スローな話をしていると必ず出てくる一冊に「パパラギ」がある。 この本は、1900年前後に南太平洋の島の人が見たヨーロッパの姿を描いた書で、ヨーロッパでもかなりのベストセラーになったと聞く。「先進国の人間が失ってしまった何か」を気づかせてくれる本だとよくいわれている。文明批判の書だともいえる。パパラギが本の作者の創作だという話しもあるようだが、その辺は重要ではない。仮に本書がとあるヨーロッパ人が創作した本であるとしても、そこに書かれていることには十分な意味がある。 落語に、あるナマケモノの若者が働いて立身出世しろと言われたところ、働いて何になる?と問いかけるものがある。その答えは、「のんびりと寝て暮らせる」というものだったが、若者は「それなら今と同じだよ」といって、やっぱりナマケ続けるという話しがある。 先進国の人間には「遅れていて怠惰だ」と見える南太平洋の住人もちょうど同じことだ。 一生懸命働いて何を手に入れたいのか、お金を儲けてどうしたいのか。そうしないと幸せになれないのか。 そんな問いに答えるのは意外と難しい。 面白かったのは新聞に関する次の一節。 「新聞もまた一種の機械である。毎日たくさんの考えを作り出す。一つ一つの頭が考え出すより、はるかにたくさんの考えを。しかし、たいていの考えは誇りも力もなく、弱い。おそらく私たちの頭は、栄養でいっぱいになるだろう。しかし、強くなりはしない。だったら砂で頭をいっぱいにするのと同じではないか。」(p.104) 学生に新聞を読め!と言い続けている身としてはなかなか厳しい指摘だ。 それでも、「誇りがあり力のある考え」を養成するのが僕たちのやるべきことだろうと思っている。そして、今まで本や新聞を読む習慣のなかった現代の若者は、南太平洋の人たちと比べ物にならないぐらい知識や体験が不足している。 おそらく、自分で考える力がある人は、僕が「新聞を読め」といっても読むかどうかは自分で判断する。それが出来る人は別に新聞なんか読まなくてもいい。 新聞以外にも服のことからはじまって、お金のこと、物のこと、考えることなどなど、明快に切っていておもしろい。 この本がベストセラーになっても、西洋文明はその向かう方向を転換できなかったのだなあと思うと、ほんとうに現代社会を突き動かしているベクトル、エネルギーはどこまで行くのだろうかと少し怖くなる。
posted with amazlet on 06.04.09
岡崎 照男 ツイアビ Tuiavii
立風書房 (1981/01)
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