東電をどうするかという議論がいろいろと飛び交っている。 政府が支援する代わりに経営権を握るという話もある。 ただ、僕らはやはり、東電をどうつぶすかという議論ではなく、どう残すかという議論、ひいては今後のエネルギー政策をどうデザインするのかという点をしっかりと考えなければならない。 マスコミの論調は、東電憎しで、最終的にはつぶしたいのだろうなというようにとれる。 しかし、東電をつぶしたら、誰が電気を供給するのか。 そして、新たに生まれる供給事業者が、東電よりましだという保証はどこにあるというのだろう。 無責任な批判は終わりにしたい。 一連の議論のなかで、気になるのが、発電と送電、配電の分離という議論だ。 この議論は以前から行われているし、相方(岡村薫)の学位論文は、電力会社の分割による効率性が実現するかというテーマだ。 効率性の観点からこの議論をすることはかまわないのだけれど、自然エネルギーや脱原発の関係者の間に、この議論に対する期待が広がっているのが気になる。 短期・中期的には、電力会社がどう分割されようと、東電の人間は東電の人間だ。 自然エネルギーに冷淡で、安定して供給でき政府の方針にもかなう原子力発電を優遇することには変わらないだろう。 しかも、発電の総量が足らなければ、やはり原子力発電からの電気を買うことには変わらない。 そして、発電総量が不足気味であれば、火力発電から配電事業者から電気を購入する単価が上がるのは、市場メカニズムの初歩の初歩だ。 同じように、発電量の安定しない自然エネルギーは、相変わらず「汚い電気」として安く買いたたかれるだろう。 東電の人間はおそらく、東電が分割された原因として自然エネルギーの促進政策があると考え、そのことを根に持たざるを得ないだろう。 そういうことも、自然エネルギーを安く買う要因となる。 現状では、いろんな意味で電力会社は守られていて、待遇もいいから、その余裕もあって自然エネルギーを優遇することには抵抗はするが、いったん制度化されれば淡々と執行するはずだ。 それが分割して、配電部門が、自由に発電事業者から電気を買うようになればそうはいかない。 おそらく、自然エネルギーの促進に対して発配電の分離は的外れな政策になりかねない。 同時に、自然エネルギー本来の導入目的である、持続可能性の向上に対しても有利には働かない可能性がある。 今、電力会社というかエネルギー供給会社に対して行うべきことは、エネルギー供給を毎年一定割合ずつ下げるような規制を行うことだ。 持続可能性の観点から考えるならば、現在起こっている問題は、エネルギーを供給する企業はエネルギー供給を増やせば増やすほど儲かるということだ。 そして彼らは、それを企業努力のたまものだというだろう。 しかし、エネルギー供給企業は「公益事業」であることを思い出してもらいたい。 今の世の中で、「公益」といえば、エネルギーの安定供給と持続可能性の向上である。 公益事業は、持続可能性向上に貢献しなければならないし、それに反する行動は厳しく規制されるべきである。 すなわち、エネルギー供給量が一貫して増える構造を改善するような行動をとるよう規制される必要がある。 今考えているのは、たとえばこんな政策だ。 エネルギー関係の公益事業は、年間1%ずつ、二酸化炭素排出原単位を改善すること。 同時に、年間で5%ずつエネルギー供給を削減しなければ、懲罰的な課徴金を課すこと。 仮に年間5%ずつ国内の一次エネルギー供給量が減少すれば、10年間で約40%の削減につながり、二酸化炭素排出量もそれに伴って大幅に減少する。 そして、現在の6割のエネルギー供給であれば、その20%程度は自然エネルギーでまかなうことができそうだ。 現在のエネルギー消費量、あるいは現在のペースで伸びるエネルギー消費量を考えると、20%ものエネルギーを自然エネルギーで供給することは非常に難しい。 しかし、供給量そのものを制限してしまえば、「同じ量の自然エネルギー供給量」が大きなシェアになる。 同時に、年間での原単位の改善は自然エネルギーを導入する追い風になる。 おそらく、ペースはシミュレーションをしてみなければ分からないけれど、この政策で少しずつ、石炭・原油から天然ガスへの代替が進むだろうし、自然エネルギーの供給も増える。 もちろん、原子力は危険度の高いもの、建設時に十分な地域合意を得ていないものは即廃止し、30年か40年を超えたものも順次停止していくという条件は絶対に必要だ。 この件、いつか、研究してみたいと思いつつも、時間がとれそうにないので、ここにメモ代わりに考えていることを書いておいた。 データ等を加えて、改訂することもあるかもしれない。
