水面下は見せないのが「粋」

僕は池波正太郎が好きで、彼の書く江戸文化はすごく好きだ。エセイなんかを読んでいると、80年代に東京に残っていた江戸の名残から、江戸時代の姿を思い浮かべている池波さんの姿が思い浮かぶ。 隅田川のほとりに立って秋山大治郎と佐々木三冬の会話を再現したりしていた気がする。 相方の住む東京の家を貸してくれた不動産屋の親父は「俺は根津の鬼平だと思ってる」と江戸言葉で語る。実際、彼のしゃべりは、「あんた、これ、わかる?(ぱん、とここで机を打つ)お、うれしいねえ、わかるかい・・・・」と、僕の中の江戸っ子そのままだ。 で、そんな江戸っ子の粋は、やっぱり自慢したいものを表には出さないこと。 目立つところで自慢するのはかっこうわるいのだ。 さて、現代は、と見れば、ITの世界は最悪だ。 最新のMacProが発売されたが、相当早いようで、もはや僕には何がいいのかよく分からない。たとえば、amazonのこれ(Apple Mac Pro MA356J/A)を見てみると、とにかくCPUが早くて、メモリもかなりあることはわかる。グラフィック性能も最新だけによいらしい。 昨年のPC界の話題もVistaやLeopardといった、新OSの発売が一番大きなニュースだった。 コンピュータ系の雑誌を見れば、新しいOSでは、アイコンがきれいになったり、ファイルの検索ができるようになったり、などなど、新しい機能の紹介がたくさんだ。 が、それがいったいどうしたというんだろう。 僕はたぶん、そんな機能使わない。 これ読んでいる人は、パソコンって何に使ってるかな?

  1. ワープロ
  2. 表計算
  3. パワーポイント
  4. インターネット
  5. メール

こんなところかな? 僕が言いたいのは、「何に」使っているかであって、「どんなソフトを使っているか」じゃない。 ワープロソフト使って何している?論文書き?年賀状作成?まあ、そんなところかもしれない。 で、OSが新しくなって、年賀状書きの何が便利になると思う? いつも使っている年賀状ソフトがVistaに対応しなくなったから、新しいの買わなくてはならなくなるぐらいのことではないだろうか。 たいていの便利な機能は、最初に見て使って、やがては飽きて使わなくなる。 要するに年賀状を書くためには、レイアウトのサンプルがいくつかあって、それを好きなように差し替えられて、プリントアウトするときにずれたりしなければ、まあ、それで十分だ。 新しくなって、おまけの絵が最新になってたら便利だし、郵便番号検索が最新の郵便番号に対応してたら便利だろう。 文書作成の場合には、図表を貼り込んだときに、次のページに逃げたり、連番を適当に打っていたら、勝手に番号をつけるだけではなく、インデント(字下げ)も変えて見栄えを悪くするような問題がなくなればいい。 僕らが本当に欲しいのは、「パソコンを使って何ができるようになったのか?」だ。 僕らに必要な新しい機能が加わっていれば、新しいOSを買う。 もちろん価格が妥当である必要はある。 だいたい、OSなんてものは、ちゃんと動きさえすれば何でもかまわない。 僕らが使いたいのは、OS上で動くワープロや表計算などのソフトであって、それもそもそもはソフトを使ってやりたいことがあるから使う。 新OSの新機能ラッシュを見ていると、なにか勘違いしてないか?といいたくなる。 見かけの機能だけを喜んで報道する雑誌も程度が低い。 何が必要で何が必要でないかは人によって違う。 もっと軽量で、必要なものだけを変えるようなOSが出てこないだろうか。 オープンソースで作られているLinuxを使って、そういうものを作るのも良さそうだ。 皆さんも、少しLinuxの世界を体験して見てはどうだろう。 (最近のLinuxは、最初から結構なんでも入っている。個人的には、Ubuntuが使いやすいと思う) そもそも、存在を主張するOSというのは、ペンと紙だけにこだわって中身をまったく書かないようなライターと同じだ。 ペンや紙に何を使ってるかなんて、どうでもいい。要は、書いた文章が良ければ評価されるし、悪ければ無視される。 そういえば、執筆の背後に、どれだけ取材したかもライター(学者も)の場合、ほとんど評価されない。 そんなライターの潔さをOS業界も見習ってはどうだろうか。 あくまでも、新機能はみんなが知らず知らずのうちにPCを使っていて便利になるような場所を中心に追加していく。 江戸の粋の世界だ。