以前のゼミ生が「人前で話すということ」を読んで、某県庁の面接試験の際、非常に役立ったという話をしてくれたので、続きをぼちぼちと書いていきます。 まずは、その1:報告資料を読むだけ、です。 用意してきた原稿を読むだけの人、多いですよね。 しかも下を向いて小声でぶつぶつ読むだけの人とか、聞いているといらいらしてきます。 学会や講演でこういう人に出会うと、僕はさっさと部屋を出ます。 こんなのを相手に時間をつぶすくらいなら、外でお茶飲んで誰かと情報交換したり、本でも読んだ方がましです。 音読を聞いて理解するためには、少し遅めのスピードで音読しないと理解できないといいます。 つまり早口で資料を読むと、誰も理解できないということ。 せめてその資料が配付されていれば、報告を聞かずに、聴衆が自分で資料を読んで理解することはできます。 じゃあなぜ報告資料を読むだけの発表をしてしまうのか。 間違えるのが怖いからですね。 一生懸命吟味した文章を一言一句読めば、普通は間違えない発表ができます。 だから、ついつい読んでしまう。 こういう人たちは、自分がミスをしないことにだけ関心があって、相手に伝えることに関心がない人、あるいは余裕がなくてそういうことに気が回らない人です。 下手なことを言って批判されたり突っ込まれたりするのは確かに怖いことです。 でも、発表って話題を提供し、議論を喚起するためのものでもあります。 ちょっとした間違いがあっても、相手のイマジネーションをかき立てれば、発表は成功だと思います。 「うまくまとまってたね」という評価よりも「突っ込みどころ満載やけど、おもろいね」の方がほめ言葉としては上です。 ちなみに、細かいミスをねちねちと突っ込む人は、発表者を窮地に陥らせます。 けれども、そういうことで窮地に陥った発表者に対して、会場の聴衆は寛大です。 「くだらねえことで、時間使うな。発表者をいじめるな」 と思っている人が大半です。 ところが、報告資料を読むだけの発表をしてしまうと、聴衆をいらいらさせてしまうので、発表者が細かいミスでいじめられても、同情してくれません。 「くだらない発表するから、そういう目に遭うんだ」 って評価です。 報告資料を読むだけで逃げたくなったとき、自分はなんのために発表をしているのか、そのあたりをもう一度考えてみましょう。 安全な発表をしたいという誘惑を振り切ることです。