ずっと音楽がなり続ける環境

実体験を持たない人々が増えているという。キャンプに行きたいというので連れて行ってみたら、虫の多さに苦情たらたらで、「まさか虫がいるとは思わなかった」とかいうのは序の口だ。 まだ僕は会ったことがないが、魚は切り身の状態で泳いでいると思っている子供もいるという。 (想像したら、切り身が泳いでいるってめちゃくちゃ不気味やね) さて、今日は相方と今夏唯一の休みという感じで、京都にライブを見に行ってきました。 ライブハウスRAGが主催しているLive In Kyoto リターンズです。円山公園の野外音楽堂でした。 午後2時からスタートしたライブ、夕方頃に疲れてかえってしまいましたが、今年1年で一番紫外線浴びて、一番汗かいた日だったかも。 大阪に来て2年半、よく歩き回るようになったせいか、多少あつくても、汗かいても体が平気になりました。 さて、ライブですが、ミュージシャンも暑そうでしたね。 1時間強のステージを3組やるのですが、大変ですよね、やっぱり。 一曲終わるごとに汗ふいて・・・って感じ。 それでふと思ったんですが、僕らは普段、CDやラジオから流れる音楽を聴いていますが、それは一日中絶え間なく流れてくるのが普通に思えています。 でも、ミュージシャンにとっては、(たとえ暑くなくても)一曲一曲演奏するのにそれなりに体力がいるわけです。 生演奏で絶え間なく演奏ってことになれば、複数のグループを用意して、次々に交代させていく必要があります。 しかも、ミュージシャンによって使う楽器が違うので、セッティングの時間も必要ですよ。 今日はセッティングに30分ぐらいかけていました。 そうなると、インターバルを少なくするためには、二つ以上のステージを用意して、ステージを交代で使う必要があります。 もちろん今は録音した音源だからそんな必要はありませんが、僕らが何気なく音楽を聞き流せるというのはそれだけすごいことを技術の力で実現しているんだなあと実感した次第です。 まあ、僕が楽器を弾いているわけではないので、音楽を奏でる大変さを直接体験したわけでは確かにないのだけれども、こういう実体験を一つずつ体験していくことが、社会を実感を持ってとらえることになるのかなあと思っています。 くれぐれも実体験なしに世の中や経済を語りたくはないなあ。

原子力発電所のこと、知っていますか?

イスラエルがレバノンに侵攻している。 ヒズボラという反イスラエル組織がレバノンにいて、それを倒すためだそうだ。 昔英会話を習っていたときに、レバノン人の先生がいた。 アラブ人ではなく、普通の(?)西洋人だった。 情けないけど、レバノンについて僕の知っている知識はそのぐらい。 よく話は聞くけど、実は詳しく知らないことってたくさんある。 環境問題の代表は、原子力発電所だ。 政府は安全でコストも安いし、発電の際に二酸化炭素を出さないという。 市民団体は、原発反対を唱えているし、原子力発電所を使うことをやめると宣言している国もある。 いったい、どちらを信用すればいいのか? 今回、僕の所属するスロービジネススクールでは、原発の問題をみんなに知ってもらうためにブックレットをつくることにした。 知ってもらうというのは、知って自分で判断することが重要だからだ。 原発の問題はみんなに関わることだ。 反対したって、今すぐ原発なしの生活をしようといっているわけではない。 大きく原発に依存してしまった現状から、少しでも原子力を使わないようにして行こう、よりクリーンなエネルギーを使おうという主張が多い。 賛成派は、どんどん原子力発電所を建設しようという主張だ。 どちらが正しいのか、自分で判断してほしい。 というわけで、ブックレット、1冊300円で、9月半ばには出来上がると思う。 興味がある人は、1割引ぐらいでお分けできると思うので、8月15日までに僕宛にメールください。

