)

水素自動車は25年以内には普及しないと全米科学アカデミーが回答

Planet Ark : US Panel Says Hydrogen Car Is 25 Years Down the Road 米政府は、年間12億ドルを投じて燃料電池の開発を行ない、2020年までには水素自動車を一般消費者が購入できる価格にまで下げたい構え。 燃料電池は、自動車やトラックから出る排気ガスをなくすだけではなく、家庭やオフィスの電力・熱供給に利用することが出来る。 これに対して、科学アカデミーの議会諮問グループは、25年以内に目標が達成されるのは無理だろうと回答した。正確には、 「もっとも早いシナリオでも、25年以内にはガソリンの輸入・使用状況に顕著な影響は与えない」 ということである。 環境保護グループは、この問題に関して以下のようなことを述べた。 燃料電池が開発されるまでには、アメリカだけでも4億5千万台のガソリン車が売られることになる。中東に頼るガソリンの使用量を減らし、地球温暖化の問題を解決するのに、燃料電池だけに頼ることは出来ない。 SUVやRV、ピックアップトラックなどに燃費制限をかけるなど対策を考える必要がある。 燃料電池って夢のエネルギーのように言われてるけど、実はこの技術、そんなにたいしたものではない。 何がと言えば、燃料電池というのはあくまでも「電池」だと言う点を忘れてはならない。 何らかのエネルギー源(一次エネルギー)を用いて、燃料電池で利用する水素を作り出さなければならない。 そのエネルギーを確保する戦略を立てておかないと、現在の火力・原子力発電所で水素を製造するだけのことになってしまう。 そして、水素を輸送するのは、電気を送ることに比べればはるかにコストもかかる。技術的に解決されていない問題も多い。 燃料電池は、家庭用太陽電池、太陽熱温水器、地域で設置した小型風力発電所、バイオマス発電所などと組み合わせて使用するべきであろう。 周知のように、太陽光は不安定な部分もあるエネルギーであり、昼間はかなりあまるのに対して、夜間はまったく発電が出来ない。風力発電も同様だろう。 上記のエネルギー(循環型エネルギー)の中で、唯一安定していると思えるのがバイオマス発電であるが、もしかしたら、供給量が季節によって異なってしまう可能性もある。 現在はこういった不安定性の問題によって利用に消極的であるが、燃料電池の出現によって状況は劇的に変わる。 エネルギー供給側はエネルギーを供給できるときにどんどん供給すれば良い。あまれば、水素を作れば良い。 利用する側は、エネルギーを利用すれば良いのだが、ただし、深夜電力を利用した温水器と同じで、無限に利用できるわけではない。 さて、エネルギーの残量を気にして暮らすことはストレスだろうか? 地球環境の行く末を嘆きながらじゃんじゃんエネルギーを使うことと、使いすぎそうな日には少々エネルギーを節約する生活をすること、どちらがストレスだろうか? 「今日はたくさん使うかな?」と言う日のために町の水素屋さんにボンベを持ってきてもらうという選択肢もありえる。その他にも、このシステムの実施を前提にすれば、ストレスを緩和する方法はいくらでもあるだろう。 そういうのを前提にしたうえで、みんなはどっちを選ぶのだろうか。 僕に出来ることは、どの程度まで節約しなければならないかを試算して、人々に決断のための状況を提供することだけだ。 けれども、ざっと考えると、日常生活を営むためには必要十分なだけのエネルギーが供給できるのではないかな?という予想もある。   Planet Ark : US Panel Says Hydrogen Car Is 25 Years Down the Road

