人前で話すということ

木曜は3年生のゼミの報告会。日曜は放送大学の大学院ゼミ。 あわせて、20人(グループ)の発表を聞いた。 これだけまとめて聞くと、発表が上手な人、下手な人の違いについて一言二言述べたくなる。 いずれも研究発表なのだが、話し手の情熱が伝わってこない発表は魅力がなかった。 研究と情熱はあまり関係がないようにおもうのだが、短時間の発表で何が伝わるかと考えると、「もっと知りたい」という気持ちを相手に持ってもらえるかどうかなのだと思う。 学生だと、「ほんとは興味ないんですけど、割り当てられたからやります」と最初に話したり、態度で示したりする人がいるが、ネタにしても、これほどくだらない発言はない。 「だったら、今すぐやめて帰れ!」と怒鳴りたくなる。 発表することはとても怖いことで、ましてや自分の情熱を表に出すことは、否定されたときのダメージが大きい。 「僕はこれが大事だと思う!」 という主張を裏付ける発表をしたとして、「いや、その問題はまったく大事じゃないから今すぐやめなさい」といわれたときのダメージを想像すると、つい、やる気のない振りをして、否定されてもダメージが大きくないように防御姿勢をとる。 情熱を表に出さない、守りに入った発表をする人を「くだらないやつだ」と思ってきたけれど、最近、これってもしかして、自分に原因があるのか?と思うようになった。 「自分の思っていることを否定されるかも知れない」という気持ちは、誰にでもあって、僕も話をする前にそういう思いで、すくんでしまうことがある。 じゃあなぜ「否定されるかも」と思うのか。 場の雰囲気だ。 発表者が、発表する場を信頼していれば、防御的になる傾向は減るし、信頼できなければ防御的になってしまう。 「意見を頭から否定する」ことと「研究手法や論の展開」を否定されることとは違う。 前者は、発表者の想いを認めないということであるのに対して、後者は純粋にプロとしてのアドバイスだ。 僕がコーディネータや指導教員であれば、「否定されそうな場」か「自分の意見を認めてくれそうな場」かを作る責任は僕にある。 どれぐらい発表しやすい場を作ることができるか、もっとやってみようと思ってもらえるような場づくりができるか、こういうのが今の課題だ。 他に発表の善し悪しを決めるのは、次のようなものがありそうだ。 いずれ時間を見つけて詳しく書いてみたい。 悪い発表 1.報告資料を読むだけ 2.調べたこと、やったこと、すべてを話そうとする 3.パワーポイントを使うのはよいのだが、とうてい読めないほど小さい字で書き込む 4.主張が表に出過ぎて、論理展開ができていない 5.最初に展開を示さないから、何をポイントにおいて話を聞いてよいか分からない