夏は節電をしなければいけない時代になってきた。 経済学的に考えるなら、電気の消費量を変えるのは、電気料金を変えればいいはずだ。 それも、一番問題になっているピーク時の電気代を2倍〜3倍にしてしまえばそれでいいのではないか。 なんで電気会社はそれをやらないのだろうか。 スマートメーターじゃないからだった。 今の電気消費量の測定方法は、そういえばずっと変わっていない。 家の前についているアナログなメーターを検針の人が回ってきて、チェックして消費量を測っている。 消費量を出すには、先月の指針と今月の指針の差を求めるだけだ。 スマートメーターというのは通信機能までついたものをいうらしいが、アナログではなく、デジタルのものにするだけでも状況は変わる。 何時にどれだけ消費ししているという記録をデータでとることができれば、時間ごとの料金を変えるのは簡単だ。 たぶん、オール電化とか深夜電力プランにした家にはそれがついているのかな? じゃあ、こうすればいい。 新しいメーターに変えない人は、電気料金自体が一定割合あがる。 新しいメーターに変えれば、きめ細かい時間帯料金が課される。 トータルで見れば、新しいメーターに変えた方が得になるようにする。 これだけのことをしておいて、人々の行動が変わるのを待てば、数ヶ月から数年の間に、人々は時間帯料金にもなれて、行動を変えるようになる。 同時に、ピーク時に高い金額をとることができれば、そこは自然エネルギーでまかなうことも十分に考えられる。
フェアトレードは人のためならず(改稿)
スロービジネススクールのメールマガジンに先日、熊本のフェアトレードシティの今後について考察したものを掲載した。 せっかくなので、あれから考えたことを追記して、改めてこちらで紹介しよう。
祝!フェアトレードシティ認定
6月4日、熊本で活動する仲間が待ちこがれた日がやってきた。 熊本市が世界で1000番目、アジア初のフェアトレードシティ に認定された。 フェアトレード・シティ推進委員会 の面々は朝早くから準備を開始し、午前中は授与式・パレード、午後はファッションショー・パーティと盛り沢山のイベントを実施した。 全国からも熊本へのお祝いのメッセージをいただいた。 こういう記念すべき日に、熊本市民として出会えたことをほんとうに誇りに思う。 熊本市のフェアトレード運動は、これからの活動が大事になってくる。大きなことを達成した今、今後なにをすればいいのか、しっかりと考えて進んでいかなければ、求心力を失ってしまいかねない。 大きな方向がぶれないよ うに、活動の原点を見つめ直すために、フェアトレードシティにはどういう意味があるのか考えてみよう。
フェアトレードシティを推進するまち
フェアとレードシティ/タウン運動(以下、世界的に使われている、フェアト レードタウンの方を使用するが、フェアトレードシティも含めている)とは、 フェアトレードを推進するまちという意味だが、その認定には一定のハードル がある。日本の場合には、市内での認知度や行政の協力体制に加えて、地域と の連携という6つ目の要件が加わっている。 この6つ目の要件は、フェアトレードという活動が地元を無視して外の問題だ けを見ているのではないという意味で付け加えられた。フェアトレードタウン 運動が、まちづくりを強く意識していることとも整合性がある考え方だ。 フェアトレードタウンになることは、どういうまちをめざすことになるのだろ うか。議論の前に、「まち」を「ある程度人が集まっていて、そこで人が生き て、暮らしている場」ぐらいにしておこう。厳密な定義をしようと思うと、文 章が長くなってしまうので、この程度にしておく。 もちろん、熊本に限らず、どういうまちでも、すでに「人が集まり、暮らす場」 としてのまちはすでに存在している。フェアトレードタウンによるまちづくり は、この既存のまちに「フェア」という考えで人々が行動する仕組みを付け加 えるものだ。 まちづくりというと、ビルを作ったり、区画整理をして道路を造ったりするこ とと考える人が多いが、それは最後の手段だ。既存のまちがどうしようもなく なってしまったときに、いったんゼロに戻して作り直すことを考える。いつの 間にか、まちづくりというと、その最後の手段のことばかり考えられてしまう ようになっているのが残念だ。
