映画「森聞き」を見て何を感じるか

先日、招待されて「森聞き」という映画の試写会を見に行った。 といっても東京では既に上映されている映画で、今夏関西でも上映したいという話だった。 100人の高校生が、100人の山の名人にそれぞれ会い、聞き書きをするという「森の聞き書き甲子園」というイベントがある。 その、イベントのドキュメンタリーと言えばまあ、分かりやすいだろうか。 映画がはじまって5分ぐらいして、「あー、これ、寝るな」と思ったのだが、次第に時間を忘れ、気づいたらエンディングだった。 「やおい」というのは、山なし落ちなし意味なしの頭をとったものらしいが、この映画もそういう解釈ができるかもしれない。 10人中6−7人はそういう評価を下すかもしれない。 なにしろ、名人に高校生が取材するのだが、その名人芸や名人の「聞かせる言葉」みたいなものがほとんど紹介されていない。高校生の心の成長も、よくわからない。 監督がぼくらに何かの価値観を伝えるというわけでもないし、明確な結論があるわけでもない。 4組の高校生と名人を追っているから、一つ一つは消化不良な気がして、もっと長く見たいという気にもなる。 だけど、この映画は間違いなくおすすめだ。 世の中にある分かりやすい映画と違って、この映画は見ているうちに、ぐーっと自分の内面に引き込まれていく。 僕の開催している「スローなお話会」は、僕の話を題材にして自分の中で起こるいろいろな心の動きを体験してもらいたい。それが一番大事なことなんだと伝えている。 この映画も、ちょうどそれと同じことが自分の中に起こる。 外的な刺激を受け続けてアドレナリンがたくさん出るような映画もあるけれど、この映画みたいに、自分の心を見つめることができる映画はほとんど見当たらない。 しかも、悲惨な映画・現代の環境問題の深刻さを描いたりして、考えさせられるというか反省させられると言うのでもない。 温かい気持ちで、自分の心を見つめることができる映画だ。 山の人たちを前にして質問が空回りする都会の高校生を見て、「あ、これ、俺やん」と思ったり、口べたであまり質問しない高校生に、「ほら、そこでこの技のことを聞かんと」って感じで教師っぽくなったりする。 自分が70になったとき、こんな風に人生を聞きにきてくれる人はいるんだろうか。 絶えていく技術を見て、その技術はたぶん今の時代、必要とはされていないんだろうなと同意する寂しさ。 試写会に来ていた人の中に、関東の人がいて、すでに5回目になるという人がいた。 見るたびに、いろんな視点から見ることができるから、面白いのだという。 僕もその意見に同意する。 映画が「たったの2時間しか」ないから、一回につき一つか二つぐらいの視点からしか見れないから、ほんとうに何度もみないと!と思ってしまう。 そして、森がきれいだ。 ちゃんと手入れされた森を名人について入っているからだろうか。 光が差し込んで、風の吹き抜けるさまが見えるようだ。 それでいて、たとえこれが白黒でもやっぱり森の風景がありありと浮かぶだろうなと思える雰囲気が出ている。 僕が気になるのは、長い人生で名人と呼ばれるに至った人と出会い、これから社会に出て人生を創っていこうとする人たちの姿だ。 彼・彼女らは名人から何を受け取ったんだろうか。 森の名人に出会わずに、今に至った自分を少し残念に思う気持ちもある。 今夏、大阪でも上映される予定だということだが、僕の職場でもこの映画、ぜひ上映を実現したいと思う。