努力することすら許されない社会が近づいているのか

最近、テレビを見るといえばNHKばかりだ。今日のNHKスペシャルは途中で見るのをやめたくなるような内容だ。家でのんびりお酒飲みながら見る番組じゃなかった。働いても生活が維持できないような人が増えてきているということを指摘した今日の番組、次期首相候補や小泉首相の考えがききたい。 そして、一経済学者として、自分はこれでいいのか、猛省を迫られる番組だった。 景気が回復したと政府や日銀はいうけれど、数字上の景気回復の裏で進行している事態をどう思っているのだろうか。 おそらく、大企業の業績が回復すればそれが中小に波及し、雇用にも好影響をもたらす、ひいては失業者も減り、社会全体がよくなっていく、そんな考えだろう。 こういう上がよくなれば下までその効果が波及するという考えを「トリクルダウン経済学」という。スティグリッツはその著書「人間が幸福になる経済とは何か 」で、こういう考えを「古くさい理論であり信用できないという見方」が一般的であると指摘している(p.348)。 おそらくトリクルダウン経済学について、「まあ、そういうこともあるだろう」と賛同する人もいると思う。けれども、上の人が金持ちになった効果が下にまで波及するのはいったいいつなんだろう。 それが問題だ。 日本はこれだけ豊かになった。 でも今、格差社会、ワーキングプア、ニートといった問題があらわになってきている。 ワーキングプアは、今に始まった話ではないはずだ。今問題なのは、「いつかは豊かになれるはず」と思って働き続ける人に、そんな未来はないよと、次々に宣告が下しているのが今という時期だ。 僕自身も、学者として何ができるのか、一人の人間として何ができるのか、ほんとうに考えなければならない時期に来ている。 もちろん、それ以前に、自分も安泰ではない社会が確実にきていることも忘れてはならない。 国民基礎所得という概念がある。 国民、あるいは労働者一人当たりにつき、いくらかのお金を一律で支給するという制度だ。 今までは「荒唐無稽なあほらしい考え方」と笑われてきた気がするが、少しまじめに考えた方がよい気がしている。 単純に労働者バージョンで説明すると、人を雇うと給料の一部(たとえば6万円)が国が支払ってくれるという制度だ。 企業にとっては、賃金支払いが(社会保険を無視すると)月あたり6万円安くなるから、人を雇いやすくなる。 国にとっては、ハローワークや生活保護、税の支払い免除などによるコストを削減できる。 社会全体としては、職場である程度の訓練を受けた人のストックを増やすことができる。 つまり、失業のコストを考えれば、この方が安いのではないか?と思えるのだ。 ・・・「思う」のではなく、ちゃんと分析するのが僕の仕事。研究が進んだらまた報告します。 NHKスペシャル「ワーキング・プア〜働いても豊かになれない〜

なんでも知ることはできないのだけれど

大学のテストで「京都議定書について書け」という問題をだしたところ、全然できなかった。環境経済学という講義でのことだ。もちろん、気候変動問題についてはちゃんと触れたつもりだ。 ショックだったのは、気候変動に関する京都議定書が温室効果ガスの排出削減をおこなう取り決めであるということすらかけない人が多いことだ。 講義で触れる以前にもやはこれは一般常識なのではないかといいたいが、やはりそんなことはないようだ。 講義では極力現実の事例を紹介するようにしているのだけれども、そのたびに、「知りませんでした」という答えが返ってくる。 「ほんなら、あんたらは何やったら知ってるん?」 と、ついつい聞きたくなるけど、本当に学生たちは何についてならちゃんと知っているんだろう。 詰め込み教育というけれど、この20年間、どういう知識を身につけてきたというのだろう。 環境問題と一口に言うけれども、やはりそれは非常に幅広い問題だから、僕だって環境問題のことすべてを知っているわけではない。 一般の人はなおさらだろう。 でも、それでも一般常識として知っておいてもらいたいこと、知っているだろうと予測しても差し支えないようなことってあるはずだ。 温暖化については政府も結構広報活動やっている。 なのになんでこんな状態になるのだろう。 原因を考えてみるとやはり、「知る気がない」ということに尽きるのかなと思う。 確かに知る気がないことについては、いつまでも知らないままということは良く分かる。 ぼくにも経験はたくさんある。 つい最近も、毎日使っている職場のトイレで発見があった。3つ並んでいる個室のうち、一番奥が洋式だった。大学に通って、毎日使っているトイレの一番奥の個室がどうなっているか、2年半の間知らなかった。 そんなに広いトイレではないにもかかわらず、だ。 自分のことを振り返っても、やはり「知らない」ことよりも、「知る気がない」ことをこそ問題の中心にすえるべきなのかもしれない。 そうなれば、「啓発活動が大事」という言葉がなんだか空虚に聞こえてくる。 それよりも、「関心を持っていなくても世の中が変わるような仕組み」の重要性が増す。 思えば、環境先進国として知られているドイツの政策は、基本がこういう仕組みづくりだ。