好循環の経済
まちにフェアという考えが行き渡らないと、経済の悪循環が広がり、それが人々 の暮らしにも影響を与えてしまう。簡単にいうと、「とにかく安いものを」求 める行動が広がる。最初は輸入品で安いものを求めるだけで、自分の仕事は安 泰かも知れない。しかし、輸入品の種類が多様になるにつれて、自分が仕事で 扱うものも売れなくなってくる。あるいは、利益率が落ちてきて、給料に影響 が出る。そうなると、生活が苦しいからさらに安いものを求める。そして、再 び給料が安くなるという悪循環だ。 ただし、「当座の役に立てばいい」ものもある。それなのに徒らに品質を向上し、価格にそれが反映されてしまうものもある。例えば、傘なんてそうじゃないか。街を行くほとんどの人がビニール傘を持っている。 傘にはファッション性もあると思うのだが、お金持ちそうな人でもビニール傘を持っている人が多い。 通勤時以外に外を歩くことが少なくなったから、傘を使う時間が減ったからなのだと思う。 一方で、日傘の方はまだビニール傘が出ていないこともあるだろうが、1万円近くするものをもっている女性が多いし、一つ一つのファッション性も高い。 ときどき、間に合わせのものではなく、ちゃんとした傘が欲しいなと思うが、1000円以上の傘で手頃なものとなると、なかなか見つからない。 7-8000円ぐらいのラインが一番中途半端なのだろうか。 ビニール傘や1000円ぐらいで売っているものとどう違うのか、あまりよく分からない。 いっそのこと、1万円以上のものにしてしまえばいいのかもしれないが、今の利用頻度を考えると少しぜいたくな気もしてしまう。 そうなると結局、「ビニール傘で十分か」と思ってしまい、ビニール傘を今日も持ち歩く。 メーカーの方が世の中の変化に対応しきれてないのだろうと思うが、こういうのは、「適当な価値と価格」の提供に失敗している例と言ってよい。 家電製品もそうだ。 おそらく、韓国や台湾のメーカーの家電製品と日本の家電製品は信頼度が一桁か二桁違う。 もちろんそれは、価格に反映される。 不良品率を1000分の1から10000分の1や、100000分の1に下げるのは、相当な苦労が必要なはずだ。 (経済学を勉強していれば、限界費用が逓増すると思えばいい) しかしその信頼度は、消費者に求められているのだろうか? 韓国や台湾メーカーの場合、初期不良は多いのだろうが、連絡すれば即交換する体制ができているとすれば、消費者は初期不良にどれだけストレスを感じるだろうか。 最初は不満を持っても、しばらく使っているうちにそのことは忘れてしまう。 そして次の家電製品を買うときには、また安いものを選ぶ。 人はとにかく「安ければいい」と思っているわけではない。 適正な価格かどうかも見ている。 しかし、同じ価値ならば、やっぱり安い方がいいと考えるだろう。 ここで再び安値の悪循環に陥る。 経済にフェアという要素を付け加えると、この悪循環を断ち切ることができる。 フェアという考え方は、相手のことを対等に考えるということである。経済の 場合も、価格だけを見るのではなく、相手の事情を考えて行動するということ だ。相手も暮らさなければならないとなれば、不必要なまでに値切ろうとは思 わないはずだ。売る側もお金がない人から無理にはとろうとせず、ときどきは まけてくれたりするはずだ。こどもの頃、近所のお店でちょっとしたサービス をしてもらった経験は誰しも持っているはずだ。 相手を尊重するという考え方を商品に当てはめると、商品を作る苦労、作るた めの技術、商品を見つけ出す目利きなどに価値を見いだすということだ。そし て、その価値が価格に反映されるならば、相手を尊重しているという姿勢を、 その価格をきちんと支払うという行動で現す。 どういう商品にもそれを作る技術開発・伝統技術の保全という目に見えないコストがかかっている。 それも含めて支払いをしようとするかどうか。 支払わなければ、商品が継続的に市場に提供されるかどうかはわからない。後継者を育てるコストをまかなうことができなければ、生産を続けることはできない。 最初は、フェアトレード商品=輸入品に対して、作り手の事情を無視するような選択をするかもしれな いが、きちんと作られたもののよさ、安心感などを体験すると、別の品目でも そういう商品を買いたくなるはずだ。 そうなったときに、そのまちに、選択肢 がきちんとあるだろうか。国内、あるいは近場でていねいに作られた食品を買 いたい、手づくりの工芸品を身につけたいと考えたときに、それを手軽に購入 できる環境はあるだろうか。 いいもののよさを伝えてくれる店舗は人は存在するだろうか。 そういう選択肢が数多く提供されているというのが、フェアトレードタウンの 特徴だ。
