格差問題がいろいろ言われています。 論争の中心を担っているのは、経済学者で、割と身近な問題で経済学者の出番がきているのは珍しいことです。 これで経済学に対して、みんながもっと身近に感じてくれるようになったらいいですね。 少し、懸念しているのが、論争の多くがデータを見ながらであること。 データ=数字という感じになっていることもちょっと気になるのですが、それ以上に、格差問題の議論が一般の人の関心に沿っているのか、という点です。 なんでも客観的なデータをもとに考えようという態度は、非常に重要で見習わなければなっていつも思います。 できるだけ客観的なデータをベースに議論しようとすると、入手できるデータから使えるものを何とか探そうということになり、データを深く分析する態度も養われます。 そして、ちゃんとしたデータと、根拠の曖昧ななんの論拠にもなり得ないものが混在していることもわかります。 ここでは、格差問題のうち、若年層の格差について考えましょう。三浦展氏の「下流社会」に近い問題意識です。 格差の何が問題かを考えると、社会階層の固定という問題は確かにあるのですが、僕は若者のやる気(モチベーション)の低下こそが問題なんじゃないかと思います。 彼らが将来を見て、がんばる甲斐があるかどうかを判断するのは、周りの雰囲気でしょう。残念ながら、日経新聞を見て、あるいは統計データを見て、将来の判断はしないでしょう。 そう考えると、今、格差問題で注目すべきは、若者が自分たちの未来の可能性をどう感じているか、彼(女)らがモチベーションを得ることができないのであれば、どうすれば、モチベーションをもてるような社会が作れるかどうか、なのではないでしょうか。 がんばってもしょうがなければ、モチベーションはわきません。ある意味で、彼(女)たちは合理的な判断をしているのです。 所得データをもとにして格差の有無を議論している経済学者の議論の多くは、「彼(女)たちは間違ったデータをもとにモチベーションを低下させているんだ」ということを証明することになっているのかもしれません。 「格差を証明する事実はない」ということは、学問として、あるいは政策判断としては非常に重要な指摘です。 でも、「格差を感じている」あるいは「格差を信じていてモチベーションが下がっている」事実があれば、論点が大きくシフトしてきます。 若者の感じ方なんてデータじゃないという方は、景気動向の判断を町の人に聞く雇用関連指数などというものもあるってことを思い出してもらえればよいと思います。 人々の実感も、取り方によっては統計データになります。 少し、「格差の存在」が論点なのか「格差を信じてやる気を失っている人がいる」ことが論点なのか、というポイントを考えておきたいという気がします。 そのために、まずすべきは、若者がなにを見て将来へのモチベーションを失っているのか、彼(女)たちが反応するサインを見極めることが必要です。 さて、これが難しいことです。