なんでも知ることはできないのだけれど

大学のテストで「京都議定書について書け」という問題をだしたところ、全然できなかった。環境経済学という講義でのことだ。もちろん、気候変動問題についてはちゃんと触れたつもりだ。 ショックだったのは、気候変動に関する京都議定書が温室効果ガスの排出削減をおこなう取り決めであるということすらかけない人が多いことだ。 講義で触れる以前にもやはこれは一般常識なのではないかといいたいが、やはりそんなことはないようだ。 講義では極力現実の事例を紹介するようにしているのだけれども、そのたびに、「知りませんでした」という答えが返ってくる。 「ほんなら、あんたらは何やったら知ってるん?」 と、ついつい聞きたくなるけど、本当に学生たちは何についてならちゃんと知っているんだろう。 詰め込み教育というけれど、この20年間、どういう知識を身につけてきたというのだろう。 環境問題と一口に言うけれども、やはりそれは非常に幅広い問題だから、僕だって環境問題のことすべてを知っているわけではない。 一般の人はなおさらだろう。 でも、それでも一般常識として知っておいてもらいたいこと、知っているだろうと予測しても差し支えないようなことってあるはずだ。 温暖化については政府も結構広報活動やっている。 なのになんでこんな状態になるのだろう。 原因を考えてみるとやはり、「知る気がない」ということに尽きるのかなと思う。 確かに知る気がないことについては、いつまでも知らないままということは良く分かる。 ぼくにも経験はたくさんある。 つい最近も、毎日使っている職場のトイレで発見があった。3つ並んでいる個室のうち、一番奥が洋式だった。大学に通って、毎日使っているトイレの一番奥の個室がどうなっているか、2年半の間知らなかった。 そんなに広いトイレではないにもかかわらず、だ。 自分のことを振り返っても、やはり「知らない」ことよりも、「知る気がない」ことをこそ問題の中心にすえるべきなのかもしれない。 そうなれば、「啓発活動が大事」という言葉がなんだか空虚に聞こえてくる。 それよりも、「関心を持っていなくても世の中が変わるような仕組み」の重要性が増す。 思えば、環境先進国として知られているドイツの政策は、基本がこういう仕組みづくりだ。