フェアトレードは人のためならず
経済の悪循環で述べたサイクルをちょうど逆にすると、フェアトレードタウン が経済を通して暮らしにもたらす好循環が見えてくる。 相手を尊重する消費スタイルが広がれば、やがては自分の仕事も尊重される。 そうなれば、給料が増えたり、先行きの不安が少し解消する。そして、増えた 給料で、普段買っているもののうち、フェアな取引での購入量を増やす。こう いう流れを作り出せれば理想的だ。 そう、フェアトレードは途上国の人々のためだけにおこなうわけではない。巡 り巡って、自分の暮らしのためでもある。「情けは人のためならず」といわれ るが、「フェアトレードは人のためならず」なのである。 さてそれでは、フェアトレードタウンの動きを広げるために、今すぐできるこ とは何だろうか?フェアトレード商品の取扱店を増やしたり、フェアトレード の認知度を増やすことも大切だ。そういう活動は、地域の活動の裾野を広げる 役割がある。 僕は今は、フェアトレードの考えを経済に深く浸透させる工夫が必要だと思う。 そのために、フェアトレード商品を看板にするお店が、地域の産品を積極的に 取り扱うことが大切だと考える。
Footnotes:
実際、この文章の下書き時には、フェアトレードタウンが対象とするま ちについて、延々と議論をしてみたのだが、あまり有益な定義は得られなかっ た。論文を書いているわけでもないので、そこまでの議論はそもそも必要なさそうだ。なんだかオタク的な議論になってしまってもおもしろくないしね。
Date: 2011-06-12 10:44:51 JST
Author: 坂田 裕輔
Org version 7.5 with Emacs version 23
遺伝子組み換え作物を許容する条件
先日、ねじまき少女 上・下 (ハヤカワ文庫SF)というSFを読んだ。 原油が枯渇した世界のタイを舞台に繰り広げられる物語。 エコSFという形で紹介がされているけれど、炭素経済の話なら、池上永一の『シャングリ・ラ』で十分だろう。 (あちらはあちらで支離滅裂だけど) 実際、無駄なエネルギー消費を取り締まる環境省の職員、通称白シャツ隊の設定はうまく生きているとは思えない。 この小説は「エコ」という観点から考えるなら、遺伝子組み換え作物の方にもう少し関心が向くべきだろう。 カロリー企業と呼ばれる白人達が世界の作物の種子を支配しようとして、(おそらく)世界で唯一種子バンクを自前で保持しているタイの種子バンクを奪おうとするアンダーソンが物語の中心になる。 そして、タイトルにもなっている「ねじまき少女」のエミコが物語を動かす。 SFとしてはなかなかおもしろいできで、もっと詳しい設定を読みたいなと感じる。 解説を読むと、同じ世界設定で何本か小説が出ているようなので、そういうのを読むことで分かってくるのかもしれない。 世界観に強く関心を持つ人には、やや消化不良な感じを受けるかもしれない。 それはさておき、アンダーソンの所属するアグリジェン社をはじめとして2−3社が世界のカロリー(食料)を支配する世界というのがこれから起こりそうな世の中にあまりにも近いと感じた。 彼らのやっていることは、ターミネータ遺伝子を組み込んで、種子を採ることができない種子を世界に販売するという戦略だ。 現に世界でも同じような技術は存在している。 そしてさらにたちが悪いのは、契約の存在。 遺伝子組み換え作物から種子をとって栽培したら、損害賠償の対象になるのだそうだ。 数年前に話題になったのは、こぼれ種が自分の畑に知らない間に入り込み、それが広がった農家の話。 勝手に種がこぼれてきて、広がったのに、それも損害賠償請求の対象になってしまう。 