奄美・与論から帰ってきた

結構大変でしたが、無事帰ってくることが出来ました。 今回、与論では、与論献奉というものを体験してきました。 これ、「ヨロンケンポウ」と読みます。 意見交換をした役場の方々が夜、歓迎をしてくださったのですが、そこで行ないました。 大きな盃に焼酎をついで、順番に飲んでいくというもの。ルールの説明は観光協会のページにあります。 我々に関しては、結構まけてくれて、本来は、人数分の回数が行なわれるのですが、今回は1回だけでした。 献奉をはじめとして、飲み会で飲む焼酎は、「有泉」という与論で作られている黒糖焼酎です。 この焼酎は、20度なのですが、辛口の仕上がりになっており、かすかに花の香りがします。奄美にはもっと「あ、これ黒糖やねえ」とにおいをかいだり、味見をするだけで黒糖焼酎と分かるものもありますし、はっきりと甘い焼酎もあります。その中でも有泉は、黒糖とは分かりにくい、黒糖上級者向けのお酒です。 戦後すぐの頃は、お米がもったいなかったので、麹にはソテツを使っていたそうです。 今は、麹にお米を使いますが、たぶん、これは酒税法にも絡んでいると思います。 というのも、黒糖焼酎は、本来ラム酒と同じ蒸留酒なのですが、奄美大島で作る黒糖焼酎だけは例外的に「焼酎」と認められています。ただし、全部を黒糖で作るのではなく、一次仕込みには、米を使ってもろみを作ります。この点が唯一ラムと黒糖焼酎の違いです。これがなければ、焼酎ではなくて、他の蒸留酒と同じ税額になるそうです。 ちなみに、黒糖焼酎のルーツに関する考察も非常に面白いです。 話を与論に戻すと、与論のまちは、なんだかものすごく「ノスタルジック」な感じでした。 特に僕の世代とかもう少し上の世代なら、良く分かると思いますが、「おしゃれなビーチ」のイメージそのままの雰囲気です。 もちろん、それがそのまま20年ぐらい経ってしまっているので、ペンキとか剥げ落ちてるし、壁に書かれた絵ももう薄くなっています。 けれども、そのなんだか寂れた感じが僕のイメージそのままで、「昔、ここにおしゃれな若者たちがいた。今では彼らは・・・」ってな感じのフレーズをつい思い浮かべてしまいます。 この雰囲気をうまいこと生かしながら、「癒しのリゾート」って雰囲気に脱皮できれば、もしかしたらまた与論ブーム、起きるかもしれません。

明日から奄美・与論です

奄美大島の現状調査に行ってきます。 鹿児島に来てから奄美にはすでに4回行ったので、今回で5回目だ。 この島に行くと音楽ができない自分が呪わしくなる。 (ああ、僕はこの島には住めない人間なんだなー) って感じ。 多分、全員が歌がうまいわけではないし、蛇皮線が弾けるわけではないだろうとは思うが、どうせ住むならそういうことをしてすごしたいと思う。 今回の目的は奄美大島の人たちと研究交流をすることだ。 中でも奄美大島の「環境」というものをどう思っているのか、話をゆっくり聞く機会が持てればありがたいなあと思っている。 奄美大島は元ちとせのおかげもあるだろうが、やはり島唄が有名で、それ以外にも南国風の民俗が結構知られていると思う。 そして、自然は、「写真がきれいだからまあ豊かなんでしょうね」ぐらいに思われているのではないだろうか。 確かにそういう側面はあって、これといった環境資源はないのかもしれない。 (ほんとはいっぱいあるよ。奄美の自然は本当にすばらしいと思う) 今回の視察では、そういった場でも、自然環境を守りながら観光資源として利用している人たちに話を聞くと言うのも重要な目的だ。 自然が有名ではないだけに、そのすばらしさをどうやったら分かってもらえるかという問題はとても難しい。 だから、ガイドの腕が重要になってくるわけだ。 エコツーリズムの一つの純粋なあり方がここから見えてくるのではないかな、と思う。 もちろん、奄美にもマスツーリズムの波が押し寄せてきているし、住民もそれに期待するところが結構ある。 今回はそういうものはちょっとおいておいて、純粋なものを見てそこから何が考えられるのか、考えてみたいと思う。 ・・・目の前に積まれている仕事の山を見てたら、つい逃避して、一つ記事を書いてしまった。また仕事に戻ります。

パソコン回収が3カ月間で3万台 電子技術産業協(Mainichi INTERACTIVE コンピューティング)