世の中はこれからどうなるのか?一つの極端。

日々を過ごしていると、「これからどうなるんやろう」という不安感がわいてくることってあるとおもう。 その正体を解明しようと取り組んだのが今回紹介する2冊(といっても両方とも上下の大作なので4冊)。 今世の中では、産業革命以来の変化が起きていると主張する。レクサスとオリーブの木の著者、トマス・フリードマンと第三の波の著者、アルビン・トフラーと(その妻、ハイジ・トフラー)だ。 今回は、表紙のきれいさにひかれて、フラット化する世界を先に読んだ。そのあとでトフラーの富の未来を読んでみた。両者とも、基礎となる資料や情報は驚くほど似通っているので、後に読む方はわりとすぐに読めるだろう。 フリードマンのいうフラット化と収束によってもたらされる世界がイメージをつかみやすいのに対して、トフラーの描く未来の世界は少しわかりにくい。 フリードマンはフラット化する世界の中で「アメリカはどうなるのか」という視点で書いている。一方のトフラーは世界がどうなるのかを描いている。この視座の置き方の違いから、細かい主張は異なるが、だいたいのところは同じような感じの本という印象だ。 正直いうと、読んでいておそろしくなった。 特にフラット化の方は、世界やサービスがフラット化するなかで、フラット化できない自分だけのサービスを供給すればよいということが書かれている。しかし、自分だけのものを持っている人も、すぐ後ろにはより低コストで同等のサービスを供給しうる多くの個人が控えているため、不断の努力が必要だ。 そして、最先端でフラット化と戦う人々以外のことは、現在、フラット化と無縁の世界にいる途上国で一日一ドル以下の生活をしている人々のことしか書かれていない。 サービスや製造業がオフショアリングし、職がなくなってしまう先進国の人々のことはほとんど触れられていない。 こういった人々に目を向けている部分があるのは、トフラーの方。 トフラーは、生活の中で行なう、賃金労働以外に価値を生む活動(家事労働など)を生産消費と第三の波で名付けたが、最近は、これ以外の生産消費が増えてきているという。 一見、便利なように見えて、「よう考えたら、なんで俺が窓口業務せなあかんねん」とPCの前で叫びたくなるのが、オンラインバンキング。トラブルなしにすんなりいったら、そうでもないけど、本来はやっぱり窓口係がやってくれた方が楽だし、いらない時間も使わなくていい。 他にもホテルをオンラインで予約したり、カスタマーセンターで人間につながるまで延々と電話のプッシュボタンを押すはめになったり、今まで人間がやってくれていたことをいつの間にか「お客様」である自分がやらなくてはならなくなっている。 それでコストダウンになっているかといえば、料金はほとんど下がっていない。 つまりは、銀行は客を働かせることでもうける手段を見つけたというわけだ。 まあ、そんな恨み節はおいておいて、こういう最近増えたセルフサービスを新しい生産消費として、トフラーはこれからもこの携帯のものがどんどん増えていくだろうという。 つまり、一般の消費者は、労働によって所得を得て、余暇を過ごそうと思っても、新しい生産消費が増えているので、なぜか慌ただしい(序章)ことになるのである。 そして、職がなくなった人々をどうするのかといえば、再教育することによって新しい産業へ送り込むことが求められる。 ここでも、やはり生き残るためには努力が必要になる。 つまりは、のんびり今までと同じようなルーチンワークをこなしていれば、徐々に所得が上がって定年後はさらにのんびりという暮らしなんてどこにもないということだ。 それはそうだろう。 今までは単純労働以外の付加価値が高い仕事のみが海外に出ていたのが、これからはよほどのものではない限り、海外と国内の区別はなくなってしまう。 その中で生き残るのであるから、楽に暮らせる人はどこにもいないはずだ。 なんだか大変な世の中になってきそうだけれども、救いはある。 どちらの本も最後は、「未来はまだ決まったわけではない」と言っている。 そして、こういう世の中で自分はどうやって生きるかはこれから自分たちで作っていく必要がある。 現に、フリードマンも持続可能性を重視する「グリーン」な政治の必要性を主張し、自らもそれに向かう姿勢を示している。 現在のような変化は、渦中にいるとそのインパクトはなかなかわからないけれども、なんとかそれをあらわそうと努力した両者の著作、自分の今の立ち位置を考える基礎とするためにも、一読しておく必要がありそうだ。 この二つの書籍、いろいろと参考になる点が多いので、もう少し話を続けてみたい。 (今また読み直しているところ)