小説の世界のように技術が進歩すれば、そういう契約で農家を縛ることはないのかもしれないが、農家や地域が自分でいい種を採り、育てていくということができない世の中というのはなんだか怖い。 大企業が培養した種子しか使えない世の中だとすれば、ぼくらが毎日食べている食べ物が大企業のきまぐれに支配されてしまう。 生存権。 人が健康で文化的な生活を営む権利という、人権の根本概念だ。 そして、今、その考え方が少しずつ他の生物にも広がろうとしている時代に、植物だけは自然の生き物として子孫を残すことすら許されなくなってしまう。 遺伝子組み換え作物が、(ものすごい低い確率だと思うが)仮に安全だと証明されても、作物が子孫を残す権利を奪うことは許されない行為だ。 農水省は、遺伝子組換えセイヨウナタネ、トウモロコシ及びワタの第一種使用等に関する承認を検討するためのパブリックコメントを先日実施した。 実際にそれが普及するのかどうかは別にしても、僕は安全性は別にして、次の条件が満たされない限り、遺伝子組み換え作物は許容すべきではないと考える。
- ターミネータ遺伝子が組み込まれていないこと
- 自家採取の権利を制限しないこと
- 自家採取した種や他と交配した遺伝子であっても、該当する作物が自然界に悪影響を与えた場合、20年程度の期間は、種子を開発・販売した企業が損害賠償の責任を負うこと
厳しいと考える人もいるけれど、このぐらいしなければ、ぼくらの周りの植物がすべて人工的なものに置き換わってしまう。
省エネについておしゃべりする会
スローなお話会のお客さんとして熱心に参加してくださって以来の縁である方から、「省エネについておしゃべりする会」をやりたいので、来てくれないかと頼まれたので、行ってきた。 場所は、ユニバーサルシティ駅を降り、USJを背にして5分ほど歩いた、遊歩道(公園?)の一角。 この一角に座を占めて、お茶とお菓子を楽しみながら、ミニキャンドルナイトを行った。 僕の話はだいたい30分ぐらいかな?ちょっとしどろもどろになってしまった部分もあるけれど、言いたいことは伝わったと思う。 今日のメッセージは、「省エネというと自分が直接使うエネルギーだけのことを考えてしまいがちだけど、もっと広い範囲で考えましょう」ということ。 今使っている電気を減らすのも大事だけど、季節外れの野菜を無意識に選ばないという習慣や、家電を買ったりするときにエネルギー消費量を意識するということも大切だ。 例えば、省エネ効率の非常に高い電気製品は高いけど、高級機なので消費電力が低いだけではなく、動作音が小さいなど使っているときのストレスが少なかったりもする。 原発の話もけっこう出ましたね。 やっぱり関心が高い。 僕としては原発は反対だけれど、リスクを知ったうえで、社会が導入するという選択をするならそれはしょうがないかなと思うと発言した。 今まではリスクとコストを過小評価して、導入を進めてきたから、これからはちゃんとやってほしいなと思う。 原発についてはよく聞かれるけれど、僕は、原発は技術的に未熟なので人類は科学者の実験台になっていると感じている。もう少し技術革新が進めば「安全な原子炉」もありえるのかもしれないが、現時点ではやっぱり不安の方が大きい。 (しかも、いろんな人の話を読むと、やっぱり原子力技術を普通に使っても大丈夫なくらい安全になる日はこないのではないかという気がする)
英国:食品廃棄物のウォーター/カーボンフットプリントが明らかに|日刊 温暖化新聞 - daily-ondanka.com
これをみると、家庭の無駄をなくすことが、温室効果ガス削減にかなり効果があるんだなってことが分かりますね。 無駄なものを作らず、買わないということで、ごみ処理コストも削減できます。 もしかしたらというレベルですが、こういう無駄な生産・流通を省いていくことで、サラリーマンの過剰な労働も少し減るんじゃないかな。 捨てられるものを生産するために働く時間ってもったいないよね。 「英国の温室効果ガス排出量の3%(二酸化炭素換算で1,400万トン)、海外でも二酸化炭素換算で600万トンが、英国の家庭で無駄にされた食料品に起因するものだという。」 英国:食品廃棄物のウォーター/カーボンフットプリントが明らかに|日刊 温暖化新聞 - daily-ondanka.com.