電子書籍に移行中
先日、Sony Tablet Sを購入して、10インチのタブレット上で文章を読むようにしようかなと挑戦している。 昨日の卒業論文発表会では、卒論ファイルを全部タブレットに入れて、それを見ながら発表を聞いた。 おどろいたことに、とても読みやすい。 いくつか英文ジャーナルをコピーして読んでみても、なかなか快適だ。 特に、2段組のものは、それぞれの段ごとに表示することもできるので、文字が小さくて頭に入らないということもない。 そして、先日来取り組んでいる書籍の(自炊)PDF化だが、こちらもなかなか快適だ。 PDFにした本を読むメリットの一つは、本の一部を教材に使うときだ。 学生に本をコピーして渡そうと思っても、僕が書き込んだり線を引いたものをコピーしてしまえば、大事そうなところが分かってしまって、自分で大事なところを見つける訓練にならない。 おまけに、「先生、こんな簡単な言葉、分からなくてメモしてるの?」なんて思われたら恥ずかしいから、ちょっと線を引く場所を選んでしまったりするときもある。 なので、学生に読ませたいかもしれないと思う本は、大胆に線が引けなかったりする。 PDFだと、書き込みを出力しなくていいので、気分が楽だ。 スマホでもそこそこ文書は読めると思うのだけれど、やはり10インチは快適だ。 ほんとうは、7-10インチ程度の電子書籍端末が出てくれれば一番いいのかなあと思うのだが、それはもうちょっと未来の話のようだ。 (といっても、今年半ばにはありえるのかもしれない) で、こうなってくると、できるだけたくさんの資料がクラウド上にあるといいなと思いはじめて、ついに、Dropboxを50GBにアップグレードしてしまった。 20-30GBぐらいが一番いいと思うのだけれど、無料の2GBの上が50GBなので、ためらっていたけれど、これはまあしょうがないかもしれない。 本棚代だと思えば、そんなに高くもない。 というわけで、今の電子書籍管理・閲覧環境は、こんな感じ。
- Sony Tablet S
- ezPDF Reader(有料、android用のPDF閲覧アプリ)
- DocumentsToGo(無料、android用のオフィスファイルの閲覧)
- Dropbox(50GB)
- Mendeley(論文管理ツール)
ほんとうは、Mendeleyのandroid版クライアントがあれば一番いいのだけれど、残念ながらまだリリースされていないので、ここだけがちょっと悩み中。 いくつかクライアントがあるので、少し時間を作って試してみるつもり。 それにしても、Sony Tablet、なんだか使いにくい。 Sensationにはある「通知を一括消去」メニューがないのが一番嫌だ。僕は電子ツールは自分が何かをしたくて使うのだから、向こうから自動的に通知される必要は全くないと思っているので、こういう機能はオフにできるものは基本的にオフにしている。 それがだめなら、ある程度通知をためておいて、読まずに一気に消す。 なのに、このタブレットは、通知をいっこずつクリックして消さなければならない。 僕はツールのしもべじゃなくて主人なのだから、こういう作業はまったくむだだ。 ついでに、充電も独自アダプターだ。 出張の多い身にとって、充電用のアダプターはUSBに統一してくれるととても楽だ。 パソコンのACアダプターを持ち、後はパソコンから充電できるようにしておけば、重いACアダプターは荷物に一つでよくなる。 電源容量からいって仕方がないのかもしれないけれど、もう少し使い勝手を考えて欲しいな。 USBは容量が小さいといっても、一晩あれば充電できるだろうと思う。 急速充電はACからで、出張中は一晩かけてUSBからという使い分けでもよいように思う。 少し話が脱線した。 話を戻すと、10インチタブレットでの電子書籍環境、実用的だ。 かなりおすすめ。
止めるべきは再稼働か、新設か
原子力発電所の問題で世間が盛り上がっている。 僕も学生に、原発をどう思うかとよく聞かれる。 最近僕は返事を少し躊躇してしまう。 学者として責任ある回答ができないということもあるのだけれど、今、何かを言えるタイミングなのかも分からない。 でも、あまりにもあちこちで聞かれるので、そのときに中途半端な答えをして誤解を招くよりは、ここにきちんとまとめて書いておいた方がいいかなと感じるので、簡単に僕の今感じていることを書いておく。 原子力発電所はもしかしたら技術的に未熟なのかもしれない。 もしかすると、今の最新技術は、あるいは将来的にはもっと安全なものになるかもしれないという思いが捨てきれないからだ。 