フラット化する世界(上)

フラット化する世界(上)

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トーマス・フリードマン 伏見 威蕃
日本経済新聞社 (2006/05/25)

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フラット化する世界(下)

富の未来 上巻

富の未来 上巻

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A. トフラー H. トフラー 山岡 洋一
講談社 (2006/06/08)

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富の未来 下巻

夏休みの過ごし方

家で仕事をしていたら、廊下がやけに騒がしい。子供が騒いでいるようだ。 こんな昼間になんで?と思ったら、どうやら今日から夏休みに入っている。 僕が学生の頃は、小中学生よりも大学生の方が休みに入るのが早くて、こどもでうるさくなったり、料金が高くなる前に遊んどこうという感じで、7月の10日から20日は結構遊んだ気がする。 それが今では前期は7月いっぱいだし、後期は9月の15日から始まるので、大学生の夏休みも様変わりした。 学生時代にしかできないことという話がある。 実際には多くのことは社会人になってもできる。 できないのは、学生時代に経験しておかないから、なかなか手を出す気になれないだけだ。 それでも、長期間集中してやらなければできないようなことはやっぱり学生時代にしかできない。 リゾートバイトとか、長期の旅行がそれだ。 普通の社会人だと3〜4週間どこかに出かけるなんていうことは会社を辞めない限りできない。 僕も1回生のときには1ヶ月ニュージーランドに行ったり、2年生の終わりに3週間タイに行ったりした(タイは2月)。 「一ヶ月も家を空けるなんて大変なことだ」とか、「バイト先が困る」なんて言う気になるかもしれないけど、そんなことはない。 一ヶ月職場を離れてみたらわかるけど、実際には何も変わらない。 僕ら個人の職場での重要性なんてそんなものだ。 特にバイトはそうだ。 本当に必要なら社員になってくれって頼まれてる。 (僕の場合、1ヶ月タイに行ってたら、バイトをクビになってた。でもすぐに次のバイトなんて見つけられるから全然平気だった。むしろ将来のためには、いくつかのバイトを経験しておくこともよいと思う) 金がないということもあるかもしれないけど、旅行会社が低利のローンを用意しているばあいもある。 親や祖父母に借金してもいい。 どうせ、学生のときに借りたり使えるお金なんて知れている。 就職して、しばらく自宅から通うか、寮にでも入ればすぐに返せる。 というわけで、学生時代に長期間の旅行に行くことがおすすめだ。 それで旅にハマって、ついつい社会人になってからも定期的に会社を辞めて旅行に行く人もいるけど、それもまた面白いものだ。 僕の場合は、ある程度長く旅行に行けることということも、現在の職業を選んだ理由でもある。

