防空壕

鹿児島で痛ましい事件が起きた。 この事件、関西の人間にはなかなかその深刻さが伝わらないのではないかと思う。 僕は、三重と福井で大きくなったけれども、鹿児島に行くまで防空壕というものを見たことがなかった。 もしかしたらその辺にあったのかもしれないけれど、ほとんど意識したことがない。 たまに崖に洞穴があっても、自然の洞穴なのかな?と思っていたのかもしれない。 鹿児島は、市内(鹿児島市内)が特に崖が多いからかもしれないが、崖があるところにはかならずいくつか洞穴がある。 ちょうど人が入れそうな大きさの洞穴で、子供じゃなくても中に入ってみたくなる。 特に洞穴に興味がなくても、「あれはなに?なんであそこにあるの?」と地元の人に聞いてしまうぐらい、頻繁にある。 もちろん、もともとあった穴を利用して防空壕にした場合もあるかもしれないが、ほとんどは手で掘ったものだと思う。 今でも防空壕は埋まっていなくて、実際に物置というか、貯蔵庫というかそんなものに使っている人もいると聞いたこともある。 鹿児島ではそれぐらい戦争の痕跡がリアルだった。 関西の周辺で育った僕にとっては、生々しい戦争の記憶を残すような存在なのに、鹿児島の人はそれを珍しいとも思っていない。 そんな環境で育てば、同じように「日本は戦争をした」と聞いても、鹿児島のこどもは受け止め方が違うはずだ。 戦時中もやはり戦争そのものの受け止め方は違ったのだろうと思う。(なんといっても、鹿児島は離島部が一時期米国になっていた) 今回の事件だけではなく、そもそもそれだけ身近に防空壕がある環境、そのことの意味を我々は考えなければならないのじゃないか。 「軍備」とか「戦争」を軽々しく口にするけど、実際自分たちの日常生活に影響が出ることを考えたうえで、発言しているだろうか。 広島、長崎、沖縄の人の言葉に重みがあるのはそういう意味だろう。そして、鹿児島もだ。 こういう地域の人が軍備の必要性、あるいはその逆に平和の必要性を主張するならば、真剣にその発言の意味を考えなければならない気がする。 (「えらい」政治家の発言は無視していい。戦争に行かないし、生活も影響を受けない安全なところからごちゃごちゃ言ってるだけだ)