そして、放射性廃棄物の処理問題に関する合意がきっちりとできたとき、僕は原発容認と言うかもしれない。 現時点では、「廃棄物処理方法の確定していない技術を導入することは間違いだった」といつも答えている。 そして、電力会社については、リスクコミュニケーションを行ったツケが、今回ってきているのだとも言っている。 しかし、今の再稼働反対の流れには少し疑問を感じる。 多くの人は「今初めて気づいた」とか「政府にだまされていた」と言うけれど、ほんとうにそうなのだろうか。 僕も含めて、多くの人がずっと原発をやめようよと言い続けてきた。 でもそれに対する反応は非常に小さなものだった。 今、福島原発の事故を目の当たりにして、人々はほんとうに原発のリスクを理解して行動しているのだろうか。 今まで無視していた現実を突きつけられて、闇雲に走り出したのではないだろうか。 僕は今、再稼働に徹底的に反対することは、原発の強行再稼働を招きかねないと思うし、そうなると世の中にはあきらめムードが広がり、2年ぐらいのうちに、この反原発ブームは沈静化するのではないかと思う。 いまやるべきことは、これ以上の新設に反対すること、(よろよろながらも)着々と進む六カ所の稼働を止める流れを作ることだ。 その流れの中で、老朽化した原発をきっちりと引退させていくこと、廃棄物処理の問題に決着をつけることをやっていかなければならない。
聴衆1000人の前で講演してきました
20日は大阪市主催のイベントで講演してきました。 聴衆が千人くらいこられていました。 テーマはオフィス古紙のリサイクル。 古紙リサイクルは最終的には持続可能性の実現のためにあるのだ、目の前のリサイクルにとらわれすぎて目的を失ってはいけない、と話してきました。 その後のパネルディスカッションではNPO木野環境の丸谷一耕氏と関西のリサイクル業界で知らぬものがいないという山上春美氏の話がありました。 丸谷氏の話もよかったですが、山上氏の話はこの業界で半世紀やってきた方の話だけにおもしろかったです。 もっと詳しく聞きたかったですが、時間切れで、それ以上は聞けませんでした。 またチャンスがあるといいんですが、なかなかお会いできない方なんだろうなと思うと、やっぱりもったいない感じ。 そうはいいながら、パネルディスカッションでは、司会の僕が聞きたい話題をたくさん聞いてしまいました。 関西のリサイクル、廃棄物業界の特殊性とか、禁忌品をいれたらどうなるのか、などなど。 オフィス古紙のリサイクルルールに関 しては、回収業者さんとコミュニケーションをしながら、なにをいれてよくて、なにがだめなのか、各事業所ならではのルールを作ることが大事だとのことでした。 そうそう、今後の古紙相場は中国が古紙を購入し続けてくれるかがカギを握っているという話もありました。 確かに、中国国内でリサイクルか本格化すると、日本から送る量なんて知れてるし、原油価格の上昇も考慮すると、買って知れないかもしれないなあ。
学生はなぜレポートが書けないのか?
みなさま、明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いいたします。 毎年、さまざまなことがありますが、今年はどんな年になりますでしょうか。 僕は本厄。 なんだか不安もありますが、体調に気をつけて、初心に返り研究に励むつもりです。 さてさて、今年の仕事は4年生の卒論の最終チェックと3,4年生対象の環境経済学のレポート採点です。 卒論のことはまあよいとして、レポートの課題は、「環境問題に関する市場の失敗の事例をあげて解説せよ」でした。 が、環境問題のことばっかり書いている人がけっこういます。市場の失敗の説明や事例へのあてはめをするよう、補足で指示しているのにもかかわらずです。 こういう人にどうやって点をあげたらいいのか、悩んでしまいます。 「今、自分がなにを求められているか」をしっかり考えない人が多いですね。 内容は講義のレポートと言うだけあって、あまり目を引くものがないだけに、最低限の用件を満たしていれば加点するようにしているのですが、こういう人、どうやって加点してあげればいいのでしょうか。 なんでこういうことになるのかなあって考えると、一つには経済学部の教育に原因があるのかもしれないと思います。 経済学部の教育は、経済学の理論というか、経済の仕組みに関する教育はいっしょうけんめいやるのですが、それを現実に当てはめるにはどうすればいいのか?という方法論の解説はほとんどありません。 僕が勉強した法学部では、「要件効果」(説といったかな?)という言葉を一年生でたたき込まれていました。これは、僕自身の解釈で説明すると「ある理論が効果を発揮するために、一定の要件を満たす必要がある」というものです。 