昨年10月から始まった新しいリサイクル制度。 このシステムは、基本的には販売時にリサイクル費用が上乗せされており、郵便局に回収を依頼すると言うものだ。 ただし、今回収されているのは、当然昨年10月以前に販売されたものだから、上乗せされていない。よって、メーカーに対してリサイクル費用を消費者がちゃんと支払ったうえで、回収してもらっている。 さて、問題はこの3万台と言う数字だ。 回収元のJEITAの情報によれば、現在家庭系パソコンの総台数は2400万台(H13)で、年間の販売台数が、約394万台(H14)だそうだ。 パソコンの寿命をまあ、10年ぐらいだとすると、年間240万台が捨てられる計算で、3ヶ月だと、80万台だ。 そのうちの3万台が回収されたことになる。 制度開始直前の駆け込み廃棄とか、開始後の捨て渋りのような状況は家電リサイクルでも見られた光景だ。 これを考えても、年末大掃除でごみが大量に出る年末の3ヶ月で3万台だ。 一体何を考えると「捨てられたはずの3分の1が回収された」と言えるのだろう。 いずれにしても、容器包装、家電、自動車ときてついにパソコンまで来たがあまり世間の反響がなかったように思う。 何だか、もう慣れてしまったようだ。 こんな感じで世の中、少しずつリサイクル社会に向かっていくのかなあ。 Mainichi INTERACTIVE コンピューティング JEITA あるいは、普及率が急速に伸びたと仮定して、ここ3年間で年間400万台ずつ増えたとすると、残りは120万台。これが7年間で、350万台、300万台、200万台、150万台、80万台、70万台、60万台とかと考えると、合計で121万台になるから、まあ、こんな数字を使ってみよう。 昨年3ヶ月で捨てられるはずなのは、60万台のうちの4分の1だから、15万台。 実数は3万台。 ってことは、20%が無事回収されたことになる。 これなら結構将来的に期待が持てる数字かもしれない。 が、いずれにしても、こういう計算を示さずに、「3分の1が回収された」と言われても良く分からない。

小説の楽しみ:物語と主人公

藤沢周平の作品を読むことにした。 以前から父から勧められていたし、正月に帰省したときには弟が絶賛していた。 そのときは、特に読もうとは思わなかったのだが、弟に借りた司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んで少し考えが変わった。 (弟が面白いと言うなら面白いのかもしれない) 僕は、書店に行き、藤沢周平の作品を選んできた。 選んだ作品は、「用心棒日月抄」。 剣の達人で浪人中の主人公である青江又八郎が浪人して3月半後から、1年程の出来事を記した作品だ。 この本を選んだ理由は、シリーズ物だからだ。 僕は本を選ぶときはだいたい長い物を選ぶことにしている。 それを、藤沢周平を読みながら考えていたら、同じ主人公とそれだけ長い間付き合えるからだということだった。 魅力的な小説の中の主人公の生き様を見たいから僕は小説を読むのだった。 物語はむしろその後だ。 どちらかと言えば、物語や時の流れを優先する司馬遼太郎よりも人物を優先する池波正太郎が好きなのもそのせいだった。 ストーリーを知り尽くしている物語を何度も(しかもぱらっと開いた場所から、)読むのも、その主人公に出会えるからだった。 なんとなく、藤沢周平を読みながら、そんなことを思った。 藤沢周平はどちらかと言えば、物語に凝る方なのだろう。 何となく、青江よりも、サイドストーリーとしての忠臣蔵外伝とでも言うべきストーリーが印象に残ってしまう。 青江自身は何となく印象の薄い主人公だ。 むしろ友人の細谷の方が心に残っている。 主人公が嫌であまり好きではないシリーズ物といえば、平岩弓枝の「御宿かわせみ」がある。 主人公東吾の恋人の「るい」があまりにいじらしくて読んでいられないので、読むのを途中でやめてしまった。 もちろん、るいの女心を通して世界を作り上げるのが作者の技術であるし、この小説の味だと言うことは分かるが、あまりにもかわいそうだ。 もっとも、今は東吾とるいは無事結婚しているらしいから、そこまで読めば違う味わいがあるのだろうが、リアルタイムで追いかけている読者にはつらい展開だった。 日本ではないが、中国の主人公を物語った小説では、宮城谷昌光の描く主人公たちがものすごく魅力的だ。 さまざまな境遇に身をおいている人々であるが、いずれも後世に名を残した人ばかりと言うこともあるのだろうが、その行動や考えには感動せずに入られない。 中国の社会も小説を通して垣間見えるのだが、現代に通じるものは何かというと、やはり人ではないかと思う。 その人の描き方が絶妙だ。 一方で、物語を作るために主人公をはめ込んだんだな、と思ってしまう作品は数多くあるけど、ほとんど印象に残っていない。 物語の構成が良くできていればいるほど、「ああ、理論の枠に現実をはめ込もうとすると、こうなるよな」といいたくなるような、形式ばった人物像が目に付いてしまう。 そうなると、物語自体がすごく人為的なものに見えてきて、好きになれなくなってしまうし、心にも響かない。 このあたり、好みがあると思うので、自分の好みにあった本の選び方をすると良いのかな?と思う。