大学生が環境問題アピールでパリ・ダカールラリーへ

大阪産業大学が片山右京さんと共同でパリダカに参加するらしい。片山氏がパリダカで使う約9000リットルの軽油を天ぷら油から作るBDFでまかなう。 BDFは品質管理が難しいという話なので、砂漠も走るこのラリーでどれだけのパフォーマンスを示すことが出来るのか注目される。 気になるのは、何パーセントBDFを混ぜた燃料で走るのかというのもポイントだ。日本では10%から30%程度経由に混合したものが使われるが、別に100%でもちゃんと走る。 このプロジェクトでの大阪産業大学のからみは、学生が中心になってBDFの原料となる廃油を集める点。片山氏の呼びかけで集まった70名の学生がこのプロジェクトに取り組む。 なにか面白いことをやれば、学生も結構乗ってくるようで、まだまだ捨てたものじゃない。 学生ののりが悪いという前に、学生が乗ってくるような取り組みをこちらからも仕掛けていきたい。 どんなのがいいかなあ。。。 実は今一つ面白そうなのがあるんだけど、まず学科でゴーサインが出るかが微妙。 できるだけ遊びの要素を入れながら進めていきたいんだけど、会議の中で面白くなくなってしまうかもしれないな、と思ったら、ちょっぴりやる気がしぼんでた。 でも、この話読んで、俺も負けてられんと思った次第。 追記: BDFの利用は、廃棄物(廃油)のリサイクルという点で意味があるのと同時に、軽油を使わなくてすむという意味で温暖化対策にもなる。天ぷら油などの生物由来の油は、原料が成長するときに吸収・固定した二酸化炭素を燃焼時に放出する。この期間は最大でも数10年だ。つまり、成長から燃焼までを考えると、この過程で大気中に二酸化炭素の量は、プラスマイナスゼロであると見なすことになっている。このことをカーボンニュートラルという。 大阪産業大OSUパリダカ参戦プロジェクト事務局 レボインターナショナル 毎日新聞(http://www.mainichi-msn.co.jp/science/env/news/20060715k0000m040021000c.html)

関西の大学生の事件が相次いでいます

ここ最近、関西の大学の学生がいろいろと不祥事を起こしているのが報道されています。僕が関西にいるからよけいそういうニュースを目にするのかと思うのですが、ネットでみる限りは、全国に報道されているようですね。 考えてみれば、僕が大学生の頃は、もういっぱしの大人のつもりで「大学と俺が何の関係があんねん」とかいう感じで、不祥事を起こしても、大学に責任を取ってもらう義理なんてない、とか思っていました。 今、教員という立場になって考えてみても、一連の不祥事、大学と何の関係があるのか、なかなか難しい問題です。 そもそも大学という場所は、学生と教員の関係がそんなに密ではありません。 研究室に配属されていれば、直属の指導教員との関係はある程度濃いかもしれませんが、文系の場合はゼミ生との関係もそれほど濃くありません。ましてや、研究室やゼミに所属していない学生との関係は事実上ないに等しい状態です。 それでもその学生が不祥事を起こせば、所属する学校が批判されるのでしょうか。 「そもそもそんな学生を入学させるのが悪い」「そんな学生を野放しにしておくのが悪い」ってほんとにそうなのでしょうか。 後からだったら、なんとでも言えます。 どんなことでも言えます。 大事なのは、ことがおこる前に、把握してなんとかすることが出来たかどうかです。 自分が学生の頃を顧みれば、大学の先生の話を聞くとはとうてい思えないのです。 教員の側から考えると、そんなに関係が深くない学生について、わざわざ個人的に話す必要があるかどうか、判断も難しいところです。 われわれが、どれだけの時間とエネルギーをさいて、そういう学生と話し合うことが出来るのでしょうか。 なんだか難しい時代になってきました。 そうそう、もちろん、学生の起こした不祥事で大学の評判やイメージが下がるのは仕方がないことです。それまで関係ないと言いたいわけではありません。 こんなご時世ですから、大学の評判が下がるのはさけたいことではあります。 でも、学生の行動一つで評判が良くなったり、悪くなったりするのは仕方のないことです。 むしろ、世間の目がそれだけ我々のこともみてくれているのだと思えばよいのだろうと思います。