映画「森聞き」を見て何を感じるか
先日、招待されて「森聞き」という映画の試写会を見に行った。 といっても東京では既に上映されている映画で、今夏関西でも上映したいという話だった。 100人の高校生が、100人の山の名人にそれぞれ会い、聞き書きをするという「森の聞き書き甲子園」というイベントがある。 その、イベントのドキュメンタリーと言えばまあ、分かりやすいだろうか。 映画がはじまって5分ぐらいして、「あー、これ、寝るな」と思ったのだが、次第に時間を忘れ、気づいたらエンディングだった。 「やおい」というのは、山なし落ちなし意味なしの頭をとったものらしいが、この映画もそういう解釈ができるかもしれない。 10人中6−7人はそういう評価を下すかもしれない。 なにしろ、名人に高校生が取材するのだが、その名人芸や名人の「聞かせる言葉」みたいなものがほとんど紹介されていない。高校生の心の成長も、よくわからない。 監督がぼくらに何かの価値観を伝えるというわけでもないし、明確な結論があるわけでもない。 4組の高校生と名人を追っているから、一つ一つは消化不良な気がして、もっと長く見たいという気にもなる。 だけど、この映画は間違いなくおすすめだ。 世の中にある分かりやすい映画と違って、この映画は見ているうちに、ぐーっと自分の内面に引き込まれていく。 僕の開催している「スローなお話会」は、僕の話を題材にして自分の中で起こるいろいろな心の動きを体験してもらいたい。それが一番大事なことなんだと伝えている。 この映画も、ちょうどそれと同じことが自分の中に起こる。 外的な刺激を受け続けてアドレナリンがたくさん出るような映画もあるけれど、この映画みたいに、自分の心を見つめることができる映画はほとんど見当たらない。 しかも、悲惨な映画・現代の環境問題の深刻さを描いたりして、考えさせられるというか反省させられると言うのでもない。 温かい気持ちで、自分の心を見つめることができる映画だ。 山の人たちを前にして質問が空回りする都会の高校生を見て、「あ、これ、俺やん」と思ったり、口べたであまり質問しない高校生に、「ほら、そこでこの技のことを聞かんと」って感じで教師っぽくなったりする。 自分が70になったとき、こんな風に人生を聞きにきてくれる人はいるんだろうか。 絶えていく技術を見て、その技術はたぶん今の時代、必要とはされていないんだろうなと同意する寂しさ。 試写会に来ていた人の中に、関東の人がいて、すでに5回目になるという人がいた。 見るたびに、いろんな視点から見ることができるから、面白いのだという。 僕もその意見に同意する。 映画が「たったの2時間しか」ないから、一回につき一つか二つぐらいの視点からしか見れないから、ほんとうに何度もみないと!と思ってしまう。 そして、森がきれいだ。 ちゃんと手入れされた森を名人について入っているからだろうか。 光が差し込んで、風の吹き抜けるさまが見えるようだ。 それでいて、たとえこれが白黒でもやっぱり森の風景がありありと浮かぶだろうなと思える雰囲気が出ている。 僕が気になるのは、長い人生で名人と呼ばれるに至った人と出会い、これから社会に出て人生を創っていこうとする人たちの姿だ。 彼・彼女らは名人から何を受け取ったんだろうか。 森の名人に出会わずに、今に至った自分を少し残念に思う気持ちもある。 今夏、大阪でも上映される予定だということだが、僕の職場でもこの映画、ぜひ上映を実現したいと思う。