大雪

My Garden

My Garden2

(庭から見た景色、いちおう、カラーなんですけどね) うちは、鹿児島でも結構田舎なんで、かなりつらいことになりました。 自宅から鹿児島市まで約4キロの道のりが圧雪&アイスバーンの連続です。しかもこの間、ずっと坂道を上ったり下ったりなので大変です。 おかげで車がすべるすべる。 あげくに、フロントガラスが片っ端から凍っていってなんか怖いし。。。 ブレーキでタイヤはちゃんと止まっているのに、すーっと、そのままタイヤが雪の上を滑ったり、がりがりがりっと、氷の上を滑ったりでした。 朝から会議だったので8時前に家を出たときは、500メートルほどで断念して家に帰りました。 (その間、2台の事故車+立ち往生1台発見) 次に出かけたときは10時過ぎだったのですが、根性で鹿児島市には到達したのですが、その先がすごい渋滞。 (こら、何時に着くかわからへんわ) ってことで、自宅に引き返そうとしたら、さっき来た道にはなぜかでっかいトラックが止まってて通れなさそうな感じなので、より車どおりの多い道から帰ることにしました。 そしたらこっちがまたもや大渋滞。 いつもは5分で抜けるところが30分ぐらいかかってしまいました。 結局、雪が降り止まないので、夜になったら吉田に帰ってくるのは無理かも、ってことで、自宅待機といたしました。

環境ニュース(海外):イングランドのリサイクル率 目標達成まであと一歩

イングランドのリサイクル率が目標の17%に近い15%になる見込みらしい。 しかも、来年度の目標は25%だという。 ちなみに、日本の市町村のリサイクル率は、一般ごみだけだと14.3%なので、少し負けてますね。ただし、全廃棄物の8~9割を占める産業廃棄物のリサイクル率は結構高いので、こちらを含めると似たようなものかもしれない。 なかなかリサイクル率を上げるのは難しいと思うのだが、イングランドでは積極的にコンポスト(堆肥化)を進めているようだ。また、リサイクル率を向上させるために、14の地方公共団体に資金を提供するという。 いくつのかの地方公共団体にだけ、集中的に資金を投下するという政策を日本政府はあまりやらない。 やる気がある自治体に先に行ってもらうよりも、みんなでがんばってやっていきましょう、と言う考え方だ。 そうなると、同じ資金を投入しても当然効果が異なってきて、全体的なパフォーマンスは下がる。 どこの自治体でも同じようなことをやっているから、技術的な多様性もなくなるし、政策が失敗だとそのツケも大きい。 当然ながら、失敗した場合のツケが大きいと言うのは、導入する政策が持つリスクが高いと言うことを意味する。 同じリスクがあるのならば、先に進みたい地方公共団体に集中的に資金を投下して、彼らに様々な施策を試してもらうと言う方が良いのではないだろうか。 環境省は、ガス化溶融炉に自信を持っているようだが、技術的に危なっかしいし、他にもやり方を模索してよいのではないかと思う。 ちょっと、月並みかな? 環境ニュース(海外):イングランドのリサイクル率 目標達成まであと一歩 しかしこれ、去年の12月18日のニュースですね。 やはりニュースは原語のリソースから引っ張らないと、情報が古くなってしまいますね。

2003年度卒業生の卒業論文が提出

鹿児島大学法文学部経済情報学科の卒業論文提出締め切りの1月20日、坂田ゼミでも無事7名が卒業論文を提出した。 いずれ、当サイトからPDF化した論文自体にリンクを張ることを予定しているが、とりあえず今日はタイトルだけ。 どの論文もかなりの力作で、結構読み応えがあります。 公開をご期待ください。 岡崎信也「脱大量廃棄社会へ向けた住民政策~豊島産業廃棄物不法投棄事件を事例にして」 折原隆之「屋久島の進む道~屋久島型エコツーリズム確立への施策」 竹井葉子「環境管理システムの現状分析と取り組みを広げるための具体的提案」 中村真弥「環境活動の普及過程についての研究」 東早弥香「バイオマスエネルギー供給における市民参加手法に関する研究」 宮副千尋「需要サイドから見た水道水とミネラルウォーター利用の両立可能性」 山下恵子「企業、行政、部品メーカー3者による化学物質管理整備体制構築システムの提案」