自己啓発は必要ですね

先日、京都で開催された環境経済学の国際学会に行ってきました。 知らない間に英語能力、むちゃくちゃ落ちてました。「適当に準備していって、あとはアドリブで話せばいいや」なんて、なめたこと思ってた自分が恥ずかしい。 なんていうか、言葉が全然出てこないんですね。以前はこんなことなかったのに、英語がしゃべれなくなっているという感じです。 日本にいると、ほんと英語を使うチャンスがないのが一つの理由なんでしょうけれども、僕自身英語力を維持する訓練を怠っていた気がします。 そうはいっても、わざわざどこかにいって習うほどの時間もなさそうなので、なんか家か通勤時間にできそうな教材を探してみることにします。 やれやれ、今回はちょっぴりショックでした。

格差社会の中でどう生きるのか

下流社会を読んで以来、ちょっと興味があって格差社会についての本をいくつか読んでいます。 その中でおすすめかの本はといえば、以下に紹介しているうちの、大沢氏の「ワークライフバランス社会へ」ですね。スロービジネス、スローライフにもつながるような話しが冷静な視点から書かれています。 いずれにせよ、これからの時代、わたしたちは、仕事か家庭かといった二者択一の選択ではなく、人生の様々な局面で、仕事に重点をシフトしたり、あるときは家庭に重点をシフトしたりしながら自分なりの人生を生きていく。まさに、ワークライフバランスの時代が到来しているのである。(p.181) という感じの考えが、今後広がっていく可能性を豊富なデータと調査で示している。 ああ、こんなこと考えている経済学者もいるねんなあとついつい思ってしまったり。 (自分のこと棚に上げてますけど) 現実問題として、グローバル化が進む現代で、こういう生き方を認める社会をほんとうにつくることができるのかはみんなでちゃんと考えていかなければいけない問題です。 生き残りたい人はものすごく努力して生き残るし、そうでない人はどうなるのかちょっと今は見えない。 そんな中で今いえることは、スローな生き方をしたければ、ちゃんと努力して自分の居場所を自分で作らないといけないんだってことです。 この他には、林信吾氏の「ネオ階級社会」とやらも買いましたが、これは読む価値ないですね。自分の経験と思い込みと自慢で言いたい放題なんですが、文章がなんだか下手。 世間知らずのバカ学者みたいなことが連発されてるけど、そんないい方しなくてもいいんじゃないかな?なんとなく、「そんなら自分はなんやねん」って言いたくなる。 いちおうサーベイとして・・・と思う人はどうぞ。 森永さんの本(年収300万円代・・・)は、「金持ちがなにゆうてんねん」みたいな部分もあるけど、共働きにすれば十分暮らせるという主張は納得。一読の価値ありですね。 大竹氏の本(日本の不平等)も当然おすすめです。もはや定番ですね。 大前氏の本(ロウアーミドルの衝撃)は、微妙かな。ただすごく分かりやすいのと、希望が持てる。 以下、自分用リンク。

ワークライフバランス社会へ―個人が主役の働き方

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大沢 真知子
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下流社会 新たな階層集団の出現 しのびよるネオ階級社会―“イギリス化”する日本の格差 新版 年収300万円時代を生き抜く経済学 ロウアーミドルの衝撃

日本の不平等

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