福島第一原発、チェルノブイリ級の事故へ
原子力保安院は、福島第一原発の事故を、海外の専門家が当初から言っていた「レベル7」に引き上げました。 経済産業省のサイトでは、「ただし、放射性物質の放出量は、同じレベルのチェルノブイリ事故の1割程度です。」というコメント付きです。 (http://www.meti.go.jp/press/2011/04/20110412001/20110412001.html) わざわざこういうコメントつける必要があるのかな? そこまで安全を強調しなくてもいいのに。 ほんとうにそんなに安全なら、東電本社と経済産業省は福島第一原発の横に移転してほしいな。 もはや、この事故で「安全」という言葉、誰も信じなくなっている。 今まで原発関連でうそばっかりついてきたツケがここで現れていると考えた方がいいだろう。 「安全」キャンペーンを張るよりも、信頼回復のための行動をしっかりとるべきだ。 ほんとうに安全なら安全でいいから「なるほど、確かにこれは安全だなあ」とみんなが分かるような行動をとってもらいたい。 信頼関係の醸成という言葉があるけれど、今まさにそれが必要だと感じる。
原発による海の汚染
福島の原子力発電所付近の海から放射性物質が基準を超えた放射性物質が検出された。これについて、東電は次のようにコメントした。
東電は「海水を直接飲むことはないため、現時点では人の健康に影響はない」としている。周辺海域や漁業などへの影響は今後、評価する。 (http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110322k0000e040089000c.html)
あきれる見識だ。 そもそも原発からの温排水で海洋の環境が大幅に影響を受けると言われていることについては、ほとんどの原発関係者は無視してきている。 そして、六ヶ所村の再処理工場が稼働すると、三陸沖の漁業資源の多くが汚染され、食べられなくなるという話も無視されている。 いずれにしても、そこで指摘されている危険性は、「海水を飲むこと」の危険等ではない。 水俣病のときもそうだった。 「海水を飲むことで病気になる」ことを心配する人等いない。 海水に含まれる汚染物質が生体濃縮によって数百倍、数千倍に濃縮され、魚等に高濃度で蓄積されることで、それを食べる人間に悪影響が出る。 こんなこと、常識なのに、あえてそういう常識に答えないところに、今回のコメントが悪質だと感じてしまう。 原発事故に関して、今、東電を責めてもどうにもならないとは思うし、むしろがんばって事態を打開してもらいたいと思う。 その一方で、東京にいる担当者達の見識がこの程度であることに空しさを感じる。
原発の状況(更新終了)
原発情報が錯綜していてよく分からないので、新情報が出るたびに整理します。
←3月22日。原発に関して、最悪の危機は脱したと感じますので、更新を終了します。今後の工事等については、改めて記事を作成して、ウォッチしていきます。 また、長期的な影響についてはまだ不透明すぎて分からない部分も多いと感じます。ただ、放射性物質の飛散はほとんどないように感じます。 今は海の汚染が心配です。
福島には第一第二で計10基の原発があります。また、宮城の女川に3基ありますが、こちらは現状では停止しており、問題は発生してないようです。 第一原発、一号機、二号機、三号機、四号機がんばれ!
