川辺川ダムでの責任の問い方

川辺川ダム、そろそろ結論が出そうな感じです。最大の受益地である相良村の矢上雅義村長が、財政問題と農業用水の利用可能性の問題から、事業に参加しないことを表明したためです。 (毎日新聞朝刊、2006年8月7日より) 川辺川、これまで国がいっしょうけんめい進めてきたために、相当事業も進んでいます。 現地に行けば分かりますが、用地買収がほぼ終わり、工事用の道路なんかもついています。もちろん住民の移住も進んでいます。 今ここでやめてしまえばこれまでに費やしてきた膨大な資金が無駄になってしまううえに、原状回復のための費用も相当なものでしょう。 失われたムラのコミュニティはもう復活しないでしょう。 常識で考えれば、もうダムはつくらなくていいと誰もが思っている。 思っていないのは、工事でもうけようと思っている土建屋だけ。この土建屋にしたところで、原状回復事業が実施されればまたもうけることができます。 今、川辺川ダムに関して結論がなかなかでないのは、結局「誰が責任を取るか」なのだと思います。 最終的に中止という決断を下すことはそれほど難しくないのですが、その後、「じゃあ、なんでこんな無駄なことをやろうとしたんだ。誰が悪いんだ?」という悪者探しが嫌で結論が出せないのではないでしょうか。 今回の件に限りませんが、過去に決定された巨大公共事業に関する責任は別に誰もとらなくてもよいんじゃないでしょうか。 謝る必要もない。 だって、時代の流れが地方の巨大公共事業を礼賛していたのですから、しょうがないでしょう。 仮に責められるべき人がいるなら、当時の政治家と知事、そして彼らを支援した人です。 でも、人間誰にでもミスはあります。将来の見通しが甘かったことを責めるべきではありません。 彼らを責めようとするのは、起業を試みて失敗した人に対する冷たい視線と相通じるものがあります。 その時代の雰囲気、将来の予測からみて、「やろう」あるいは「やりたい」と思って挑戦したことが失敗に終わるか成功するかは、後世の判断を待つしかありません。 「いや、俺たちはあの頃から反対だった」という方も多いでしょう。 自分たちの故郷を壊されて怒り心頭に達している方も多いでしょう。 でもここは、彼らを許してあげてください。少なくとも今の知事や担当者には責任はありません。 大事なことは、責任を追及することでも謝罪させることでもなく、「止める」ことです。 だから、熊本県知事さま、農水省の担当者さま、誰も責めないから、「止める」決断を早く下してください。