騒音公害

騒音公害というものは、非常に主観的な問題だけに、調停に際する問題の特定と対処方法の判断が難しい。 一番簡単なものが、道路や工事などの騒音なのだが、それにしても、どの程度であれば騒音といえるのかという認定の問題が非常に困難だ。 ほんのわずかな遮蔽物があるだけで、騒音のレベルが変わってしまうためである。 物理的な要因以外に騒音公害を難しくするのが、先に触れた、騒音公害が主観的であるという点である。 同じ音を聞いても、うるさいと感じない人と感じる人がいる。 例えば、普段僕が研究室にいるときに、外で学生や教員が話している声や時折あがる笑い声などは特に気にならない。 しかし、低音で響くモーター音や救急車の音には一度で集中を乱されてしまう。 実は今、僕の部屋からは二つの「気になる音」が聞こえる。 一つは、家の向かいに住む「牛」の声だ。 たぶん、出産が近いのだろう、「モーッ」と30秒ごとぐらいにないている声が聞こえる。 (子牛が生まれたら見たいな) 母牛と同じような苦労しなのだろうかなどと思いながら、ついつい気になってしまう。 もう一つの騒音は隣りの家のけんかの声。 「誰がこの家のお金を稼いでいると思ってるの?お父さんでしょ」 と、お父さんらしき人の声が聞こえたり、 「もう、いい加減にしてよ!同じ話ばっかり」 というお母さんらしき声とか、 「誰に向かってそんな口聞いてるの!謝りなさい」 というお父さんが息子(中学生ぐらい)に何度も繰り返す声や、泣き喚く息子の声。 (頼むから、押入れの中から眺めてみたいなー) と、つい思うぐらいの絵に描いたような家族けんかだ。 ・・・ここであげたのって、騒音公害というよりは、「気になる物音」というものかもしれない。