福島第一原発
1号機
建設後、40年と非常に古い。 ポンプ異常。建屋爆発。炉心溶融。 圧力容器にホウ酸を混ぜた海水を注入。 「冷却がしっかりとなされていると、合理的に推測される外形的なデータになっている」(16日午後6時の枝野氏会見)
2号機
ポンプ異常。 海水注入も検討中。 14日13時、すべての冷却機能を喪失。 14日17時、燃料が露出する。その後、圧力容器内へ海水注入で水位が上昇。 15日午前6時頃、爆発音。再び燃料露出。圧力抑制プールに欠損が見つかった。 蒸気か煙を放出中。おそらくここから強い放射線が発生。
3号機
原子炉
MOX燃料を使用。(プルトニウムを混ぜた燃料。) 炉心にホウ酸を混ぜた海水を注入中。 (http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110313/t10014651151000.html) 14日午前11時分、建屋が水素爆発。 「冷却がしっかりとなされていると、合理的に推測される外形的なデータになっている」(16日午後6時の枝野氏会見)
使用済み核燃料保管プール
プールの水の量が減少→沸騰。 17日、燃料保管プールに対して、自衛隊ヘリによる上空からの放水後、自衛隊の消防車が放水中。 ・防衛省は今回の任務を巡り、隊員個人の累積被ばく総量限度を通常時の50ミリシーベルトから100ミリシーベルトに倍増した。
4号機
15日火災発生。 「格納容器の中にある使用済みの核燃料を保管するプールの温度が、通常の40度から84度に上がっている」 東電によると、4号機の原子炉建屋は5階建てで、爆発により屋根が損傷し、午前9時38分には4階北西部付近から出火。正午前には鎮火状態になった。 4号機の燃料は、原子炉の定期検査のため、建屋の5階南側にある使用済み核燃料プールにすべて移されていた。午前4時38分、プールの水温上昇を確認。水素爆発はプール内の使用済み核燃料から発生した水素と酸素が反応して起きたらしい。 4号機では、シュラウドと呼ばれる原子炉を囲む構造物の交換作業中で、プールの水位が通常より少なかった。このため、プールの温度が上昇したと考えられる。 (http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110315k0000e040029000c.html) 機動隊によって、側面から燃料保管プールへの放水中。
5号機
メンテナンスで停止中。15日、冷却装置の動力が不十分(?)でじわじわと温度上昇中。 18日、6号機の非常用のディーゼル発電機1台が復旧し、使用済み燃料プールの水を送る機能が回復した。
6号機
メンテナンスで停止中。15日、冷却装置の動力が不十分(?)でじわじわと温度上昇中。 18日、6号機の非常用のディーゼル発電機1台が復旧し、この電源を使って、同じように冷却機能が確保できなくなっている5号機と6号機の両方で、使用済み燃料プールの水を送る機能が回復した。
福島第二原発
1号機
異常。14日午前3時冷却機能回復。 14日午後、「冷温停止」状態で核燃料の分裂が停止。
2号機
異常。14日午前7時冷却機能回復。 14日午後、「冷温停止」状態で核燃料の分裂が停止。
3号機
不明。正常と見られる。
4号機
異常。14日現在、冷却ポンプのモーター交換中。
東海第2発電所(茨城県)
東日本大震災で東海第2発電所(茨城県東海村)の使用済み燃料プールから微量の放射能を持つ水が床にあふれたと発表した。水量は計約3万8000リットル。外部への放射能の影響はないという。 同発電所は運転中だったが、地震の揺れで原子炉は自動停止した。津波により非常用ディーゼル発電機用の海水ポンプが停止したが、残りの非常用電源で原子炉の冷却を進めている。 (http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110314k0000m040098000c.html)
情報源
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110314k0000m040064000c.html
原子力資料情報室:
市民団体として、原子力問題に継続的に関わってきている団体。外部の立場から専門家を交えて、今回の事故について、解説を行っている。 Twitter @CNICJapan http://twitter.com/CNICJapan Ustream ユーザー名 CNIC_JAPAN http://www.ustream.tv/user/CNIC_JAPAN 中継画面 http://www.ustream.tv/channel/cnic-news
12月12日、大阪市で講演します
来週の末、大阪市の「地球環境パートナーシップフェア」で講演をします。(詳細) スローなお話会等を中断しているために、あまり学生以外の前に出る機会が少なくなっています。 「温暖化を解決する社会を考える」というタイトルで、これからの社会や経済がどんな風になればいいのか、僕が今考えていることをお話しします。 育児休業とその前後の育児で、僕が社会を見る目もずいぶん変わったような気がします。 今まで、ほとんど関心がなかった保育や福祉の面についても少しふれようと思っています。 1000名も入る会場ですので、おそらく当日直接来場してくださっても席は十分にあると思います。 平成22年12月12日(日) 13時30分~16時(開場:13時) 大阪市立男女共同参画センター中央館(クレオ大阪中央) ホール 【入場料無料】 大阪市天王寺区上汐5丁目6番25号別ウィンドウで開く (地下鉄谷町線 「四天王寺前夕陽丘」駅下車、1、2番出口から北東へ徒歩3分)