熊本の川辺川ダム計画が白紙撤回

先日熊本県知事の蒲島氏がダム計画に反対する意向を表明したことを受けて、政府が方針を変えた。あの川辺側ダム計画が白紙になった。 正直、おどろいた。
川辺川というのは五木村という熊本県の山奥の村を流れている川で、最終的には球磨川に合流して八代平野経由で海に流れ込む。五木村はほとんど宮崎県との県境だ。 ほとんどの熊本県民が現地を訪れたことすらないのではないだろうか。そもそも、八代と熊本市では地域が違う。 そんな川辺川の問題がなぜここまで大きな問題になったのか、そして大きな問題にできたからこそ、今回の計画白紙撤回へとつながったのだと考える。 一般に生態系が豊かな場所の保護というのは非常に難しい。 関係する人が少ないから、社会的な問題になりにくいのだ。先日、鳴き砂で有名な京都の琴引浜のすぐ横の砂が大規模に採取される計画の中止を求める裁判が提起された。 が、反応は鈍そうだ。 あれだけ貴重な自然なのに、多くの人は反応しない。 自分から遠いからだ。 生態系は、個々の狭い地域の問題として、多くの人から切り離され、各個に破壊されていく。 川辺川ダムのばあいには、熊本市の人々が動いたことが大きいように感じる。 地元の反対を無視せずに、自分たちの問題として都市の人間が考え、サポートした。 それが、熊本県全体の問題となった。 今回の中止には、粘り強く反対を続けてきた(40年!)地元の力と熊本県の財政難の問題も大きかったが、最後の一押しで、都市部住民の関心が効いたように思う。 一つ覚えているのは、川辺川の尺アユを販売したこと。 都市の市民団体が、川辺川の尺アユの販売を引き受けて、ダムの補償よりも大きな収入を地域にもたらす!と意気込んで始めた事業だ。 毎年、事業を実施しているようだが、この営業を通じて、おいしいアユを食べたいという一般の人と、そのアユが川辺川ダムの建設で食べられなくなるのだな、という気持ちを結びつけた。 反対運動はがんばればがんばるほど周りが引いてしまう問題がある。 そこで、多くの人の共感を得るには何が必要なのか、まだまだいろいろな工夫があると思う。