都市再生ができるといいなあ。

「都市再生ビジョン」について(報告)~社会資本整備審議会  (都市計画・歴史的風土分科会都市計画部会)答申~ この答申を見ていると、かなり今の世の中全体が都市再生に向けてのコンセンサスを持っているのではないか?という印象を受ける。 「あまり目新しいことがない」のである。 これは決して批判して言っているのではなく、国土交通省の目線と問題意識がそれだけ一般の人々のそれに近づいているということを意味している。 面白い部分は、 このため、まちづくりの主役、担い手である住民・企業等が「公 (パブリック)の一員」としての自覚を持って、行政と都市の将来 像を共有し、その実現を図る必要がある。具体的には、まちづくり 19 の計画段階から多様な主体の参加が可能となるよう「機会の窓」が 開放され、保障されているとともに、住民が参加・提案・協議し、 考えの違いを乗り越えて、合意形成に努め、合意した後は決めたル ールを守り、当事者としての社会的責任を分かち合いそれぞれの役 割を実行できるような多様な主体の参加と連携による「次世代参加 型まちづくり」を官民協働(パートナーシップ)で推進する。 その際には「提案する側」と「提案される側」が固定化されて、 いないなど、主体間の相互関係の多様性が確保されていることが重 要である。 の部分。 参加のための「機会の窓」をどのように開放するのか、これまで地方自治体でもいろいろな模索が行なわれてきている。 それをいかに拾い上げて、より実質的な「窓」にするかが問われる。 この答申の内容に近いことは、僕も5年ぐらい前の論文に書いた。 けど、全然注目はされないな。 あまりにも一般的すぎる話だからかなあ。。。 僕自身の関心は、「機会の窓」を開いたとしても、参加しない人って言うのがいるけど、こういう人は無視すべきなのか、別の形で窓を開いて参加してもらうべきなのかということ。 「お上の言うことは黙って言うことを聞いておけばいい」とか、「民主主義だから、選挙で選んだ人たちに任せておいて、我々は決定に従うのだ」とかならいい。 「あいつらは勝手に好き勝手やってるだけ。それに従うかどうかは我々の「自由」だ。自分は生活に忙しいんだ」とかいって、自由を振りかざす人たちをどうするのかという問題だ。 もちろん、生活に忙しいのは分かるけど・・・