つまり、理論を現実に適用するために、理論から「要件」を抽出し、その要件が現実に当てはまっているか、一つ一つチェックしていくのです。 要件を満たしていることが分かれば、その現実の問題には理論が適用できて、理論が想定する結果(効果)も期待できるということです。 これに相当するものを経済学部の学生は、習っていないのかもしれません。 だから、事例の紹介をしながら、「市場の失敗」の話に行きたくて、どうやってつなげればいいのか分からなくて、結局は事例の紹介で終わってしまうという結果になります。 僕のレポートは、1.事例の紹介、2.理論の解説、3.あてはめと執筆順序を提示しているのですが、3がきちんと書けない人が多いです。 それもこれも、このあてはめの重要性が伝わってないからなのでしょう。 レポートの採点をしていると、毎年いらいらしてしまいますが、考えてみれば、この辺りの訓練ができていないのだから、しょうがないのかもしれません。 どうやったら、理論のあてはめができるようになるのかなあと、新年早々悩んでしまいます。
モデル的な生活像
以前から書きたいなと思っていたことに、政府の目標のことがある。 政府って景気対策ばっかりやっている気がするけれど、いままで景気対策をしていない時期って、戦後あるのだろうか? いったいどこまで経済成長すれば、景気対策をやめるんだろう。 景気対策というのは、景気がよくなれば返す借金のようなもの。 それをずっと続けていれば、国の借金が膨大になるのは当たり前のことだ。 そろそろここらで、日本の経済ってだいたいこんなものだから、この収入の範囲で国民が安心して生活できるように考えなければならないんじゃないかな。 そのうえで、思うのは、政府って、国民がだいたいこのぐらいの年収なら安心して暮らせるよってモデル像を提示しなければならないんじゃないかな。 本来その役目は公務員にあったはず。 なのにいつしか、公務員というのは地方では一番収入の高い仕事の一つになってしまった。 国民みんながそれだけの年収を得ることができるようになると政府が考えているようには思えない。 公務員の給与は、各地域の生活の一つの現実的なモデル像であるべきで、ある意味、「最低限、これぐらいあれば暮らせる」というものであってよいと思う。 ちなみに、僕の知り合いには官僚も地方公務員も多い。 彼らはほんとうに夜遅くまで国や地域のことを思ってがんばっている。 そういう人には、本給以外の手当をしっかり支払うことで報いる必要がある。 今のように、誰も彼もが同じように高給とりだと、公務員批判はやまないだろう。 批判はいいけれど、それによって、ほんとうにやる気がある公務員のやる気が失われてしまえば、公務員に高給を払っている以上の損失が国に訪れる。 今は誰にどのぐらいの給料を出すことがよいのか、そういう議論をしなければならないと思う。 いつまで右肩上がりの幻想を夢見ているんだろう。 再分配政策は、もうやらなければ行けない段階にある。 「もう少し成長してから」といういいわけが使える段階はとっくに過ぎていると思う。 そして、それとは別に、適正な経済成長率を下回ったときには景気対策を実施して、上回ったときはその借金を返済するという仕組みを政府に導入しなければならない。
政治の安定
日経新聞に、小沢さんが来年の衆院選挙は野田首相ではないかもしれないと発言したという記事があった。 なんだかこういうのを読むとうんざりする。 自民党も、政権をおりて以来、政権(内閣)を打倒することが中心的な目的になっている。 民主党はいつもごたごた。 僕たち国民は首相や大臣を選べない。 代わりに国会議員に選んでもらうことをお願いしている。 これが議院内閣制だ。 なのに、僕たちが選んだ国会議員はいつも内閣を打倒しようとばっかりしている。 これって、実はとてもおかしなことではないか。 一度選んだ首相なら、いさぎよくその内閣のもとで、政策論争をきっちりとやるのが大切なことだ。 民主党の非主流派、自民党、いずれも自分たちが首相を出せないのは国民の支持がないからだということを理解して、政治をやってもらいたい。 今のままでは、仮に自民党が政権を奪還しても、以前と同じように首相がマスコミに徹底にいじめられるという構図は変わらないだろう。 国民は足の引っ張り合いをさせるために、(そして一部の人に利益誘導するために)国会議員を選んでいるのではない。 自分たちの選ぶ首相がそんなに嫌なら大統領制にして、僕たちに首相を選ばせてもらいたい。
講演記録が発行されました
