ダウンシフトする

最近流行の言葉、「スロー」。 先日も「ファーストな生活、スローな時間」で触れたことで、スローな時間を過ごす事でもっとも大事なのは、「(自分で選んで)スローな時間をすごした」という実感だ。 たしかに「なんにもする事がなくてヒマ」っていうのも良いのだが、ここはもう少しポジティブな意味で「スローライフ」を捉えていきたい。 現に中途半端に勉強した人にとっては、「ヒマ人の代表」のように見える「徒然草」の作者の吉田兼好も、実際には、 『決して、「つれづれなるままに」というような、消極的な動機や、「心に移りゆくよしなし事を」というような、偶然的な思いつきや、「そこはかとなく書きつくれば」とあるような、粗慢な執筆態度ではなくして、そこには、積極的な題材の収集があり、緻密な思索的論証があり、自己の作風を樹立しようとする強い意欲の発言のある事が知られる。」(安良岡康作「解説」(「徒然草」岩波文庫所収))』 という感じで、徒然草は暇つぶしに書かれたどころではないことが指摘されている。 スローライフも、「仕事がなくなってすることがない」「人生の目的が見つからないからすることがない」という生活とははっきりと一線を画した言葉だということは認識するべきだ。 むしろ、「自分で自分の使い方を選びとる」ライフスタイルの一種と言える。 スローライフがポジティブな意味だとすると、スローライフを送る人が「忙しくてとてもスローとは言えない」と一様に口にしていてもおかしくはない。 ポジティブな人は、どんな暮らしをしていても次から次へと次にやる事が見つかり、ぼーっと何もしないということは少ないだろうからだ。 スローライフの一つの典型として、「田舎の環境がいいところに移り住んで、家族との時間を増やす代わりに、年収が減る」というパターンがある。 こういうスタイルは、最近、「ダウンシフター」と分類されているようだ。 生活レベルを「ダウンシフト」する代わりに、心の満足を得ようということになる。 この間学会で聞いた話では、ダウンシフターと普通に都会で暮らす人の生活満足度を比較したらほぼ同じだったという結果が得られたという。 これなんかは、経済学の「補償変分」の考えを使えば当然だ。 「家族との時間」を「年収の減少という支出」で「購入している」わけだ。 何となく、30代半ばになって、ある程度社会人経験を積んだら、地元に帰るというのが人として理想的な生活という気もする。 僕の場合は、なかなか働き口も見つからないだろうから、こんな僕を受け入れてくれるような場所探しが30代の目的かなあと思っている。 やっぱ、住むなら九州かな。