東電の分割では自然エネルギーは増えない(2月15日版)

東電をどうするかという議論がいろいろと飛び交っている。 政府が支援する代わりに経営権を握るという話もある。 ただ、僕らはやはり、東電をどうつぶすかという議論ではなく、どう残すかという議論、ひいては今後のエネルギー政策をどうデザインするのかという点をしっかりと考えなければならない。 マスコミの論調は、東電憎しで、最終的にはつぶしたいのだろうなというようにとれる。 しかし、東電をつぶしたら、誰が電気を供給するのか。 そして、新たに生まれる供給事業者が、東電よりましだという保証はどこにあるというのだろう。 無責任な批判は終わりにしたい。 一連の議論のなかで、気になるのが、発電と送電、配電の分離という議論だ。 この議論は以前から行われているし、相方(岡村薫)の学位論文は、電力会社の分割による効率性が実現するかというテーマだ。 効率性の観点からこの議論をすることはかまわないのだけれど、自然エネルギーや脱原発の関係者の間に、この議論に対する期待が広がっているのが気になる。 短期・中期的には、電力会社がどう分割されようと、東電の人間は東電の人間だ。 自然エネルギーに冷淡で、安定して供給でき政府の方針にもかなう原子力発電を優遇することには変わらないだろう。 しかも、発電の総量が足らなければ、やはり原子力発電からの電気を買うことには変わらない。 そして、発電総量が不足気味であれば、火力発電から配電事業者から電気を購入する単価が上がるのは、市場メカニズムの初歩の初歩だ。 同じように、発電量の安定しない自然エネルギーは、相変わらず「汚い電気」として安く買いたたかれるだろう。 東電の人間はおそらく、東電が分割された原因として自然エネルギーの促進政策があると考え、そのことを根に持たざるを得ないだろう。 そういうことも、自然エネルギーを安く買う要因となる。 現状では、いろんな意味で電力会社は守られていて、待遇もいいから、その余裕もあって自然エネルギーを優遇することには抵抗はするが、いったん制度化されれば淡々と執行するはずだ。 それが分割して、配電部門が、自由に発電事業者から電気を買うようになればそうはいかない。 おそらく、自然エネルギーの促進に対して発配電の分離は的外れな政策になりかねない。 同時に、自然エネルギー本来の導入目的である、持続可能性の向上に対しても有利には働かない可能性がある。 今、電力会社というかエネルギー供給会社に対して行うべきことは、エネルギー供給を毎年一定割合ずつ下げるような規制を行うことだ。 持続可能性の観点から考えるならば、現在起こっている問題は、エネルギーを供給する企業はエネルギー供給を増やせば増やすほど儲かるということだ。 そして彼らは、それを企業努力のたまものだというだろう。 しかし、エネルギー供給企業は「公益事業」であることを思い出してもらいたい。 今の世の中で、「公益」といえば、エネルギーの安定供給と持続可能性の向上である。 公益事業は、持続可能性向上に貢献しなければならないし、それに反する行動は厳しく規制されるべきである。 すなわち、エネルギー供給量が一貫して増える構造を改善するような行動をとるよう規制される必要がある。 今考えているのは、たとえばこんな政策だ。 エネルギー関係の公益事業は、年間1%ずつ、二酸化炭素排出原単位を改善すること。 同時に、年間で5%ずつエネルギー供給を削減しなければ、懲罰的な課徴金を課すこと。 仮に年間5%ずつ国内の一次エネルギー供給量が減少すれば、10年間で約40%の削減につながり、二酸化炭素排出量もそれに伴って大幅に減少する。 そして、現在の6割のエネルギー供給であれば、その20%程度は自然エネルギーでまかなうことができそうだ。 現在のエネルギー消費量、あるいは現在のペースで伸びるエネルギー消費量を考えると、20%ものエネルギーを自然エネルギーで供給することは非常に難しい。 しかし、供給量そのものを制限してしまえば、「同じ量の自然エネルギー供給量」が大きなシェアになる。 同時に、年間での原単位の改善は自然エネルギーを導入する追い風になる。 おそらく、ペースはシミュレーションをしてみなければ分からないけれど、この政策で少しずつ、石炭・原油から天然ガスへの代替が進むだろうし、自然エネルギーの供給も増える。 もちろん、原子力は危険度の高いもの、建設時に十分な地域合意を得ていないものは即廃止し、30年か40年を超えたものも順次停止していくという条件は絶対に必要だ。 この件、いつか、研究してみたいと思いつつも、時間がとれそうにないので、ここにメモ代わりに考えていることを書いておいた。 データ等を加えて、改訂することもあるかもしれない。