環境問題の深刻な現実と自分自身の怠惰な日々のギャップを考えると、時々、自己嫌悪に陥ってしまうときがある。 「これだけのことを知っていて、みんなにも伝えているのに、どうして自分はこんな行動をとってしまうんだろう」 100のことをやりたいのに、10しかできないとき、自分の行動がむなしくなったりもする。 多くの人は、 「自分一人が何かちょっとやったぐらいで物事が変わるわけがない」 って思ってるかもしれない。 そんなとき、僕が思い出すのは、この言葉。 『我々は重荷を負った人々の傍らを絶えず歩いています。その重荷はたといしばらくにしろわれわれが背負ってあげることの出来るものなのです。けれどもその短い休息だけで苦患をいやし、多くの人々の心に消えた喜びを蘇らせ、人間の間の善意に広い道をひらくに十分でしょう。(p.127、7章簡素な楽しみ)』 シャルル・ヴァグネル(大塚幸男訳、祖田修監修)『簡素な生活』講談社学術文庫、2001年 説明はいらないかもしれないけれど、こういうことって本当に多い。 僕だって、わずか500円の寄付や1000円の商品を一つ買うことがどんな貢献になるんだ?無駄じゃないの?って思うこともある。 けれど僕たちの多くは大都市に住んでいる。 その住民の一人一人が、「こんな小さなこと」と思うことをやれば、ものすごく大きなことができる。 僕がNPOの仕事を週に半日だけ手伝うとしても、同じことをする人があと13人いれば、一人分の仕事ができるかもしれない。 年に1日だけ手伝っても、他に364人いれば、一人分だ。 がんばっている人に「お疲れさん」って声をかけるだけでも違う。 でも、これって実は机上の空論だ。 机上の空論で終わらせないためには、これを読んで「なるほど」と思った人が行動する必要がある。 ぜひ、どんな小さなことでもいいから、やってみて欲しい。特に、がんばっている人を助けるための行動をとってみてはどうだろう。 自分だけの小さな世界が一気に広がるはずだ。