人を幸せにする住環境とは

人が暮らしていくにあたって、住居というものは非常に大切な要素だ。家で実際に暮らしていくにつれ、想い出がどんどんたまっていく。ずっと忘れていたことでも、家の窓や壁の模様、ちょっとした傷などをきっかけとして、ふと思い出すことがある。 そして、住居は日々の生活の基盤でもある。 家が快適であるか、住みやすいかどうかという住環境というものは、人間の幸せすら左右してしまう大きな要素なのだと思う。 今、僕は人が何に幸せを最も感じるのかについてずっと考えている。 仕事なのか、家族との生活なのか、あるいは所得、貯金、そういったものなのか。実際の幸せは、人によってそれぞれのウェイトは異なるものの、こういうものを総合的に組み合わせたものだ。 各要素間のウェイト付けをすることは不可能な話ではない。難しいのはどういう要素をウェイト付けの対象とするかだ。この問題について特に最近は頭を悩ませている。 最近ではそんなことよりもさらに実際上の問題に気づいてしまった。 一言で「仕事」「家族との生活」といっても何を持ってそれを評価するのがさらに主観的に分かれてしまうのだ。いちいち拾い上げようとすれば、調査すべき項目が膨大になる。 逆に質問項目を減らせば、調査に漏れが生じるだろう。 そんなことを実感したのが、今回の引越だった。 新しい住居に引っ越してやっと1週間が経ったのだが、この間、かなり大変な思いをさせられた。 僕自身についていえば、職場までの距離が1時間とちょっと、せいぜい1時間半かな?と思っていたところ、時間帯によっては2時間弱にもなってしまうことだ。 さらに悩ましいのが、この距離を車で行けば1時間を軽く切ってしまうこと。 公共交通機関を使いたいなと思っている手前、そう簡単に車に依存するわけにもいかないのだが、この時間差はやはり魅力的だ。 今のところは週に2回は夜が遅かったりするので車にしているが、残りの日も車になってしまう日も近いかもしれない。 うちの相方はもっと面白い点でストレスを感じていた。 いつも聞いているFM局が聞けないということだ。 そのために、ICレコーダーでFMがタイマー録音できるものを探して購入した。 一つ目はタイマー録音が出来なかったので結局二つ購入することになった。 これで何とか必要な番組を見ることが出来ることになって、一件落着かと思ったとき、またまた事態が変わった。 昨日来たケーブルテレビの工事の担当者と話すとなんとケーブルテレビの回線がFMを流しているのだそうだ。 この辺りは山も多いので電波が悪い地域があるので地上波とFM局もその他の有料放送と一緒にケーブル回線で流していると云う。 (普通ケーブルテレビって、こうなってるらしい) そのリストを見てみれば、何のことは無い、いつも聞いてるFM局もちゃんと含まれていた。 そんなわけですっかり今回は無駄に騒いでしまったうえに、ICレコーダ−2台分の無駄な出費をしてしまった。 話を戻すと、うちの相方は、FM局の視聴にこれだけのエネルギーをかけられるだけ住環境の中でも、情報収集(?)へのウェイトが高いということだ。 学問的に考えるとどうしても固いことばかり、評価しやすいことばかりを評価してしまう。しかし、実は今利用しようとする手法で評価できることと出来ないことをしっかり認識しておかないと、結局苦労ばかり多くて何も言えないことになりかねない。 それほど、現実社会の分析というのは難しいと云うことだ。 ところで、いちばん心配していたウサギのヘイタは予想以上に順応しているようだ。 家が広くなったので僕たちがいる部屋が一日でも変わるため、いちいちついてきたがる。 ただ、ヘイタは板間が嫌いなので、フローリングの部分になると、ぴたっと足を止めて、それ以上は行きたいんだけど行けないようなそぶりをする。 それ以外は特に問題もなく、家になじんだようだ。 やっぱり人間は複雑な分だけ、新しい環境に順応するのに時間がかかるのだろうか。 いや、ヘイタもしゃべれないだけで、実際には言いたいことがたくさんあるのかもしれない。