地球の論点:原子力は推進すべきか

環境の世界には、伝説がいくつかあって、その時代に自分がいなかったことがとても悔やまれるときがある。 その一つに、Whole Earth Catalogというものがある。 よく分からないけれど、地球と共生するライフスタイルを提唱し、多くの支持を集めた雑誌だと聞いている。 その編集長、スチュアート・ブランドが70歳になって書いた本が、「地球の論点 現実的な環境主義者のマニフェスト」だ。 まだ3分の1しか読んでいないので、評価しづらいのだけれど、今の時点でのコメントを書いておこう。 「70歳にもなると、先行きが短すぎて、リスク評価が鈍くなるのかな」というのが、目次を見て少し読み始めたときの感想。 遺伝子組み換え植物や原子力を推進するだなんて、大丈夫かな、この人。 とまあ、そんな感じ。 ただ、僕自身が原子力を推進するかどうかという点に関しては、安全性とは関係がない次元から反対だという。 日本の原子力は、安全性を議論する資格がない。 うそばっかりで、ちゃんとした合意形成努力をしてこなかったからだ。 経産省や電力会社のせいで、数十年、原子力の普及が遅くなると言っても過言ではない。 彼らは「急がば回れ」という言葉を知らない。 原子力は危険だし、廃棄物の処理は長期間を要して大変だ。 それでも、気候変動のリスクを回避するために必要なのだというのなら、そういう考え方はありだ。 スチュアート・ブランドは、気候変動と比べると、核エネルギーの方が「悪の程度が低い」と主張する。 ここまで読むと、なるほどそういう考え方はありだなと納得する。 大前提としては、この社会のエネルギー依存度を下げられるものなら下げることは大事だと思う。 そのうえで、気候変動を避けるために、とれる手段はすべて動員すべきと言っているように思える。 ちなみに、彼は原子力は安全だと考えているようだが、チェルノブイリ以降にもう一度大きな事故が起これば、世界の原子力開発は止まるという関係者の発言も紹介している。 原著は福島の前に書かれたものだが、今、彼はなんというのか、インタビューを邦訳版につけてくれればよかったのにと思う。 話が少しずれた。 やっぱり、原子力は危険だ。 ただ、車も危険だけど、みんな使ってる。 大事なのは、原子力がどのくらい危険なのか、だ。 本来、原子力の推進に必要だったのは、「この便利だけど危険な技術を我々は導入したいのか」を徹底的に議論することだった。 それを怠ってきた今、日本の原子力は、段階的に止めるか、国民の不安を圧力で抑えて推進するか、開発が遅れるのを覚悟で信頼回復に努めるかの三択だ。 少なくとも僕は、正しい情報が共有されるならば、議論には参加したいと思う。 そして僕は、原子力のリスクよりも高くても高効率の機器を使いたいからその開発を進めようと発言したい。 スチュアート・ブランド(仙名紀訳)『地球の論点』英治出版、2011年