今年の1月に大阪の八尾市で開催された環山楼市民塾二〇一〇の講演録が発行されました。 この講座は全六回で月に一回講演会が開催されていました。 僕以外には、近畿大学の本間正明教授や藤本和貴夫大阪経済法科大学学長をはじめとして、昭和一桁から二〇年代前半生まれのそうそうたるメンバーです。 その中になぜ僕が?と思うんですけど、いろいろな縁があって、こんなことになってしまいました。 さてその講演録、今日届いたばかりなのでまだ中身を見ていないのですが、僕自身の講演部分は、今の僕の問題意識を話しています。 なので、僕に講演を依頼したいと思ってくださる方や、遠くて講演が聴けないという方は、これを読んでくださるといいんじゃないかな。 書店でも売ってるとは思うんですが、どうなんでしょうね。 いちおうISBNはついてるみたい。 環山楼市民塾運営実行委員会『未来を発信する八尾 環山楼市民塾二〇一〇 平成二十一年度講座記録集』大阪経済法科大学出版部、2011年 僕の部分の目次はこんな感じ。 第四章 地域の環境政策を考える
- はじめに
- 環境問題の難しさ
- 環境問題の原因
- 環境と経済の両立
- 未来の世代とのつながりを考える
- 暮らしに精神性を取り戻す
- 公益性の経済学
- 資本とサービス
- 地域を育てる活動を
この本のいいところは、各章の最後に、講演を聴いてくださった方の感想も載っていることです。 感想を読むと、どんな雰囲気の講座だったのかが少しは伝える気がします。 僕の講演に対する感想でやっぱり、「具体的な政策提言が欲しかった」と言うのがありました。 僕は講演では具体的な政策を提案することはしません。 それはまた別にお金をもらって・・・(笑) いや、そうじゃなくて、政策って僕が提言するものじゃないと思ってます。 政策は地域の人が考えるべきもの。 題材やおもしろい政策が生まれるための土壌づくりに関する提案やお手伝いはしますが、具体的に「これをやったらどうか」というものは講演ではしないし、するべきじゃないと思ってます。 心の中には、提案したいこといっぱいありますけど、行政職員も含めた地元の人もほんとうにいろいろ考えて取り組んでいると思います。 それを踏まえずに、一方的に提言するのはよくないし、意味がありません。 みんなで政策は考えるべきです。 そこに僕も混ぜてくれたらうれしいです。
国会議事堂前の公園
森林関係の勉強をしに、林野庁にきています
ちょっと昼休みがあったので国会議事堂を見にきました
相方が東京にいた三年間では不思議に一度も来なかったなあ
議事堂前には道路を挟んで大きな公園があります
東京ってほんと緑が多いですね
大阪も成長戦略の前に緑戦略を作ったらどうかなあ
そうしたら雇用も生まれるよ
情報整理術:Google ReaderからEvernoteに登録する
インターネットの情報の入り口として、Google Readerを使って、RSSを読むようにしています。 で、これいいなあと思ったら、Evernoteに登録するようにしています。 ただ、RSSというのは、冒頭部分しか書いていないことが多くて、中身を読もうと思うと、クリックしてリンク先に飛ぶ必要があります。 これがけっこうめんどうで、ぼくがやりたいのは、とりあえずRSSにざっと目を通して、必要だと思ったら後で詳しく読むという感じです。 なので、いちいちリンク先に飛ぶ作業が介在すると、とたんに集中力が切れてしまいます。 Google Readerで詳しくよみたいなとか保存しておきたいなという記事をクリックしておくと、しばらく経ったらEvernoteに登録されているような機能が欲しいのです。 こういう用途では、Instapaperを使って「後で読む」ようにしておくということもできるのですが、こちらも、記事ごとにリンク先に接続しなければなりません。 (iPhoneとかのクライアントなら、リンク先をまとめて読み込んでおいてくれます) ネットを探したところ、以前のGoogle Readerで使える方法はあったのですが、最新のReaderで使える方法がありませんでした。 ついでに、既存のノートブックやタグも指定できるようにしておきました。 しょうがないので、半日かけて作ってみました。 こちらに公開しておきました。 (使い方はこちら。) Mac使っている人なら、ちょっと設定すれば使えると思います。 ネットのサーバを借りていて、cronが使える人も大丈夫でしょう。 それ以外の人は・・・どうしましょう。 僕のサーバを貸してもいいですけど、サポートまではさすがにできないですしねえ。。。 誰かがこれをWebサービス化してくれればいいんですけど。 そんなに難しくはないから、誰か近いうちにやってくれるかもしれませんね。